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2005年6月29日 (水)

5X2

日本タイトルは『ふたりの5つの分かれ道』と称された、フランソワ・オゾン新作。べつにわかれ道なわけではなく、あるカップルの5つの時間が逆行して描かれる。といっても、シーンは5つしかないので、むしろ、同じ主人公にしたオムニバスが5話ある感じ。というのも、いずれのエピソードも、濃密なドラマが、すごくさりげないかたち(でも、おそらく、観客は、そのさりげなさに気づける、という離れ業)で描かれる。まるで、ジャームッシュのような「何もないストーリー」がカップルを主人公で進む感じでもある。すごく澄み切った鑑賞感は、おそらく「2人の恋愛生活」について以外の描写がまったくされないことで、そういう意味で、「もっとも邪念がない2人の話だけの話がうまれる数分間」のドラマなのかもしれない。夫の兄が解放的なゲイであったりするのが、さすがオゾンの、少しのお遊び。こんな家族関係が、フランスでもありうるのかどうかわからない。兄の恋人(青年)の印象を弟夫妻が語り合うなんて。こういった柔らかいファンタジーなども含めて、なにげない日常でくぎづけにする。エピソードとエピソードの蝶番のように、イタリアン・ポップス。ちょっとラース・フォン・トリアー『奇跡の海』を想いだす。しかし、こんなさりげないドラマ(ベッドシーンがあんなにも演技性に富んだものなのは初めてみました)こそ、演ずるふたりは、ものすごい演技力だと思います。

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2005年6月28日 (火)

混んでいる時に入りたいパビリオン

紅茶がおいしい喫茶店、ではなく、「混んでいる時に入りたいパビリオン」イン・愛知万博。ついに半分終わり、混雑も本格化してきましたが、(まあ、87万人は入らないでしょうけれど・・・って、入れないだろ)そんな時にこそ。この間、タイ館で実感。強化!を掲げるタイ館ですが、入ってみると、まあ、民族衣装をまとった美女大会で、シャッターチャンスの嵐。これは、ガラガラのパビリオンではできないワザです。少し前にインド館でも感じました。そこで感じるのは「美しい女性って、展示品なんだ・・・・」。アテンダント(昔で言うコンパニオン)が、展示物、アトラクションの一貫である、ということです。べつに、美女でなくても、「はい、これはナンですか」と言うおにいちゃんも、リッパなエンタテイナーなので、これも、パビリオンのクオリティに一役買うわけで。・・・ちょっと、思いついたことを書き留めました。

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2005年6月27日 (月)

自分の声

もう、苦痛以外の何でもない、これをしないと仕方がない時間が1時間ほどあった。すなわち「自分の声を聴く」。もう少し、具体的に言うと、録音した自分の声を聴く。まあ、みなさんご存じのように、日ごろ自分がしゃべりながら聴いて?いる自分の声は、他人が聴いている自分の声とは全く違う。まあ、プラス評価甘め?に毎瞬間聴いているわけだから、録音した自分の声を聴きなおすと、「そうではない自分」をたたきつけられて愕然とする。ほんっと、自分の声、嫌いというか、自信喪失以外の何者でもないんですよね。これでは、そりゃ嫌われるわな、みたいな声でしかない、というか。そして、気づいたのですが、録音された自分の会話を聴きなおすと、歴然とするのが「自分の口癖」。われながら、「うぜえよ、こいつ」と思ってしまう。今日は、映画も音楽も、たしなんでません・・・・酒はたしなみまくってますけど・・・

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2005年6月26日 (日)

中途半端なインドア

なんだか、一週間ぐらい真夏日らしいじゃないですか。個人的には、すごく個人的には、ビバ空梅雨!!です。7月生まれ(サンドラ・ブロックと全く同じ誕生日。誕生日だけで言うと、ショーケン、ミック・ジャガー、ケヴィン・スペイシー、ケイト・ベッキンセイルと同じという、すごい誕生日)なので、かどうか、夏大好き。冬大嫌い。「寒いのは、着込めばいいが、熱いのは、皮をはぐにも限界がある」というもっともな意見もなんのその、とにかく、燦燦と照る太陽大好き。といいながら、べつにスポーツとかアウトドアなんとかとかいうのは苦手なので、暑い中、タオル片手に歩く感じが好き(イメージ的には『砂の器』の森田健作になってしまうのはなぜだろう!??)。なのに、やはり、今週はそんな中、室内で仕事、という感じの週なのでつらい。ちーながら、ウィンブルドンのシャラポワの試合を見ている。ちょっと前は、ウィリアムス姉妹ばかりだったが、今は。シャラポワ以外のゲームも、普通に見たい感じにこうなったら思えてきて(だったらBS入れ。BS入ったらエマも見れたぞ)、なんて、ね。どうして、いつも、こう、強くなってくると、興味失うかなぁ。小さい頃に阪神応援で育ったからかなぁ。

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2005年6月25日 (土)

IL TUNNEL DELLA LIBERTA

「北のオアシス」(愛知万博・北欧共同館)で買ったタンブラーでビールを飲みつつ(ギネス)、ウインブルドンをBGVに、ピヴィオ・アンド・アルド・デ・スカルツィ(トランセンデンタル/以下P.A.D.S.とでも略します)新作を聴く。いやあ、至福です。ようやく入手の『IL TUNNEL DELLA LIBERTA』。予想通り、ベルリンの壁を横切った、トンネルにまつわる悲話のよう。今のイタリア映画音楽界において、美しさはアンドレア・グエッラの右に出るものはいず、シブさとエスニック色つきでP.A.D.S.と思ってましたが、ちょっと今回は、グエッラのお株を取る感じの悲しい美しさ全開!! しかも、正調ストリングス・スコアで聴かせるので、70年代のヨーロッパのスコアの香りも。一曲女性ヴォーカルをフィーチュアしたナンバーが入ってますが、これが『エル・アラメイン』ラストの延長線上的美しさ、幻想性。いやあ、完成度高いサウンド作りますね。そろそろ、他国籍映画にも進出でしょうか!?

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2005年6月24日 (金)

愛知万博の夜景

火曜日は、22:00ギリギリまで、万博会場まで、いたんですよね。ヨシキ氏作曲のあの曲が聞こえています。ほたるの光代わりですね。なんか「おお、ラストまでいるやんけ」という自分にちょっと快感。そして、次の日も、おそくなってからグローバルループ(専門用語?)を歩いていると、なんか、いい感じなのですよね。万博で、快感なのは、パビリオン入る瞬間や、その展示に感動したり、ネパール館の食堂の人が、ナンを説明しながら、「はい、これはナンですか」といって笑いを誘っているときや、リトアニア館の放映ビデオを2ちゃねらーよろしく、チェックしながらにやにやしたり、もあるのですが、夜8時前あたりに、グローバルループを歩いている時。ぼかぁ、しあわせだなぁ。しかし、グローバル・ループの長さに比べて、パビリオンが少ないなぁ。いきつけのパビリオンが、クロアチア、イタリア、北のオアシス、中米共同館、アンデス館、メキシコ、などなど、いっぱい今や生まれてしまって。

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2005年6月23日 (木)

量より質の6月の長久手

6/21,22と愛知万博でございました。22日奇跡!! いつから、そういった整理券配布方法になっていたのか知らなかったのですが、トヨタ館、午後からの整理券配布が小刻みになっており、16時20分ぐらいに並んで、17時50分の回を見れる、という、たった(たった!)90分並んだだけで、トヨタ館入館!!!!! 感想。もう、入ること自体がイベントですね。整理券、まず、かなりマジマジと見てしまいました。そして、20分前ぐらいから、入場口前でまた並ぶのですが、これはもう「入場ライセンスを持った人々」の列なので、かなり優越感!?日立も東芝もガスも、この「入館する瞬間」のワクワク感がいいですね。これが万博です。きっと、1970のパビリオンは、この「入館する瞬間のワクワク」を大切にしたパビリオンだらけだったんでしょうね。で、アトラクション。とにかく、ホールが広い。しかし、ショーの内容は、ちょっと予想外(ネタバレになるので、細かく書きません)。むしろ、魅せられたのは、アテンダント嬢の方々のパフォーマンスで、手話つきの説明、ショー中のダンサーたちとのあうんの呼吸、ショー終了後、次のアテンダントと交代する際のパフォーマンス。数あるパビリオンの中でも、アテンダントでみせる度かなり高い。イタリア館のスマートさもなかなかだったのですが、ここは半端じゃなかったです。それにしても、今回は、日中からビールぐびぐびで、ルーマニアやらシンガポールやら、ついつい。そういえば、メキシコ館サントラも、ついに購入!!

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2005年6月21日 (火)

英国恋物語エマ

本当は、「国」と「恋」は、難しい方の感じです。さて、このアニメのサントラで、音楽は梁邦彦氏。あまりに評判がよいので、このアニメは全く見たことがなかったのですが、冒険で、聴いてみました。・・・・・すばらしい!! ちょうど、アニメ・サントラでいうと『灰羽連盟』『ココロ図書館』のシブさ静かさ美しさの路線の延長線上を行くピアノとストリングスのスコア。ちょっと光宗氏が書きそうなノスタルジックなメロディもポロポロと。しかし、まあ。直球「メイドもの」ドラマなんですね。灰羽は違うけれども、ココロはメイド・テイストを思いっきり引きずったものを持っているので、このテイスト・イコール・メイドなのではなく、灰羽・ココロに通ずる、「昔々あるところに」風なノスタルジーを受け継いでいるのでしょう。そしてアニメだけれども、ひたすら「何も起こらない、静かな話」的なところでしょうか(この辺は、内容の想像。)それにしても、聴き進むに連れ、これは、すごく品のいいイージーリスニング・アルバムであるな、と感嘆。ところで、明日から、マンスリー長久手です。

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2005年6月20日 (月)

強烈に普通なイージーリスニング

ロニー・アルドリッチのヴォカリオン盤「REFLECTIONS/WITH LOVE & UNDERSTANDING」を聴く。うーむ、強烈に普通だ!!!! 強烈なイージー・ファンでなければ、おそらく、「ポップスをピアノでカバーした(だけの)アルバム」以上の意味がわかりづらいに違いない。アルドリッチといえば、大きめの中古レコード屋さんに1000円札握り締めていけば、5~6枚は、LP!!音源をゲットできるだろう。だが、それらは「夢のスクリーン・ムード」etcのように、日本で選曲もジャケットも差し替えられて、オリジナルはどの盤に入っていたかなどの跡形もなくなったものがほとんど。より何より、CDで「ロニー・アルドリッチが<ロニー・アルドリッチのアルバム>として分類されて、聴ける」ということで、魂が震えるのでしょう。このアルバムだと、特に2枚目。「スター誕生」のエバー・グリーンとか、「フィーリング」とかをレパートリーにしていますが、もう、今にも、ボリューム絞って、ミスター城達也の声が聴こえてきそうです。これですよね、この感じを、ちゃんとアルドリッチ音源とわかって、聴けるところがすばらしい。マントヴァーニのアルバムはじめ、とかく、イージーリスニングもののアルバムのタイトルは、まるで「仮題」のようなタイトルが多いが、このあたりの「脱アーティスト性=プロのエンタテイナーに徹した音源」に触れる思いで、武者震いいたします。しかし、ここ数年のイージーリスニング復刻シーンの状況はすばらしくよくなっていることは確かでしょう。アルドリッチだけでも、結構な枚数、もうCD化されましたからね。

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2005年6月19日 (日)

なんでも、本日は愛知万博最高入場者17万人だったそうで、ケータイでお気に入りに登録している公式サイトで見てみると、夕刻には日立館200分待ち!!3時間20分!! 待っている間に『ディアハンター』観れる!! 往年の三菱未来館(1970)3時間30分まち(並んだ)、ポートピアでのダイエー館4時間待ち(並んだ)を思い出す。

さて、おとといに観たフランス映画祭ものラストは、コスタ・ガブラス監督の『斧』。ガブラスといえば『戒厳令』『Z』『ミッシング』が自分ではイメージなので、硬派を期待してました。久々にガチガチなのもいいかな、と。違いました。ガブラス側からすれば「オレはいつも社会派だ。社会が持つ問題が、時代によって違うだけだ」ときっと言うのだろう。少し前の『マッド・シティ』でもほぼ同じ問題を取り上げたと思われるガブラスだが、今回は、フランス国内のドラマとして、進行させる。一見、「そんなバカな」が続くドラマ。動機から何から何まで、ファンタジー・コメディ的なブラックさを漂わせるが、考えると、現実だって「ええっ」という動機で事件は起きているし、完全犯罪はありえるのか、という問題さえ、「今まで気づかれていないからこそ完全犯罪」ということを考えると、現実に完全犯罪は、かなりの数あるのかも、という想像も難くない。ところで、作品のカラーは、まるで松本清張ものを思わせる。ただ、清張ミステリーなら、きっと、ものすごく思わぬところから、完全犯罪が崩れ去ってしまう構成になるのだろう。それにしても、全体を包む、はっきり、そういう仕草などをするわけではないのだが、ブラック・コメディ的なテイストを持っている。ここは従来のガブラスものからはちょっと違った印象だった。

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2005年6月18日 (土)

行け、生きろ、生まれ変われ

強烈な経歴を持つ監督が、自らが関わっている問題とはまた別の、世界の問題をテーマに映画を撮る、というすごい動機による『行け、生きろ、生まれ変われ』。描かれる土台となる社会情勢は実話であり、その中での、細かなひとつの「あったかもしれない人生」を、その実話の実体験者である青年を主役に撮る、というかなり精神的にも過酷ではなかったか、と思わせる発想。「社会情勢を切り取るため」に映画はある、というのもひとつの側面で、今回の映画が甘いのか素晴らしいのかわからないが、主人公の少年を常に暖かく見守る女性たちが多くいる、という設定だ。ここで「君を愛してくれている人は、世界にこんなにもいる」という考えと、「そんなに甘いはずがない」という懐疑が生まれる。現実は過酷だが、周りの女性たちは暖かい。しかし、本当に、女性たちは、裏切らないのだろうか、なんて考えてはいけないのだろう。そこが、この映画がフィクションであるファンタジー性の一面ではないか、とも思うのですけれど。音楽が、にわかに最近ひっぱりだこのアルマンド・アマール。なんと、この次に上映されたコスタ・ガブラスの『斧』も彼が音楽だ。(ちなみに、共にサントラはリリースされている)。

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2005年6月17日 (金)

フランス映画祭1/3

本日、フランス映画祭で3本(プラスおまけプログラム)。一日で書くには長いので、小出しに。まず始めの『バンリュー13』。バンリュー(郊外)と聞けば、ワル/ヒップホップ・テイストというのは、その昔の(そういえば、10周年ですね、早いですね。何かやらないんですかね)フレンチ・ヒップホップ映画の草分け、マチュー・カソヴィッツの『憎しみ』以来、お約束な気がする。また、リュック・ベッソン・プロデュースものの若者向けアクションものは、BGMはヒップホップ、というのも『タクシー』以来のお約束。そこに、ヤマカシ・チームのようなアクション、『ニューヨーク1997』、『死亡遊戯』のようなシチュエーション、と「笑かしなしの香港アクション」がフランス語で展開される感じ。アクションにストーリーが引きずられていくため、ストーリーの進展は早くないが、編集の妙もあり、アクション映画としては、成り立っている。惜しいのは、主役の彼らがまだほとんど無名なため、「すごいスタントなしアクション」以上に見てもらえないところかもしれない。しかし、トーク・イベントがあるため、仕方がないとはいえ、エンドタイトルが始まるや否や、フィルムが止まるため、「映画をすべて観た」ことにならず、この状況で、あれこれ、言っていいものか迷う。この映画の場合、おそらくトラックだけがスコアとして流れたドクター・オクトパスの音楽をトラックにラップを聞かせてくれたであろう、いろんなナンバーが聴けなかったのが残念。しかし、タイトルのあとに(仮題)とあるということは、日本公開予定アリだな、と見ました。

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2005年6月15日 (水)

湘南モノレールとMON ANGEと質問たち

時間のもろもろの都合で、今日はへんな行動になった。というより、いきなり、16:00すぎから19:00頃まで時間が空くという、「普通、どうやって、この時間を使う?」という状態になり、始め、意味なく「じゃあ小田原まで各停でも乗るか」と思ったが、大船で「湘南モノレール乗り換え」のアナウンスを聞き、「おおっ、湘南モノレール! 乗ってないぞ!」とばかり、飛び乗ることにした。どこが終点かもわからずに。・・・江ノ島でした。雨の江ノ島でおり、さあ、どうしようと思ったら、すぐそこに江ノ電の江ノ島駅があったので、期せずして、日中の江ノ電に。過去、確か2回乗っているのだが、なぜか、真っ暗になってから。鎌倉高校前あたり、あんな、絶景に海見えまくりなの、しりませんでした。さて、今日の本題「横浜フランス映画祭」!!ところで、みなとみらい駅でパスネット入れると、表示は「MM」なんですね。「あいつ、チョーMM」なつかしい響きです。「あいつ、チョーMM(みなとみらい)」。・・・・すみません、知って書いてますので、マジな突っ込みはご勘弁を。

 で、パトリス・ルコント作品のシナリオ・ライターとして有名なセルジュ・フリードマンの初監督作「MON ANGE」鑑賞。その前に、フランス映画祭も5年は来ていなかったので、スポンサーなどが当時とは変わっており、以前のおっとりした感じがなくなり、ちょっとせわしない感じになっているのが寂しい。さて、「MON ANGE」。そうやって観ると、まるでルコント監督の新作といわれても信じそうな見ごたえ。少年と娼婦のロードムービー。核心に触れそうなところで、さっと核心から離れたりする2人の会話が、どうも「会話による精神的セックス」のような感じで、なるほど、こういうことをしたい映画なのだな、と思う。娼婦がヴァネッサ・パラディ。ラストにはトム・ウェイツ。この選曲、ヴァネッサの趣味じゃないかしらん?なんても思う。コリン・タウンズ作のスコアが妙にまるでクストリッツァな味わい。後の質疑応答で、監督とプロデューサーが「無国籍」を強調していたが、その表れが、架空の国っぽい音楽、ということなのだろうか。

 そして、ラスト、質疑応答。何だか、ダチョウ倶楽部のコントを見ているよう。「押すなよ、絶対押すなよ」=(「押せ」)みたいに、「おひとり、質問は一回、一問でお願いします」に、お約束のように、二問、質問していく。この、質問(インタビュー)は、本当に難しく、いつも感じるのは、版で押したように出る質問「監督されて一番難しかった点は」「見どころは」「今回の演技で面白かったところは」といった質問は、質問者にとっては、きっかけにすぎず、その質問の真意は「この俳優は、素では、どんな話しかたをするのか」「どんな仕草をしながら話すのか」といった、まるで会社面接のような見方でおそらく見ているのであって、答えの内容には、重きはないのだろう、ということだ。また、これはインタビューする側にたった時にすごくせめぎあうところだが、質問者には「自分は、あなたのことを他人より、よく理解している」ということを伝えたい、という部分と、それに付随する「おお、それはいい質問ですね」といった質問をしてみたい、という欲求がある。本当は、「される側」には後者だけで十分「このインタビュアーは、自分のことを理解している」と思わせることが出来ると思うのだが、後者に自信のない時に、前者が長ったらしくなってしまう。ここで怖いのは、「君の意見はいいから」的な雰囲気になってしまったらヤバいということだ。今回の質疑応答で、それに相当する質問があったか否かはともかく、これらの、日ごろから考える命題がやはり頭をもたげた数分ではあった。

 ということで、明日は、MMにてフランス映画祭×3!!!!

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イン・ザ・プールと帰郷と夢の中へ

本日は、見る予定だった作品とは違ってしまったが、3本。『イン・ザ・プール』と『帰郷』と『夢の中へ』。テアトル新宿も新宿武蔵野館も、かなり久しぶりだ。映画も、三木監督は別として、荻生田監督と園監督も、個人的にフェイバリット(というわりに全部見ている、というわけではないが)で、心の古巣に戻る感じである。しかも、これ、3本とも、いわば「自分探しに失敗する人間たちの話」であり、いずれもハッピーエンドからは見放される。まあ、ここがメジャーではできないリアルさ、心地よさなのだが、『帰郷』の、自分にとっての冒険をしたはずが、実はそうではなかったあの脱力感は、かなり応える。というのも、自分でも、あれに似た経験はいくらでもある。おそらく、多くの人はそうだろうと思う。荻生田監督の大傑作『楽園』は、東京からは遠く離れた南九州が舞台だったと思うが、今回は、館山、と電車で行き来ができる小旅行的ロケーションである。この、そんな遠くではないが「東京からは離れている」感が、なんともいえない小さな冒険/癒し/切なさを生み出す。『夢の中へ』は、園子温という人が、いい意味で、18年?前と同じような映画を新作として出すことに心意気を感じる。「くさいって、いいよね」旨のセリフが主人公が発するが、まさにそういう映画。20年前は、みんな、あんな感じの映画を自主映画で発表していたような気がする。そして、それは素晴らしかった。『イン・ザ・プール』は、初期電気グルーヴのテイストと似て、恥ずかしさをギャグにごまかしている。それはそれでカラーである。松尾スズキは、主演というよりは、語り部的ピエロ?で、『フォー・ルームス』におけるティム・ロスのベルボーイのようなもの。そう考えたときに、田辺誠一、オダギリジョー、市川美和子のとる仕草の数々は、コメディか、といえばそうではなく、かなりマジである。とすると、この映画、よく考えると、笑えない。変形オムニバスの人間ドラマである。・・・それにしても、最近の日本映画、出演役者数が多くないか、と思う。この2つはメジャー映画だが、『四日間の奇蹟』が例えば、隅々までオールスター・キャストで、ちょっとドラマが拡散してしまうのに対し、『電車男』(妙にこの映画の肩を持ちますが、考えれば考えるほど、結構頭のいい映画だと思えてくる)が、拡散しすぎるのをあえて防いだ絞り方にしているのが印象的である。・・・・そして、これも、役者さんのカラーなので、それぞれ、すばらしいと思いますが、オダギリジョー氏がさまざまな役柄を楽しむのに対し、西島秀俊氏は、どの映画でも自分色を全く消しませんね。それぞれ、「だから、いい」のでしょう。

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2005年6月14日 (火)

結局は酒と旅の空想とイージー

毎月半ばの激忙をやっと切り抜け、かなり、一服の真夜中。ここ数日は、ゆっくり音楽も映画もたしなまず、愛知万博の雨対策が遅れていることに「なるほど、そういえば、屋根は少ないな」と思うぐらいで、それどころじゃなかったり。で、今はキリンクラシックラガーからサントリー北杜、という路線(もちろん、ストレート。ほとんどラッパ飲み)。で、BGMは、あの昨年出たポール・モーリアの10枚組ボックスのうちの一枚。ポール・モーリアの、派手派手アレンジは、上品じゃないところが、この人らしくて好き。「リーチ・アウト・アイル・ビー・ゼア」いいすね。そうやって、時刻表で、岩泉線のダイヤを眺めている。三陸の一日3本しか走らないローカル線で、終点からは、バスを使うしか、うまくその次へいくルートがない、という、わくわくさせる線である。昨年、あこがれの高千穂鉄道は乗ったので、その次に気になっているのが、東北のこの線。北海道もいろいろあるが、なぜか、ちょっとあきらめ色なので、東北の方が燃えている。夏に何とか、日数取りたいが、愛知も、まだまだ行きたりないしなぁ。明日は、3,4本見る予定。

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2005年6月13日 (月)

こういう企画CDがあったら聴きたいシリーズ

今日は、ちょっと趣向を変えて、「こんな企画CDがあったら聴きたい(ほしい)」シリーズ、何連発!!

『TROJAN BACHARACH BOX』

『TROJAN FILM MUSIC BOX』

『DUB MORRICONE』

『DUB KIDA TARO』

『リチャード・クレイダーマン・プレイズ・ベイビーフェイス』

『カフェ・アプレミディ ポール・モーリア』

『カフェ・アプレミディ バート・バカラック』

『カフェ・アプレミディ エンニオ・モリコーネ』

『ボッサ・ジョン・カーペンター』・・・・・

まあマジで希望なものから、そうでないものまで。ジョン・カーペンターのボッサ・アレンジは頭の中で「ニューヨーク1997」が、ジョアン・ジルベルト風に、モリコーネ「海の上のピアニスト」は、レゲエのリズムにすごく乗せやすい、というところまでは発見しているのですが(2005年6月現在、すべて私の妄想です。以上のcdは、現時点で出る予定は全くありませんので・・・)

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2005年6月12日 (日)

PIVIO E ALDO DE SCALZI

本日は、さくっと。かなり、最新イタリア映画通以外、目にさえしたこともないかもしれないコンポーザーのコンビ、ピヴィオとアルド・デ・スカルツィ。よく間違えられるのだが、ピヴィオさんはデ・スカルツィではないようです。兄弟とか親戚ではない模様。2年前ぐらいですか、『炎の戦線 エル・アラメイン』という、ものすごくリアルで地味な戦争映画がありました。砂漠の中で待機するイタリア軍。いつ、敵軍が攻めてくるか(というか、ほとんど攻めてこない)地で、敵は、「敵」じゃなくて飢えや渇き。そうして、次々に心を病んだ状態にされていく中で、突然の真夜中の爆撃。この夜の爆撃のリアルなこと。映画だというのに、何も見えない暗闇で、一瞬光る爆光と、絶え間ないうめき声、叫び声。リアルといっても、本当の戦争を知らないものにとっては「あまりにも甘すぎる」擬似体験ではあるのだけれど。その音楽も、彼らが担当していた。ラストのあまりにも静かに、美しいだけでは済まされない、なんとも知れないメロディ。マジだった。彼らの最高傑作は、自分にとっては、今はねその作品ですが、ほかもエスニック色取り入れた作品で傑作が多い。とりあえず、以上です。

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2005年6月11日 (土)

はじめて書くこと

今までのようなことを書いていて、誤解?されるというか、そんな風に始めには見られない、ということのひとつについて。というのも、今も、(今も)ブログをさかなに焼酎を飲んでいる。さかな、というか、聞き役がブログか(寂しいみたいだな、それは)。それも、今では、面倒くさくなってしまって、テキーラであろうが焼酎であろうがラム酒であろうがバーボンであろうが、いずれも「ストレート」、つまり、ただコップに一回注ぐだけでグイグイのんでいる。よくまあ、これで次の日大丈夫なものだ、と思うが、大丈夫なのです。もともとは、大学時代に、それまで、一滴も飲んでいない(って、そりゃ10代で飲んでないのは、普通だろうが)ところが、いつ、何をきっかけで飲みだしたのかを覚えていないのだが、いつの間にか、大学からの帰り(これもなぜかお気に入りだった)カナディアン・クラブかオールド・フォレスターを買っていた。多分、タイトルがよかったのだろう。自分的には、今飲むと、カナディアン・クラブは甘い気がする。でも、共に自分の中では「旧友」な銘柄ではある。しばらく(カナディアンは、そのカテゴリーに入らないかも知れないが)バーボンにこだわって飲んでいた。かなり、最近まで、そうだった。焼酎は最近からで、あまり、まだなじんでいない。そうだ、ウオッカもいつの間にかフェイバリットなカテゴリーで、冬に「ズブロッカのお湯割り」というやつがたまらなかった。しかし、なんでこんなこと書くかな。どうもサントラ好き(しかもオタク色少し~かなり~入っている?)人間は、アルコール飲まなさそうイメージをとりあえず払拭しておきたかったので。ワインは、未だに苦手なんですよね、飲まないわけじゃないけれど。

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2005年6月10日 (金)

西村由紀江初期のころとか

『電車男』のサントラは、本当に出来がいいと思う。特に、何かを聞かないといけないとき以外は、よく流している。その流れのルーツをたどると、個人的には、西村由紀江女史のデビュー当時のサウンドに行きつく。どうして、あの頃(自分が大学生か高校生ぐらいのころ)に、あのサウンドに自分が遭遇したのか、わからないのですが、おそらく、(これもなぜか)いろんなライブを急に観にいっていた頃で、そこで「いろんなジャンル」の中でたどり着いたのであろうと思われる。関西でのおそらく初コンサート(近鉄小劇場!!)。その頃あたりに、これも貸しCD屋初期の頃で、相当日本もの中心に借りまくっていた(ようするに、その頃以外は、ほとんどCDレンタルを使ったことがない)中で突き当たった中村由利子のサウンドにも重なる。西村(初期)/中村サウンドは、この後、長年に渡って愛聴することになりましたが、彼女たちのサウンドに共通するのは、「ノスタルジック」と「切なさ」がほぼ同義語的な雰囲気でメロディが存在することで、例えば、『電車男』であの感じのメロディが流れるのは、思うに、あのストーリーの頃がすでに懐かしい思い出になっていることを示し、かつ、まるで、今、このふたりの関係は消滅しているかのように思えてくる。意図してか、図らずもかは別として。ただ、映画の製作側と、主人公となった本人たちのその後は関係ないと思われるので、実際にその後どうなっているかはまた別の話で、「映画の世界」だけで閉じると、あれは「今は、このカップルはいない」という前提が無意識的にあるのでは、と思われるのだ。ノスタルジックさと切なさは、自分は好きな感情ではありますけれども、肯定されるべき題材の物語で、この感じは、考えると、戸惑うのでした。現在形として描いている音楽の映画を思い出そうとしているのですが、思い出したときに、また、この話題を。

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2005年6月 9日 (木)

銀河ヒッチハイク・ガイドと炎のメモリアル

今週、無理せずに7本鑑賞!! といっても、残りの曜日は、一本も見られそうにないので、今週はこれで終わり。まず『銀河ヒッチハイク・ガイド』。期待以上!! 始めのイルカから「おお、これはすでになんか違うぞ」とすっかり載せられ、インテリお馬鹿な「モンティパイソン」+「ソラリス」+「オースティン・パワーズ」をアイマックスで観てみたいぞ的ポップ映像万博が2時間弱。よくよく考えれば、哲学にいきそうな考えを、シュールな脱力ギャグに翻訳していく。そしてそこに、ディヴァイン・コメディ・チームの90年代的ラウンジ・サウンド(90年代に一世を風靡した、60年代リバイバル+新しさを目指したラウンジ・サウンド)。デバ・コメというよりは、当時の対抗馬(でもないか)マイク・フラワーズ・ポップスのテイストの方に近いかもしれないが。プロデュースにジェイ・ローチの名が! オースティンとノリを同じくする理由もなんとなくわかる。大傑作!!!

そして『炎のメモリアル』。これは、やっと鑑賞。日ごろから、見たいストーリー/ドラマのひとつとして「最高にハッピーなカップルがいて、そのカップルには破局も何も訪れずにラストまでいくのだが、ドラマとして成立している」という理想系があり(これは、多くのラブストーリーが結ばれるまでの話であり、結ばれてからのイチャイチャをひたすら見せられてなおかつ面白いというドラマは作れるか、という発想。なので『電車男』は違います。結ばれるまでなので。結ばれてからは、カップル用の掲示板に移られたようですし。)、直接ラブものではないが、それに近いと思わせるドラマ?だった。絶体絶命の状態に陥った、正義感バリバリの消防士の、回想。これは「多くの消防士は、ここまでドラマチックでなくとも、このような人生を送っている」と思わせる、日常のエピソードがひたすらに続く。主人公はじめ、ほぼすべての登場人物たちが非の打ち所のない人間ばかりで、ここが『マイ・ドッグ・スキップ』『エバーラスティング』を撮った監督ならではの強烈な「ファンタジー」の部分なのかな、と思う。そこにロビー・ロバートソンのロック・バラード。「できすぎた日常」は、夢見るに足りるファンタジー、ということだ。

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2005年6月 8日 (水)

四日間の奇蹟、と、バッド・エデュケーション

本日、ようやく見た2本について。いずれも、演出法の話などは抜きに一旦するとしまして、テーマ的な話を。どうして、こうも「愛と死」ばかりで、みんなは「感動」させようとするのか。感動できない「愛」はあるかもしれないが、感動できない「死」は、ないんじゃないか、と自分としては思う。「死」は、「永遠の別れ」の同義として使われている。今日見た2本は、しかも、いずれも「初恋」がきっかけになっている。前者は、その理想は砕かれることなく、後者は砕かれる。『四日間の奇蹟』は、ドラマがあの体裁なのに、すごく素っ気無いタイトル。このストーリーは、何も言わず気づかれずに終わる恋愛が、普通ありえないきっかけで表に表れる話である。2日前鑑賞の『ウィスキー』は、さまざまな心境を表すきっかけは生まれないままに終わるストーリーだが、『四日間』の主人公たちには訪れる。しかし、日本メジャー会社の中でのトリッキーな純愛映画(死も絡んだ)は続くなぁ、と。『バッド・エデュケーション』は、ラスト近くの、フィルム・ノワール映画祭みたいなものをやっている映画館に入って「どの映画も俺たちみたいだ」といわせるセリフが、アルモドヴァル自身が、観客が「この映画のジャンルは何?」と戸惑ってるのにアドバイスを与えたかのように聞こえた。ドラマのきっかけは「愛と死」が多いが、「感動」を考えなければ、そこに「嘘」や「裏切り」が有効なスパイスとなる。一見、感動の話が「嘘」で、その影を薄くしていく。主人公の映画監督は、初恋の相手だった青年の死と退廃を、あれほどまでにクールに受け止めるのは、なぜなのだろう。青年の死よりも、青年の弟の裏切りにこだわるのは、なぜなのだろう、それらは「人間は複雑だから」で済む話なのだろうけれど。『トーク・トゥ・ハー』、まだ観てないんですよね。多分、「愛と死」はあるけれど「嘘と裏切り」はないドラマなのだろうなぁ。

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2005年6月 7日 (火)

アルベルト・イグレシアス

今日は『クローサー』を観たのですが。「ですが」なんて「が」というところで、すでに深いことは書かない方がいいというか何というか。もともとが舞台劇を原作にするものだから、そうなるのは当然なのだけれども、『ウィスキー』の両極にあるような表現に、ただただとまどいを覚える、というか、美男美女たちがそういうドラマを演じるから、名優たちが演じるから、感想の出せない「完成品」を見た気分になってしまう。ということで、・・・・・気分転換で、2003年にオリバー・ストーン監督がスペインで作った!?映画で、なんと日本公開されていない映画『COMANDANTE』のサントラを聴くことにする。というか、この映画の存在、記憶の奥になってました。引っ張り出しました。で、いまや、スペイン映画のサントラといえば、この人、になってしまっているアルベルト・イグレシアスが音楽で、ここに興味を示す。いつもだとアルモドヴァル映画で、奥に控える音楽を書く人ですが、今回のはドラムンベース風とかラテンばりばりとか、無機質辛口ながら、ちょっと違う。まあ、サントラにはブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブなども入っていたりするが、というかほかもベニー・モレーとかアルセニオ・ロドリゲスとか老舗老舗なナンバーがずらりずらりなのですが、これらが入ったサントラがオリバー・ストーン映画のサントラなのだ、というところで、ちょっと不思議な感じがする。ちなみに、イグレシアスの個人的傑作と思うのは『アナとオットー』などのフリオ・メデム監督もので、メデムといえばアメナバールともつながりがあるので、その辺で、ちょっと点数甘くなってしまうのかな、とも思ったりする。アメナバールは自身で音楽ができてしまうので、別の作曲家に依頼することがないが、あえてアメナバール監督作で音楽イグレシアス、というのも観てみたい気がする。マイク・フィギスでも、自分で音楽をせずにマーク・アイシャムが音楽をつけた作品があったのだから。ところで『クローサー』のラスト、まるで『ユージュアル・サスペクツ』でしたね。

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2005年6月 6日 (月)

ウイスキーほか

こんな日でも2本、勢いで鑑賞!!つまり、夜から2本。まず『ウイスキー』。ウルグアイ映画、という時点ですでに激しく惹かれていたのですが、予想とは違った作品で。というのも、これは、観る人によって大きく違う映画なのかもしれないが(というか、すべての映画はそうだろうけれども)、自分には、コメディ味より、人生のドラマの苦さばかりが味わえた。つまりは、ものすごく寡黙な主人公たちがたどる心の軌跡が、男の考える幸福と、女の考える幸福は、根本的に相容れない?的なものから、さまざまな葛藤があろうはずなのに、それらを皆、自分の中で閉じ込めて、ドラマを積極的に展開させずに終わっていく人間。多くの「自分がこうだったらいいのに」的な夢のドラマに対し、あまりにも「自分がこの立場だったら、おそらく同じ行動になるのでは」的リアルさが襲う。そう、私は、小心者でございます。そのひとつの典型例が、来る日も来る日も、同じタイミングで同じことをする、というルーティンワークの描写。カット、アングル、タイミングまで、何度も同じものを繰り返す!! そして、あの唐突で、多くのその後の観客論議必至にさせるエンディング。すばらしかったのは、何気なく写した外景で、通りの向こうに見える青い海。こういう町で展開しているドラマなのだ、ということが一瞬わかる。おそるべき控えめな映画です。そして、その勢いで観たのが『シナリオライター松本マリコの課題』。時々、何の理由もなく、「これはすごく、凄い映画かも知れないぞ」ともう一人の自分がささやく映画があるのだが、これはその一本。かなり、観ている間、正直なところ、居心地が悪かったです。なんというんでしょう、始めに心がまえた以上に、すごくトリッキーでいっぱいいろんなものをとりこんで、なおかつそれを理解しやすく消化している凄い脚本だとは思ったのですが、「セリフ」という直接的な部分で考えると、あまりに聴いているのも恥ずかしいセリフの連続、になってしまっているのが、要因が脚本なのか、演技(演出)なのか、どちらに責任があるのかわからないのだが、ストーリー自体は、巧妙に組み立てられたクレバーさを感じるがゆえに、このストーリーをもっと自然なセリフで綴られたらものすごくなっていたのかなぁ、と思いました。というか、ひょっとしたら、シナリオライターとかドラマの監督とか、その周辺の女ともだち、とか、そういった人種??の方とお話したことがないので、こちらが誤解していて、実は、こんなセリフのやり取りは「リアル」だったりするのかも、という可能性もあるかも、とは思いました。

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2005年6月 5日 (日)

リチャード・クレイダーマン。

正義の味方、クレイダーマンだ!! 70年代後半から、80年代にかけて、もう、イージーリスニング真っ盛りだった時代にティーンエイジを過ごした人間にとって、・・・・といっても、中学時代に「ジェット・ストリーム」と「アスペクト・イン・クロスオーバー」が愛聴番組だった人間はそんなに、というか皆無で、すでに、中学にしてオヤジ趣味だったわけですが・・・リチャード・クレイダーマンの名前は、真剣にお伺いしてしまいます。今年「ニュー」という新作が出まして、あの年代のアーティストで新作を出す方が、すっかりいなくなってしまった中での新作発表で、ちょっと驚き。で、イージーリスニングといえば、その時代のポップス・ヒットを自己流にアレンジして聴かせるのが醍醐味のひとつなのですが、最近だとイージーリスニングにとってかわったニューエイジ/ヒーリング的ジャンルのアーティストの方々は、まず全てオリジナル曲のため、ここで、いわゆる"イージーリスニング"とは一線を画してしまう。例えば、西村由紀江さんがバート・バカラック作品集とかは、発表しないわけです。ここが、従来のイージーリスニング・ファンが満たされないところなのですが、クレイダーマン氏は、もともとはじめから、自分用のナンバー(自分では作曲せず、作曲はポール・ドゥ・センヌヴィルとオリヴィエ・トゥーサンによるもの)が多くを占めていたため、ほぼオリジナル新曲でも違和感がなかったといえば、なかった。でも、以前の「イージーリスニング」なテイストに縛られない曲が顔をのぞかせるようになったのは確かで、これは、クレイダーマンといえども、年齢を重ねた中で出てきた趣向なのだろうな、とは思いました。盆栽とかいじってるのかなぁ、まあ、別にいじっていてもいいんだけど、って、ヒトのこと言えない趣味だしなぁ、自分も。

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2005年6月 4日 (土)

岡崎律子の音楽と歌について

「アニ・ソン」というジャンル?がある。そのジャンルで活躍しているアーティストは、いまや、ものすごい数で、作曲家やヴォーカリスト、バンド含め、さまざまな才能の人たちがいる。どうも、(それは"アイドル"というジャンルもそうだし、"アニメ"というジャンルもそうだと思うが)なかなか、ちょっと言い回しが違うかもしれないが「敷居が高く」なってしまうのではないか、と感じている。しかし、菅野よう子、梶浦由記ほかのアニメ中心の作曲家への興味から、次第に他アーティストも聴くような身になった人間としては、新作が、もう聴けなくなってしまった状況で、岡崎律子サウンドの何たるかがわかりだして、悔しいというか、いいようのない思いになった。最近も、特に自分の中できっかけがあったわけではないが、2003年作品「LIFE IS LOVELY」を聴く。この人は、アニメ関係中心に曲を提供し、歌った人だけれども、それによって、「もっとこのサウンドに出会うべき人たち」がきっかけを失いかけているのではないか、と思う。いわゆる「アニ・ソン」には、直接的にそのアニメの題材を歌うもの、もしくはそのテーマを歌うもの、そして全般的に癒し的な内容をラブストーリー的に歌うもの、が主流を占めるが、この人の歌は、もう少し抽象的なもので、必ずしも「傷ついた人間(多くは男子限定か)を癒す」ものではない。あまりにもユニークな歌声と、決して「さあ、元気を出して!」系では絶対無いサウンドは、時には、癒しどころか、聴くものをかえって考え込ませる。この人の作る、全体的に悲しげなメロディもそうである。さまざまなアニメの題材の中から、これらのサウンドは生まれたのかもしれないが、これほどまでに個性的なサウンド(完成度というものの尺度がわからないので、あえてその言葉は使わないとして)は、もっと広く、音楽ファンに聴かれるべきなのだろう、と感じた。・・・・多分、アニメ・ソングに限らず、「知られるべき才能」は、さまざまな分野でいるのだろうと思うが、大事なのは、そこで誰かが気づくかどうか、ではないだろうか。

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2005年6月 3日 (金)

箱根登山鉄道のすごさ

旅行ってカテゴリーもおこがましいですが・・・なにしろ、自宅から2時間でたどりつける範囲の路線なもので。しかし、死角でしたねぇ、箱根登山鉄道。ふっと「そうだ、今日は、あれに乗ろう!」と思って、来れる範囲なのですからね。しかし、すごかった。小田急と乗り入れた箱根湯本で乗り換えてあとの路線。もう、いきなり、ものすごい坂。景色がすでに斜めになっている。とにかく急な坂の連続で、途中、「ここは日本でもっとも勾配の高い鉄道の坂道で、運転手の位置と車掌の位置で、2メートルいくらの高さがちがいます」旨のテープが流されていたりする。しかもスイッチバック5回!! 本格的なスイッチバックに乗ったのは、今まで記憶がなかったので、立続けに出てくると、唖然である。しかも、小学生の遠足とかちあってしまい、「スイッチバックうんぬんかんぬん・・・・」のテープが流れると、「スイッチバックスイッチバック」と騒ぐ騒ぐ。そんなこんなで終点までたどり着き、そこから10分ほどケーブルに乗ったが、まだ、その先にロープウェイと、連絡船が!! そこまで、日帰りでは無理なので、ケーブル終点から引き返す。戻った箱根湯本で一旦外に出て、駅の近くのそば屋さんで、山掛けそばを食べる。薄味でメチャメチャおいしい。店のテレビからは、ピアノマンのニュースが流れている。のどかな時間だなぁ、と我ながら思う。でも、こういう夕べをすごしながら、別に温泉で泊まるわけではなく、このまま帰るわけである。・・・地図を見ると、関東には、まだ未乗のケーブル線が3つある。次のプチ旅の目標は、このあたりだな、と確信する・・・・・

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2005年6月 1日 (水)

電車男とリンダリンダリンダ

今日は、ついに箱根登山鉄道体験!!で興奮しているが、これは後日書くとしまして、まず、これは昨日見た2本(きのう、実は合計4本見ている)『電車男』『リンダリンダリンダ』について。この2本には、共通点がある。ドラマには「起承転結」というが、この「転」がないのだ。だから、ダメというのではない。不思議なストーリーだ、ということだ。そしてリアルだ、ということだ。『電車男』では、細かい"転"が何回も現れる。しかし、それは主人公が"転"だと思っているだけで、実は転ではない、というものである。そして『リンダリンダリンダ』は、大きな"転"がしょっぱなにある。このストーリーのユニークさは、"結"の部分だけをとりあげたドラマだということだ。いや、なので、ドラマ性もかなり薄く、「日常を切り取った」感覚に近い。で『電車男』に話は戻すが、これは原作?本(もともとの2ちゃんねるのリアルタイムでの展開を知っている方しか、本当のところはわからないと思うが)にもどんでん返しはない。ずっと、主人公、そして読者?の期待通りに進んでいくといえばそうである。この場合は「現実であった」というところがやはりミソで「こういうことがありうる」という、フランス映画でもよくある「さえない中年男と美女」や「疲れた女とイケメン」のなぜかのラブストーリーと立ち居地は同じくしてくる。映画での処理だけに限って考えると、かなり「プチ森田芳光」的演出を試みているが、果たして、説明なしで理解できる人はどのぐらいいるか、という疑問も少しあった。とはいえ、ネットの掲示板の意味さえもわからない人は、そもそも、このストーリーに興味を持たないだろう、と自分で答えを出す。映画版でよかったのは、はげましていく「外野」のドラマを作ったことだろう。ほとんど、実際の声を出す場面はほとんどなく(国仲涼子に至っては、セリフを実際に言うシーンは1つだけでは?)、ひたすらパソコンに向かう目にセリフがかぶさる、という考えてみれば画期的なものだ。いわば「すごい処理を普通の演出として使う」テクニックであろうと思う。服部隆之の音楽は傑作。

 そして『リンダリンダリンダ』。さすが、映画好きこうじての20代の監督。長回し多い!! 固定カメラ超多い!!というか、ほとんどそう!! この意味でも「彼女たちの思い出の3日を切り取った」感が際立っている。もう、冒頭の教室を横切っていく長回しから「おお、これは『ブギーナイツ』の平行移動か!」と思い、どこでカットに入るのかが気になった。かっこよかったのは、軽音楽部室のドアが開いていて、そのドアの外から、彼女たちのまったりとした練習光景を写しているシーンで「おお、これをやりたかったんだな」という感じがありありでした。それにしても、固定カメラで長回しなので、つまりは「10代の女の子の表情をじっと見る」映画です。部室のシーンなどを考えても、かなり「のぞき」的な映画ですね。しかも、その「のぞき」自体が、ちゃんとモチーフになるシーンもいくつか登場するし。とはいえ、のぞかれることを肯定し、4人が秘密を共有しているという設定は、理想ですね。そういうところが「思い出の3日間」なのでしょう。そういう映画なので『スウィング・ガールズ』とはめざす着地点が違う。なんか、質感としては、『台風クラブ』を思い出したのでした。

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MASKED AND ANONYMOUS

またまた、これはもう公開されないだろうと思っていた映画がスクリーンでかかる。『ボブ・ディランの頭の中』というすごい邦題となった「MASKED AND ANONYMOUS」。サントラは2年前、つまりアメリカ公開時に出ており、ボブ・ディランのカバー集、というのに正直、さほど話題にならず、正直、ノーチェックに近い状態で、知り合いの配給会社の人に尋ねても「公開されないんじゃないか」の答えが当時多かった。そして2年。伝説のカルトは、こういう形で、陽の目を見るわけで。ボブ・ディラン自身が出ているとは聞きながら、脇役だろう、と思っていた。ジャケットにも控えめに写っている。違った、全然主演だった。しかも、予想通りの、スターたちの参加ぶり。そりゃそうだろうと思う。ジェフ・ブリッジス氏に至っては<ボブ・ディランに殴られるシーン>があるのである。ボブ・ディランに殴られる!!!!! そんな幸福に見舞われなくとも、「ボブ・ディランの映画の出演依頼が来ている」とならば、快諾しないはずがないだろう。結果、ものすごいオールスター・キャスト映画なので、映画ファンはそれでもニヤニヤするだろう。さて、別に脚本のクレジットにボブ・ディランの名はないし、自分自身、ボブ・ディランの歌をそれと知ってソラで覚えている曲は恥ずかしながら一曲もない人間なので、ディラン・ファンがどの辺でニヤニヤするのかはわからないけれども、破綻に近いストーリーを紡ぐセリフのひとつひとつが、通常の映画では許されないカッコよさに満ちているのは感じた。こんなセリフばかりが続いても、観続けられるのは「ボブ・ディランの映画」と認識してみているからだ。それにしても。カバー・アルバムとは聴いていたが、ソフィー・セルマーニやアルティコロ31までが参加していたとは!!! 逆に、純粋なロック・ファンにはわかりにくいメンツになっていたのかもしれない。さまざまな意味で、二度とありえない、今後も伝説化していくプロジェクトではあったのだろう、と思った。

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