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2005年8月20日 (土)

カプリコン1

同じ年代の人は共感されるかもしれないが、『カプリコン1』は、自分の中で冷静に判断できない一本ではある。浜村淳氏のラジオ番組(朝日放送、確か平日22:00)「ハイッ、浜村淳ですABC」の試写会にあたり、初めて試写会というものを経験したのが、この映画。当時中学生。その時から、大学生時代まで試写会に通いまくることになるのだが、何しろ、そんな多感な時の一本。しかし、そんな贔屓目なしでも、この頃までの大作サスペンスは、「プロットで勝負」なところがあった。『カサンドラクロス』もだが『カプリコン1』も、とにかくストーリーが凝っていた。「ナバロンの嵐」あたりまで見られた"戦争作戦もの"の流れを汲むかのような、巧妙なストーリーが必死で考えられていたと思う。このオリジナルなサスペンスに関して、明快でありながら、表現に富むゴールドスミスの音楽がつけられていたのだった。今、この映画の話を書くのは、そのサントラ音源盤の限定プレスCDをゲットしたからで、・・・あの頃の方が、映画人のクリエイティブ度は遥かにあった気がする。今は、原作もの、パート2,3があふれる時代になっているが、ストーリーに関心してしまう作品は、ほとんどない。CGは、ほぼすべてのことを可能にしたかもしれないが、「CGによって可能になったストーリー」を書くのではなく「面白いストーリー」を書くのが、先じゃあないのか。偶然、CGを使う箇所はほとんどなかったとしても、ものすごく面白いストーリーならば、ぜんぜん問題ない。そういえば、今は「映画はキャラクターの時代」だとは思える。魅力的?なキャラクターを想像すれば、あとは、ストーリーは多少雑?でもかまわないという感じで、この感じが70年代の映画と違うのではないか。70年代の映画のキャラクターたちの多くは、ストーリーテラー以上の持ち味を消していることが多いと思う。『カプリコン1』にしても『カサンドラクロス』にしてもそうだ。それは、ある意味ゲームの駒的な存在でしかない、という見方もされるかもしれないが、世の中、人間という人間すべてが「個性が強い」わけでもないので(強い弱いの判断が不明だが)、それはそれで成り立っているのだろう。しかし、味のあるキャラクターを動かしさえすればいい、というわけでは全くないのだ、というのが70年代映画で育った人間は考える。

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