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2005年8月28日 (日)

チプリアーニの新譜

以前にも書いたかもしれませんが、私が「一番好きなミュージシャンは?」と聴かれた時に答えるのが「ステルヴィオ・チプリアーニ」である。今となっては、この答えでおお、とわかる人はまずいない、という現実がある。そして、なんとチプリアーニの新譜が出た。「PIANISSIMO」と題された、全編、チプリアーニのピアノと美しいストリングスがゆったりと共演する、超正統派イージーリスニング・オーケストラ・アルバムである。そして、こんなサウンドこそ「うっとり」という形容が一番ふさわしい。死ぬほどチプリアーニ・サウンドを学生時代から浴びてきた自分にとっては、そのメロディのうねり具合がかわらないところに、感動さえ覚える。それまで、全く多くのサントラ・ファンからも忘れられかけていたかもしれない彼の名がこの2年ほどで『殺人魚フライング・キラー』『刑事マルク』『ラストコンサート』そして日本編集のオムニバス2枚、と立続けにリリースされ、ご本人もびっくりして喜んでいたと聞きます。来日したい、とおっしゃっていたという噂も。ほかのイタリアン・コンポーザーにはない、あまりにものロマンチシズム。甘さ大爆発さが新作でもわかりました。ちなみに、この新作は、「ベニスの愛」の再演で締めくくられますが、このスウィートさとノスタルジックさが、やはり、この人のライフワークだったのかな、と思いました。涙も出てきます。いや、本当に、かなり個人的なものです。

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2005年8月26日 (金)

リトアニアのガール・グループ

最近、あれやこれやで3日に一回ぐらいしか書いていない。今回は、もう、1か月を切った愛知万博にまたまた来襲していたからです。もう、パビリオンの前に立てば、中の展示がどういうものだったかイメージできるぐらいになってしまい、変化していない展示物に関しては、「確認」みたいになってしまうが、やはり、ほとんどのパビリオンでマイナーチェンジがある。そして、今回は、企業パビリオンも何館か再入館しましたが、面白いスーベニールが多分、増えていました。へんなところばかり、チェックしようとしてしまうこちらもこちらですが「MADE IN NEPAL」とちゃんと書かれてあるTシャツ。リトアニアのCDが飾ってあった中で、(普通は、当地の民俗音楽みたいなCDを買うんでしょうが、こっちはそうじゃなくて、当地のポップスが聴きたい)リトアニアではスポーティなスパイス・ガールズ!?みたいな「MOKINUKES」という女の子6人組のCDを購入。それっぽいのは、それだけだった。あとは、民俗音楽っぽいのや、正統派っぽい男性シンガーのようだった。そういえば、すっかり馴染みの店?になってしまったスリランカ・カレーのレストランで、インドディスコ風「ブラジル」、という不思議なナンバーが流れていた。スリランカ・カレーの店なのに、BGMで「ブラジーーール」と歌われているので、どうもおかしい。キューバでは、レゲトン「ガッソリーナ」が流れていた。これも、そうかもしれないがウーン・・・でも、ネパール館で、伝統音楽じゃなくて、普通のネパール・ポップスみたいな男性シンガーの曲が流れていたり、その辺はほほえましいのだが、なかなかそのテのCDは売り物にはなっていない。それにしても、何だか、楽しみ方が、どんどん、隅の隅の方になってきましたな・・・・

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2005年8月23日 (火)

八戸線とビル・コンティ

何のことはない、八戸線のDVD流しながら、ビル・コンティについて書こうとしているだけです。いいですねぇ、路線まるまる写し系のDVD流しっぱなしは。メロディを聴くにも疲れている時の適度な雑音(自分の場合、雑音じゃもちろんないんですけれど)時々、画面に目をやると、まあ大体、絶景が続いているし。ヴァーチャルな「旅の途中で書いている日記」な感じです。さて、ビル・コンティ。『フィスト/ふたりでスローダンスを』のサントラCD化記念に、ちょっと書いてみます。まず、自分の祈願CD化のコンティものは『ハリーとトント』『結婚しない女』『アンクル・ジョー』『勝利への脱出』そして『グロリア』。『探偵マイク・ハマー 俺が掟だ』『バッド・ボーイズ』(1983の方)もかな。『ハリーとトント』は、全未CD化ものの中で、一番に挙げたいぐらい自分の中ではランクが高く、トータルに見るに、この人は、庶民的な感動のメロディ、という部分で際立つ人だったな、と。今回CD化なった「ふたりでスローダンスを」と肩を並べるのは「アンクル・ジョー」かな、と思うが、多くに共通するのが、「一週間か二週間しかロードショーされなかった映画、もしくは地方併映しかされなかった映画」が多いことだ。一度CD化されているので書かなかったが、「パラダイス・アレイ」も、その類に入る。今回のものは、ともに旧ユナイトのサントラだから、「アンクル・ジョー」も可能性ありか。ゴトンゴトン。

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2005年8月20日 (土)

カプリコン1

同じ年代の人は共感されるかもしれないが、『カプリコン1』は、自分の中で冷静に判断できない一本ではある。浜村淳氏のラジオ番組(朝日放送、確か平日22:00)「ハイッ、浜村淳ですABC」の試写会にあたり、初めて試写会というものを経験したのが、この映画。当時中学生。その時から、大学生時代まで試写会に通いまくることになるのだが、何しろ、そんな多感な時の一本。しかし、そんな贔屓目なしでも、この頃までの大作サスペンスは、「プロットで勝負」なところがあった。『カサンドラクロス』もだが『カプリコン1』も、とにかくストーリーが凝っていた。「ナバロンの嵐」あたりまで見られた"戦争作戦もの"の流れを汲むかのような、巧妙なストーリーが必死で考えられていたと思う。このオリジナルなサスペンスに関して、明快でありながら、表現に富むゴールドスミスの音楽がつけられていたのだった。今、この映画の話を書くのは、そのサントラ音源盤の限定プレスCDをゲットしたからで、・・・あの頃の方が、映画人のクリエイティブ度は遥かにあった気がする。今は、原作もの、パート2,3があふれる時代になっているが、ストーリーに関心してしまう作品は、ほとんどない。CGは、ほぼすべてのことを可能にしたかもしれないが、「CGによって可能になったストーリー」を書くのではなく「面白いストーリー」を書くのが、先じゃあないのか。偶然、CGを使う箇所はほとんどなかったとしても、ものすごく面白いストーリーならば、ぜんぜん問題ない。そういえば、今は「映画はキャラクターの時代」だとは思える。魅力的?なキャラクターを想像すれば、あとは、ストーリーは多少雑?でもかまわないという感じで、この感じが70年代の映画と違うのではないか。70年代の映画のキャラクターたちの多くは、ストーリーテラー以上の持ち味を消していることが多いと思う。『カプリコン1』にしても『カサンドラクロス』にしてもそうだ。それは、ある意味ゲームの駒的な存在でしかない、という見方もされるかもしれないが、世の中、人間という人間すべてが「個性が強い」わけでもないので(強い弱いの判断が不明だが)、それはそれで成り立っているのだろう。しかし、味のあるキャラクターを動かしさえすればいい、というわけでは全くないのだ、というのが70年代映画で育った人間は考える。

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2005年8月17日 (水)

メタリカ 真実の瞬間

ハードロックというジャンルは、自分のテリトリーではなかったので、そういう意味でも新鮮である。昔は、『レッド・ツェッペリン 狂熱のライブ』とかロードショーでかかっても興味を覚えなかったのだが、今は、自分が知らない分野のドキュメントなどは、非常に見たい。で、少し、製作時も噂は聞いていたは聞いていたのですが、日本で映画館で見れるとはさすがに思っていなかったので、これは感謝です。レイトショーながら満員でした。ほとんどが、そのテのTシャツ着たアンちゃんだったので、メタリカのことは結構知り尽くしているファンが大半でしょう。・・・・で、これは、「ひとつの共同体の信頼の危機に出くわしたときの対処について」の明らかなひとつの提示。それも、ペットを飼うだの、なんだのかんだの、のフィクションがとりそうなヤワなものでは当然なく、「大金払って、一流のセラピストを雇う」という、すごくある意味ビジネスライクなものだ。しかも、面白いのは、後半では、メンバーたちと、そのセラピストとの信頼関係、そしてドキュメント製作クルーとの関係にも言及する。つまりは、この「メタリカ再生プロジェクト」が、再生成功しないと、金銭的にも、エライことになるわけである。かなり、思い切ったギャンブルで、つまりは、そのギャンブルに勝ったからこそ、このドキュメンタリーは公開されているわけだし、すでにニューアルバムが世界中で大ヒットとなった既成事実があるので、その過程を見るわけですが。それにしてもマジである。こういうのをガンガン見せ付けられると、フィクションが提示するドラマの領域は、どんどん狭くなっていくだろうな、と感じる。それこそ、先日の『埋もれ木』のようなストーリーを超越したアートのような創造物の方にこそ、可能性があるのじゃないだろうか。というか、ここ最近の、見るべきフィクションは、『埋もれ木』的なエッセンスをどこかに持ったものなんじゃないだろうかな、とも。

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2005年8月13日 (土)

今はメロディの時代じゃないのだろう

イージーリスニングというジャンルの音楽を聴いていると、いつも思うことですが、「本当に、この頃の音楽は、名曲というものを大切にしていたなぁ」と。おそらく、権利的なものなどでのしがらみも、以前よりすごく難しくなっているから、というのもあるでしょうが、70年代ぐらいまではよくあった「最近のヒット曲のカバー集」みたいな企画は、一切なくなってしまった。イージーリスニングやイージーに属するヴォーカル、というジャンルが新しく進化しないことがその要因にあるのだろうが、ラウンジを標榜する新しいアーティストも、そのほぼ全てがオリジナル楽曲で勝負するため、楽曲だけが、いたずらに(すみません、こんな表現で)増えていく。そして、メロディというものも消費され、人の心に長く残ることがない・・・・なために、未だに80年頭ぐらいまでのナンバーが「スタンダード」として歌い継がれ、演奏されていくのだ。カーペンターズ、バカラック、ビートルズ・・・・の楽曲を愛したように、今で言うと、U2とかスティングとかベイビーフェイスとかRケリーとか・・・の楽曲が様々な形で演奏されることがない。「誰某プレイズ・スティング」とか聴いてみたいですけれど。イージーというジャンルに、何か壁を感じるのは、ここなんだと思う。岡崎広志「リヴィング・ジャズ・フィーチャリング」を聴きながら思う。今は、ジミー・ウェブの「恋はフェニックス」を歌ってらっしゃる4曲目だ。この録音が71年。そう、こういう感じの企画のことなのですが。今という時代がおしゃれじゃない、というのもあるのかも。「誰某シングス2004」。曲名浮かんでこないですからね・・・・・

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2005年8月12日 (金)

埋もれ木

さて、『埋もれ木』である。大学生時代、「めちゃくちゃやなぁ」という感想がほしくて、わざと、文脈をバラバラにした文章(論文?)をクラブの発表会(みたいなもの)で書いた。まあ、ちなみに、内容は、タンジェリン・ドリームについて、だったと思います。で、何も、反論みたいなものがこず、聞き返すと、「えっ、これ、全然まとまった文章じゃないの?」と疑問がられ、えっ、とこっちがショックをうけた・・・そんなことがあったのですが、それに似たものがこの映画にはあるのである。シーンとつぎのシーンの脈絡、そして、登場人物たちの会話の脈絡、これらが、一見、相当難解と言うか、なぜ、その会話のつぎの会話がそれなのか、理詰めで考えると、さっぱりわからないようなシーンがひたすら続き、日常から、少し、現実離れした設定がひたすら続いて、浮遊感を覚えつつ、2時間弱。ストーリーという形で語るのは難しく、でも難解な映画を観ている気がしない。この感じは、かなり映画みてないとわからないのかなぁ。なんだろう、こんな感じだったのは、自分の思い過ごしかもしれないし。ものすごく不思議な映画ではあるな、と思った。でも小栗監督の映画って、こんな感じだったかどうかが、「泥の河」「伽耶子のために」を見たのがいにしえのため、想いだせない・・・・・・・

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2005年8月11日 (木)

夜の真岡鐵道

一ヶ月に一度になってきましたか。いきあたりばったり鉄道の旅。今日は、誤算でした。渋谷で『埋もれ木』を見てまして(これがまたクセモノ映画で、それについては後日)、終了が14:40分。時間が中途半端?なので(何に対して!?)、「ちょっと乗りに行こう」となる。もうひとりの自分に。なかなか制覇していない、茨城、栃木方面である。狙いは、真岡鐵道。時刻表(ポケット版しか、今日はもっていなかった・・・)を見ると、取手まで40分で出て、そこから、下館経由で、茂木・・・と。さあ、ここで何が誤算だったかというと、取手から下館って、関東鉄道、まるまる1時間30分かかる結構な路線なのであった。そんなことはきづかず、取手の東急ストアの1Fのいかにも、カジュアルなセルフ・サービスなラーメン・コーナー(でもどら焼もかき氷も置いている、といった感じのところ)で、「ごめんね、これだったら作れるから」と、初め塩ラーメン頼んで、もうないんよ、といわれ、五目ラーメンを作ってもらい、ごりごりのキャベツがいっぱい入って美味なラーメンをすする。こういう、気取り度ゼロなところでの食事は至福感いっぱい。ここで17時少し前ぐらい。ここから、かかるんですよね。でも、この取手から下館への鉄道、これ、かの「下妻」通る線なのです。水海道で乗り換えて、ワンマン(ところで、ディーゼルカーです!久しぶりに!)のレールバスに。地元の女子中学生とか、下妻周辺では乗ってきて、そのままな雰囲気だなぁ、とおもってしまったり(でも今は夏休みなので、学校のある時は、こんな時間帯、本当は学生だらけのはず)。車窓は、もう、ど平野なので、田んぼ、家、家、田んぼ、という感じで、ダイナミックな景色こそないけれど、癒される。このあたりで、果たして、この調子だと、今日じゅうに帰れるのか!?と不安になり、時刻表をくりまくる。残りは、余裕のない旅だということだけがわかった。下館で、本当は今日のメイン・イベントな真岡鐵道18:52に乗車。すでに、真っ暗なりかけ。しかも、このレールバスが微妙なあかりの明るさ(それもいい感じだったので、それはそれでよかったのだが、ぶっちゃけでいうと「薄暗い」という表現の方があたる明るさ)の車内。もう、途中からは真っ暗なので、仕方なく、ケータイでマピオン・マップで、今、どの辺を走っているのかを確かめたりする。真っ暗な茂木駅終着は20:01。乗っていた学生たちが、おそらく家族の人たちが迎えに来たのであろうクルマに乗って去ってしまうと、そこそこの駅前広場が、本当に真っ暗になる。まだ、最終列車が終わっていないのだけれど、つぎの列車がつくまでは、また、何分もある。でも、暗がりを確かめても、昼でも食堂とかはなさそうだとわかる。10分後に発車する折り返しに乗る。これは、次回は、小山まわりで来て、昼に来なおそう。といっても、この界隈は、8/24のつくばエクスプレス開業で、いずれにせよ、つくば博記念公園探索も含め、来茨予定なんですけれど。

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2005年8月 9日 (火)

ニライカナイからの手紙

少し前に、「トップランナー」の再放送で、蒼井優様が出ておられたが、その彼女主演の『ニライカナイからの手紙』。実は、見てません。まだ。ごめんなさい。さて、サントラを入手。当初予定のなかったサントラが、かなり後でリリースになった。おそらく諸事情(これは、聞いた話ですが、作曲者名をCDの表(買わなくても見れる部分)に表記すると、作曲者への権利料が変わるとか何かで、契約的にややこしくなったり、アルバム制作費がかさんでしまったりするので、作曲者名を表記しない、とか何とか。つまりは、作曲者名を明記しないことにも理由があるということです)で、表記がないのだが、開けると書いてあります。クリストファー・ヤングの助手されていた、中西長谷雄さんじゃないですか!! すごく、機微に富んだ丁寧なメロディ、そしてやさしいストリングスとシンセサイザーのバランス。今回の音だけで聴くと「ヴァレリアン」の頃のフィリップ・セスを思わせる。そして、確かに、スタッフに岩井俊二組の方が多かった映画らしいが、岩井映画サントラと似たものもある。それにしても、本当に丁寧な作品。ポスト、トーマス・ニューマンorレイチェル・ポートマンあたりでまずは、がんばってください!

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2005年8月 8日 (月)

渋谷の夜のスプラウト

『スプラウト』を見る。ただ、雰囲気がほしいな、と思って、その前に中華屋さんで生チューとチャーハン。ところで、チャーハンに、酢をガーッとかけて食べるの、私は好きなのですが、こういうの、普通の食べ方なのでしょうかね。一度、自分でチャーハン作るときに、酢を入れる、ということを意識したチャーハンを、と考えているのですが(味ぽんとかで味付けしたらうまそうだな)、まあ、そんなことはともかく。まだレイトショーの時間に、ある、ので今度は輸入酒屋さんで、スウェディッシュ・ウォッカなぞを購入。このとき、ベネズエラのラム、マルチニーク島のラム、とかなり迷う。何本も一気に買うと、また、今日の夜の目的が変わってきてしまうので、一本にしておく。さて、『スプラウト』鑑賞。ドキュメンタリーとフィクションの違いをあらためて思い知らされる。ドキュメンタリーって、被写体となる人間が、100%完璧に、その映画の中で説明されないといけないことが全くなく、特に『スプラウト』なんかも「君たちもしってると思うけど、彼。彼ね。」みたいな感じの紹介のされ方と感じる。彼らは、もちろん、実在の人物だから、いろんなところで、僕たちの目や耳に触れることもあったろうし、そういう中の延長として、この長編フィルムがある。だが、例えば「CUT」でスネーク・プリスキンのロング・インタビューなんて、ないですからね。(あったら、チョーおもろいんですが)。その辺がドキュメントとフィクションの大きな違いのひとつだろう。だから、『スプラウト』も、被写体となった著名サーファーたちが、その一部を映像で切り取られた、でも、全体像に触れるチャンスはもちろん、これからある、という開放感。でも、これって、もともとの映画の持っていた緊張感からは逸脱してきている。べつにそれが悪いといっているのではなく、時代が要求するものって変わってきたのだなぁ、ということです。と同時に、フィクションが魅力を失いつつある、というところも、ないではないと思う。自分にとっては『スプラウト』の心地よさと、ローカル線を旅する心地よさは、根っこは同じという気がするのだ。しかし、渋谷の夜、って感じでしたなぁ。学生時代、こんな感じで渋谷のレイトショー見たら、ちょっといい感じだったんだよなぁ。(ちなみにそれは『ストップ・メイキング・センス』の頃)

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2005年8月 7日 (日)

鉄道未成線をやたらと興味深く読む

まあ、旅行記的なものを読んでいると、どの場合もそうですが、ついつい入り込んでいると、現在(普通の?電車に乗っているときに読むのが大抵なので)の乗車している鉄道との現実感の違いで、ちょっとクラクラします。さて、今、食い入るように読んでいる本。別に、エッセイ風の楽しい文章ではなく、逆に、かなり論文に近い正確な記述を心がける文章ですが、内容がショッキングというか、知られざる事実が多いというか。廃線と似て非なるところは、「途中まで作って、結局開通しなかった鉄道の、"途中まで作られたその建造物"を確認する旅」なのである。一度も、通らなかった鉄道の話。そこには、なぜ、計画され、なぜ中止になったかまでの経緯が克明に書かれている。映画ファンには有名な、河瀬直美監督の『萌の朱雀』のモチーフにもなった、あの幻の五新線(ちなみに、私の兄が、当時、五新線の取材で河瀬監督・・・河瀬監督が取材する方。私の兄はされる方。・・・とあったことがあるらしい!!、ということは大分後で知って、ええっ、河瀬さんと話したん!!!と聞くと、「ええ?その人、有名な人やったんか?」みたいな感じで聞かれたことがある・・・・)の複雑な歴史、そしてショッキングな歴史は、1930年代に「弾丸列車」なる"新幹線と同じ考え"をもつ超特急構想がかなり具体的にあった話など、すごく記録的な記述で書かれていても、興味は尽きない。その後を歩いたり、膨大な資料から、そんな知られざる歴史をまとめていく体力も知力も私にはないので、その面も含めて、ただただ感動する。それというのも、小さな頃から、時刻表の地図を眺めては「どこどこ線が開通した、どこどこまでが廃止になった」とチェックしていたが、そんな地図の何駅の話も、実は何十年もの壮大な構想と、何十億の予算が投じられていたのである。そんなことは、幼い頃は、想像もつかなかったろう。しみじみなんて単位ですまされるものではないものなのだから。『スター・ウォーズ』の制作費と、ローカル線!?一駅延長するための予算が時には同額だったりするわけだから。

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2005年8月 6日 (土)

アイランドのサントラが表現するもの

なんか、久しぶり?にサントラの話です。それも、最近の自分の中で、もっともこの夏気になっていた『アイランド』。この音楽や、クリフ・マルチネスや、先だっての「コード46」の音楽などを聞くにつれ、いわゆるクラブ・ミュージックから派生するエレクトロものはきいていないといけないな、と痛感する。『アイランド』におけるジャブロンスキーの音楽処理は、シンセ・ビートと生オーケストラの音を合わせる、従来の伝統的なパターンだが、その音を表現する、間のとり方、が今までにない個性を主張していると思われる。音に厚みがないという意味でなく、「音数があえて少ない」ことも、かなり挑発的だろう。そうか、この聞く感じはマッシブ・アタックの『ダニー・ザ・ドッグ』にかなり近い。SF映画のスコアだけれども、十分、クラブ/エレクトロの作品としても、面白いアイデアが施されて聴き応えのあるアルバムなのではと思う。『スチームボーイ』の時のようにメロディメイカー的な面は隠している感じだが、この人のサウンド・アイデアとポリシーはかなり骨太のものなのだな、と感じました。

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2005年8月 4日 (木)

スタンプだらけ

個人的に、あと4日は行くつもり、というか、もう2か月で終わるんですよね。という愛知万博ですが、ますますすごいことになってますね。まず、私が行くと、海外館のスタンプ、Tシャツ、食べ物、そしてビールを制覇すべく、チェックするわけですけれど・・・スタンプがメチャメチャ増えている!! アフリカ共同館なんて、30種類を超えるスタンプが点在し、スタンプ一覧表みたいなものまである!!(ブースの絵地図みたいなのが、スタッフの方のお手製みたいな感じであって、これがカワイイ)、一度「スタンプが代わったねぇ」と警備員さんも言っていた中米館は、さらに国別のスタンプが追加されて、スタンプだらけに。そして、食べ物。もう、明らかに増えている!! 逆に、初め、豊富だったところのメニューは整理されているところもある気がします(注文の少ないメニューは整理されているのかも)。そして、Tシャツも、おそらくみんなに聞かれるからであろう、今まで置いてなかったはずのパビリオンにも、かなり登場!!でも、ちょっとデザイン的に着なさそうなのは、見るだけで勘弁ですが。今回は、メキシコで購入。依然、Tシャツのデザインは、JR東海とイタリアがよいですね。そして、ビール。もう、ここのところ、来博時には「まず、ここでひとビールひっかけて・・・・」とか考えて北ゲートとおる感じなので・・・今日も東南アジア・ゾーンでタイ焼きそば食べた後、ベトナム・ビールを飲みたくて・・なんて、何をしに来ているんだ・・・・いずれにせよ、この調子だと、次、来博予定の8月下旬も、きっとさまざまなマイナー・チェンジがまだあるはずだろうから期待です。

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2005年8月 2日 (火)

まあ、誰もが通っている道

「国鉄の駅を全部言える少年」みたいな少年は、日本にも、何名かいらっしゃったようですが(余談、80年代ぐらいまでは、世界の国の首都は全て覚えてましたが、その後、世界地図を眺めるという時間もなくなり、忘却の彼方になりました・・・・)、未だに、これは全部(全話のタイトル)を順番どおり言える(別にいわないけれど)ので、相当、少年心にすりこまれたのだろうな、と思ったのが「怪奇大作戦」。まあ、誰もが通っている道ですよね。怪奇といえば、岸田森氏だったのですが、先日の「ケー100」話題から派生して、「帰ってきたウルトラマン」で一番トラウマだった「プリズ魔」のエピソード。これを調べていくと、岸田氏がペンネームで書いた脚本と判明。おお、それで、あの不思議なトラウマ感は、結局怪奇大作戦と通ずるものだったのだ、と納得。ちなみに、べムスターのエピソードが一週延期にされてしまった特別報道番組って、あの「あさま山荘事件」と記憶してます。母方のばあちゃんちで、あさまの週も、団次郎が子供たちにあやまるアナウンスが初めに入る放送も見てました。いまだと放送延期も、テロップだけで終わってしまうのでしょうが・・・

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2005年8月 1日 (月)

サマータイムマシンブルース

この映画を製作しているROBOTの映画は、いつも永遠の少年たちが作っているさわやかさがある。本広監督の作風もおそらく、それが本領だろうが、そのストライクゾーンを中心に楽しませてくれる。とはいえ、いつも、物足りなさを感じていたのが、ストーリー/脚本の、あまりもの大らかさで、せっかくのあっけらかんとした大味な演出が、隙間を作ってしまう。ただ、自分が、せかせかと見たいからだけでもないと思う。そんな物足りなさを解消するのが、この作品である。とにかく、細かい設定がめまぐるしく変わる、というところがギャグの要なので、それがダイナミックな演出とギャップを作って、おかしさ倍増する。アイデアのひとつは、メインタイトルが映画開始15分後に出るという、まるでATG映画ばりの実験精神で、一見、それまでの設定が、何が何だかわからなかったものが、ストーリーが進むに連れ、映画自体を巻き戻して見たくなる衝動に駆らせる。ははーん、DVDで楽しむに最適っていう意味か。でも、ここで、DVDで、いちいち確認しながら見てしまうと、しらけるし、そういうことではないんですよね。よくよく考えると、この話は「タイムマシンで一日戻ってみた」というところから発する<辻褄あわせ>に奔走するだけ?のいわばゲーム・ストーリー。いわば『キューブ』と根っこは一緒か!? 日ごろからみんながタイムマシンもので<ツッコむ>ところも自分たちでツッコみつつ進行するし、クレバーなストーリーというかゲーム運びだな、と。ROBOTには、こういう物語が似合うのかな!?いや、これは本線ではないと思うけれど。

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