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2005年9月29日 (木)

フォー・ブラザース

映画リハビリ第2弾。だって、どうしても、先週撮ったデジカメ・スライドショーをしてみたり、世界紀行番組ばかり探してみたり、してしまうので。我ながら、ここまで応えるとは。さて、ジョン・シングルトン監督の『フォー・ブラザース』を試写で。なんだか、21世紀に映画化企画通るのが不思議なストーリー。もろ、70年代的なムードぷんぷん。映像も、スピードも、21世紀だから可能になった、というスタイルではなく、「オレたち、こういう映画、ガキの頃から見てて、おもしれぇナァ、って思ってたよな」的な映画の再現である。オッサンにはうれしいかな。そして、「オッサンはうれしそう」というのがわかる世代にも、わかるかな。思ったのは、マーク・ウォルバーグといい、アンドレ3000といい、いい感じのデコのしわ。人間臭いです。そして、緊迫した状況のドラマなのに、常にオンナの尻を追っかけてる、そんな感じのダメ不良男なところがさすがでした。これは、希少価値のいい作品です。

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2005年9月28日 (水)

シンデレラ・マン

さあ、映画リハビリ開始である。といいながら、昼過ぎ(15:00ぐらい)まで寝ていたため、映画は1本。本当に、横になっていて、全身のすみずみまでが疲れているのが実感できた。横向けに寝るのでさえ疲れるので、100%仰向けの状態で、可能な限り、体の面積を下に向けられる形で寝ていた。起きたとき、その疲れの状態がとれている箇所が多かったので、起きた。本当に、そんな感じだった。映画であれば、何でも観られるだろう、と思った。2時間、同じところにあるスクリーンを凝視する作業は、久しぶりだった。で、『シンデレラマン』。ボクシング映画に、音楽トーマス・ニューマンという意外な起用のこの作品、つまりは、熱いボクシング・シーンが多くあるはずにもかかわらず、ものすごく静かで、抑制が効いて、優しい映画である、ということだった。トーマスの音楽は、いい意味でも悪い意味でも、印象に残らない、空気の温度のようなサウンドだが、今回も、そんなサウンドを要求されたようで、つまりは、いつものトーマス・ニューマンが炸裂した。ラッセル・クロウやポール・ジアマッティの演技も、その「抑えすぎ」なところが逆に面白いぐらい、押さえられていた。そして、画面の色調、カメラワーク、いずれもが「大人が疲れないドラマ」を目指していた。しかし、自分が監督だったなら、しっとりとしたストリングスや、ひょっとしたら、スロー・ジャズなんかも似合ったのじゃないかな、と思う。トーマス・サウンドは、どれも「トーマス・ワールド」にしてしまうクセがあるので、危険といえば危険だ。今回は、それにはまっている気がする。ボクサー映画なら、『ロッキー』や『チャンプ』が、名曲とともにシーンを思い浮かべるが、『シンデレラマン』には、シーンを思い出させるテーマがない。これは、最近のすべての映画にいえるが、もっと、この映画なら、ノスタルジックでスローなキャッチーなナンバーがあってよかったのじゃないか、と思う。『シンデレラマン』は、3か月後には忘れられてもいい、消費型娯楽映画ではないはずだから。

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2005年9月26日 (月)

2005.9.25

やはり、この日のことは記しておかないと。実は、世間的には、さほど「愛知万博」の閉会日であることは話題にならないと思っていた。が、ニュース始め、かなり、そうではなかった。自分の周りだと、会う人会う人、「あれ、愛知に行かなくていいの?」などと声をかけられた。・・・思えば、大阪万博に3回しか行っていない鬱憤が、その後過去数回の万博では、諸事情で晴らせず、最も、「諸事情なんて何もない」今回に、爆発したといっていいでしょう。思ったのは、結局、パビリオンのデザインや、展示物のどうこう、とかそういうものではなく、「万博」という場の雰囲気が、引き寄せたのだと思う。ディズニーランドよりは文化臭が漂い(つまり、アトラクションのみではない、ということ)、野郎ひとりでも訪ねられる(と思っていたが、そんなに野郎ひとりで訪れていた人間はほとんど見かけなかった・・・・)安心感があったこと。だろうか、・・・あとは、自分が万博となって、いろんなものを放出するしかないのかな、・・・なんて、意味わからないこといいます。その昔、「特ダネ登場」(司会 押阪忍氏)の"珍名さん"のコーナーで「万博」(よろず・ひろし)さん、を紹介していたような記憶があるが、そういう意味ではありませんので。BGMは、林有三とサロン68『或るヴァカンス』、いいっすねぇ、林有三サウンド。

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2005年9月22日 (木)

ラスト愛知万博

なんと、一週間、書かず!! 激忙中の激忙+、つまり仕事以外なにもしていない状態だったため、話題も特になく・・・そしてラスト愛知万博突入!! ナチュリンをどうしても激写したく、ついに、デジカメ購入!! 新幹線の中で説明書読むという、行き当たりばったりな状況ながら、無事、ひと仕事おえて、フェンス外へ帰っていくモリゾーとキッコロという、レアなショットも、ナチュリン7点セットとともにゲット。それにしても、2日で350枚(何度も、消去しているので、実際は500回ぐらいシャッターを押している)とは、我ながら、すごすぎる。それというのも、本当に、愛着のある風景ばかりなのである。そして、いままで写真を撮っていなかったから、そのことはわからなかったのですが、「子供」や「老人」って、写真の中で、絵になるんですよね! 自分では、気に入った一枚は、ドイツ館のクールな看板の前のクールなベンチに腰掛ける老夫婦。「写真を撮ることに気が行って、全体を楽しめなくなる」のが撮影者の陥るところでは、と思い、カメラ否定派だったのだが、撮影という行為はテキパキと済ませれば、シャッターチャンスだけに気をとられることはない。だが。ついつい、「絵」を探している自分に気づく。晴天、チョー晴天の青空の下のほうに、少しだけ、展覧車が、というショットも、実昭寺意識したショットで、自分ではよかった。「晴天具合がいい」なんて、思ってしまう。いやあ、ありがとう愛知万博。さようなら愛知万博。ところで、ついに「ぺとぺとさん」サントラ出ましたね、なんかいろんな曲入ってますね、。さあ、これから、映画いっぱい見ないと、・・・って、もうすぐ次はモリコーネ来日パート2だ!!

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2005年9月15日 (木)

いよいよ

あと、来週で、自分的にもラストとなる「愛知万博」。13,14と、13は、ラオスとペルーのビール飲みました。インドネシアでミーゴレン、バングラデシュでカレー、食べました。14は、またまたシンガポールとリトアニアとスリランカでビール飲みました。シンガポールでチキンライス、スリランカのまたまたカレー、食べました。ヨーロッパは、もう、どこもチョー並びで、ビールひとつ飲むのにも、体力がいる。「ビールだけ買わしてくれんのかい、ショーバイへたやなぁ」と、うらめしそうに、どこかのおっちゃんもボヤイてました。私ではないですよ。私はクールですから。さて、いろいろ書いたところで、自分の記憶を残すためだけのものになりつつある、この話。おすすめパビリオンとか、今さら書いても意味ないですからね。14日は、熱中症と、ウルトラ豪雨(まさに、スコール)の両方を楽しめた日でもありました。13日は、夕焼けがきれいで、はじめて「会場全体の景色を楽しむ」という傾向が、入場者の多くのみなさんにあり、感動されているのを見ることが出来ました。しっかし、もう、ラスト入館を噛みしめよう、と思っていたのに、そんなどころじゃないぐらいダダ並び状態でしたな。アフリカ共同館で「オレはどうして、今、ここにいるんだろう」風な目線をやりつつボーッと番をしている現地のにいちゃん&おねえちゃん&おっちゃん、おばちゃんの姿がほほえましく、かなり時間を使って、ゆっくり見ました。ウーン、このムードも、来週で終わりですね。というか、来週、入場できるのだろうか、あんな混雑で・・・

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2005年9月12日 (月)

黒い樹海

『黒い樹海』がテレビドラマ化されるという。まだ、ここに書いたことなかったかもしれませんが、私は自称「万博と松本清張文学で出来ている」人間なので、この最近の清張フィーバー(おっさんっぽい言い回し)は、いいんだけれども戸惑うというか。小学生時代に、入院していた時期があって、その時に、小児科の女性のお医者さんに清張ファンの方がいて、交換して読みあっていたのを思い出します(『黒い樹海』は、貸したほう。借りたのは『わるいやつら』とか『けものみち』とか。しかし、『わるいやつら』『けものみち』を小学生に貸してくれる女の先生って、すごいですよね、ドキドキしますね、しなかったけど・・・・)。清張作品でも、ごりごりの社会派作品なのに、主人公は女性という作品が好きで、『ゼロの焦点』『蒼い描点』など、とくに『蒼い描点』は、自分にとっての文体その他のバイブルになってます。あまりに簡潔な文体で、その行間からドラマを生み出す、というあまりものクレバーさと、クレバーであればあるほど、すっきりする感じの小説版とでもいいますか、・・・それにしても、『黒い樹海』か、読み直してみたいな・・・・・そういえば、関係ないけれど、昼間の紀行番組で光宗信吉「ちっちゃな雪使いシュガー」のサントラ使われてましたね、音効さん、聴くところ、すみずみまで聴いてますね・・・

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2005年9月 9日 (金)

ランド・オブ・ザ・デッド

まずは、おそらくみなさんが思っていることから。ダリオも、まさか27年後?に、自分の娘がこの続編の主役になるとは思ってなかったでしょう・・・・というところで、「これは、ほとんどジョン・カーペンター映画だ!」ともいわれる『ランド・オブ・ザ・デッド』です。すごい世界になりましたね、ゾンビの定義は今や、説明まったくなしでいいんですからね。そして、カーペンター映画ほどはワイルドな展開ではない理屈に合った展開(と自分には感じた)で進む、自分には「破綻のないゾンビ映画」。これも多くの人が言うでしょうから、いいですけれども、ラスト(具体的には書きませんが)は、「それぞれの人種を認め合う」(ゾンビを人種と認める?)というメッセージを読み取ろうとする動きもあるかもしれない、というか「優しいゾンビ映画」だ。しかし、それまでは、カーペンター映画に近い、「これだったら、モノクロ映像でもいいんじゃないか」と思えるほど、色彩感覚をストイックに絞った画面作り、なんかポーランドあたりの映画を観ているような感覚にもなりました。それにしても、この映画でもっとも思ったのが「音楽の、あまりものノンメロディ性」で、『ゾンビ』はもちろん、『死霊のえじき』のジョン・ハリソンのメロディも口ずさめる向きにとっては、そこが、「音楽をあれほどドライにしなくともよいのに。少なくとも、ラストは」。ここが80年までの映画のアプローチと2005年のアプローチの違いなのかな、監督はベテランの巨匠だとしても、と感じずにいられない。それこそ、もし、まだ続編があるとすれば、川井憲次氏あたりにやってほしい。ドライなハードボイルド感覚の中に、メロディもしっかり滑り込ませられる人なので。ロメロが、もうメロディは、いい、と思っているのかもしれないが。音楽には、あまり気にしない気もするが。

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2005年9月 8日 (木)

愛についてのキンゼイ・レポート

今日は久しぶりに2本も映画を観るということになり、それも『愛についてのキンゼイ・レポート』と『インサイド・ディープ・スロート』と、まるで「アメリカの性についての20世紀の変遷の前編・後編」を見た思いでした。まず『キンゼイ・レポート』ですが、やんわりとゆるやかな危険さが、さすがのカーター・バーウェルの音楽に乗って、独特の編集で語られる。間のとり方は、監督のひとつの感覚が出るわかりやすいところですが、大人には?心地よいテンポで、大人しかわからない物語が進行する。気になるのは、前者も後者も、深くて面白いが、「実話である」ということだ。どんどん「現実は小説より奇なり」を認めすぎていやしないか、と心配する。もちろん、実話をもとにしたデフォルメが、この劇映画の方にはあるだろうが、そんな些細なレベルの話ではなくて、そもそも・・・・なんですよね。「キャラクターから最近の物語は始まる」のだとしたら、もう行き当たりばったりで、ちょっと考えて見ます。「オセロ好きのプロレスラーの話」とか「人妻に恋した掃除機の話」とか「夜になるとサングラスをかけてしまう女の話」・・・いずれも適当です。なんか2つの物事を組み合わせてみるだけです。というのも「性行動について研究した男」の話をフィクションとして想像できるか、ということなのです。そのあたりのきっかけが、最近のストーリーテリングにはない気がして(というか、個人的にただ複雑なプロットが嫌いなだけ)。最近、アメリカで激ヒットしている40歳の童貞男の物語は、上記のようなキャラクター+プロットをフィクションとして生み出せた好例なのじゃないか、と思う。結婚式壊し屋もそうだ。・・・あの、ジム・キャリーとベン・スティラーの壮大なアホアホSFプロジェクト、期待してます。なんか、"アホなカプリコン1"的な設定でワクワクしますので。すみません、また、わからん人にはわからん話で・・・

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2005年9月 7日 (水)

ミリオンズ

ちょうど家への帰りに、ちょっと気持ちがよかったので、深呼吸しようとすると、少し前を歩いていた男がタバコに火をつけてしまった。・・・・もう、日常茶飯事のことなのだが、自分は、知らない街とか、知らない土地に行った瞬間のひとつの刺激は、そこの「空気の体験」だとおもっている。もちろん、匂いはそうで、ほかに湿りけでもある。とにかく、画像や録音では味わえない「生もの」である。それは、自宅の近くでもたまに味わえる。すごく気持ちいい、と思える空気のときだ。しかし、どこの空気も同じ香りにしてしまう「たばこ」という香りが、すべてを台無しにしてしまう・・・と、たばこをすわない自分は思う。さて、そんな、日ごろののかすかな感動を細やかに描けるかどうかというところで、今日、久しぶりに見た「映画」の『ミリオンズ』があった。プロットの細かな点というものはともかく、この映画には「少年時代しか体験できなかったポジティブなドキドキ」が映像として具現化されている。『アメリ』やティム・バートンの諸作と比べられるのも、結局は彼らも永遠の子供の感受性をもってるからでしょう。考えれば、ダニー・ボイルも過去の作品をたどれば、その感じがあり、実際の子供たちと数ヶ月撮影を共にする今回だと、さらにその感受性も研ぎ澄まされたのかな、と思う。自分も(そう自分も)、その昔、小さかった頃、今でもよく分からなかった体験があって、ザ・スパイダースの『あのとき君は若かった』のシングル盤(当時新曲)をポータブル・プレイヤーに乗せて、うん、と念力?を送れば、イントロが自分の好きなイントロになり、送らなければ、自分の嫌いなイントロ(これは、今でも聴けるバージョンの方)になってしまう、と思い込んでいた。そして、小さな頃、本当にそうだった。そんなわけないのに、そうだった。あの体験が今でも記憶にあるので、小さな頃に経験する奇跡は、本当かどうかはともかく、何か大切であるのだ、という感覚はあるのだ。とにかく、この映画を観て思ったのは「世界中の映画がこの映画に似た映画だったらいいのに」。監督ダニー・ボイルが伝えようとしたことは、少なくとも、僕には伝わったと思います。

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2005年9月 4日 (日)

サウンドトラックの昔と今

もう、70年代のサントラを片っ端から掘り出してきて、CD-Rにまとめてぶち込んで、一気聴きしております。今はマンシーニ「ひまわり」がかかってます。もう、ほとんど命題に近い、「最近の若いモンは・・・・じゃなくて、本当に、今の映画音楽は、25年ぐらい前までのサントラと比べて、魅力を落としていやしまいか?」という話。ここのところ、いろんな人と、一時期「それはオッサンがみんな思うこと」と思い、しまいこんでいたはずのことを話す機会が多くなった。というか、意識して多くした。思ったのは、「他の音楽ジャンルに比べて、サントラ/映画音楽というジャンルは、あまりにも先達の仕事が振り返られずに終わりすぎてやいないか」ということだ。キャロル・キングやマイルス・デイヴィスやマーヴィン・ゲイが忘れられるかのレベルでジョン・バリーやバート・バカラックでさえも忘れられていないか。今のリアルタイムに映像音楽を聴く人間からすれば、ハンス・ジマー一派がハリウッドの主流であり、ポップスのチームとしてもモロダーのようなプロデューサーがいるわけでもなく、となると、日本の久石氏や、アニメ主流で菅野さんあたりに傾倒していくのも自然だろう。今の若い!?世代の作曲家にはマンシーニにもモリコーネにもバリーにもゴールドスミスにも喩ええる人がいない。「映画」というものの創造性のみなす位置の違いが70年代までと今では違う、ということもあるかもしれないが、現にサントラがよかったものは、名画として(数少ないまでも)記憶されているじゃないか、と立証したくなる。最近だと「アメリ」あたりだろうか。もっと、そこらじゅうが「アメリ」的音楽アプローチがされるべきじゃないのか。そして、それが70年代までの映画音楽のあり方だったのだと思う。うーん、真剣に書いてしまいました。今、聴いているのは「ピンクパンサー3」からの「カム・トゥ・ミー」でした。

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2005年9月 1日 (木)

ということで

ついにあと一ヶ月をきり、また愛知万博。もう、ほとんど「通っている」状態。おそらく、ほぼ確実に、自分の生涯中、ラストの万博でしょうから、心に焼き付けないと。今回も、ウクライナ館の棚の上の後ろの方に無造作にあって(値段もついてなくて)なTシャツ(店番のお姉さんが「ニセンエン」といって、初めて値段がわかった)や、グッズらしいグッズがない、中米館のナチュリンのバッジ2種や(ナチュリン5パターン、ポストカードにでもしてくれないかしらん)、先週はなかったような気がするアフリカ共同館のレストランの「ラムと野菜のクスクス」(好きなんですよね・・・クスクスとかナシゴレンとか)とか、またまたラインナップがかわっていたリトアニア・ポップのガール・ダンス・ポップもの2枚とか、いろいろ物欲は満たしつつ。この万博というものの楽しさのひとつには、「一瞬のうちに、いろんな国のものに触れられること」だ、というのはひとつあるな、と感じました。日ごろから、その国の話題が出ることは少ない国、例えば、リトアニア、クロアチア、ブルキナファソ、グルジア、キルギス、ホンジュラス・・・そういった国の展示を見るときほど、鳥肌が立ったものです。しかも、これらの国について、一日でいろいろ見れるわけですから(決して、一部さえ知った気でいるわけではありません。自分でも、こんなもの、0.01%知った事にもならないことは重々承知ですが)。さて、次は、いよいよラスト・ウィークに来名です。もうそろそろ、会場内、人人人で動けない感じになってきました。そういえば、今日は、森山良子さんのコンサートが広場で、ということで、あんな状況見たことないぐらい、広場から広場もはみ出て、人人人人人でした。

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