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2006年3月17日 (金)

ハッピーエンドについて

『転がれたま子』について、以前に書いた感想について、コメントをいただいたので、その感想から発展させたことについて、少し。というのも、「ハッピーエンドは善か悪か」的な話です。ストーリーにも「供給と需要」がある、という話はよく話題になる。例えば、時代が危機感にあふれている時こそ、お笑いブームになる、というのはその大きな例ですが、「ヘトヘトになって仕事から帰って、真面目な番組なんか見たいと思いますか?」という、深夜バラエティ擁護論である。しかし、ここ最近、深夜バラエティもグッと減り、趣味性の高い番組や、「趣味性の強い」アニメが大半を占めるようになった。最近の例で興味深いのが『びんちょうタン』で、ほぼ5歳前後の女の子たちが主人公でありながら、その周りにあるものは、花火でありラムネであり職安であり懐かしい昔の学校である。アニメも、今や、様々な年代の男女に向けての「癒し」に向かっている。これは決して、子供が主人公でありながら、子供にはあまりにも難解なアニメであろうと思う。さて、始めの話に戻ると、こういった、現在の番組やドラマの中では、「必ずしも、はっきりとハッピーエンドではない」ニュアンス的なものが好まれてきているのかもしれないな、と感じる。まだまだメインストリームではないにしても、メインストリームの次に位置する部分にそれはあるのじゃないだろうか。それか、自分が、そういうものばかり見ているからかも。「あからさまなハッピーエンドは逆にしらける」のは、その強引さが、ちょっと「ナメラレテイル」感じを受けるからかも。リアルなハッピーエンドに会えば、これが最も感動するのだろうな。そういいながら、自分自身も、実生活でもハッピーエンドになりそうな雰囲気になると、それを敢えて避けている風潮もあるかも。

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