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2006年3月24日 (金)

かしまし

『ARIA』の後番組だったということで、なんとなく見ていた『かしまし』。これは原作を読んでいなかったのですが、ひとりの少年を巡って2人の少女、のはずが(SF的展開で)性転換されてしまい、3人の少女が主人公、ということなのだが、なのに、結局2対1の構図は全く消えず、これでは(おそらく第一主人公の)少年が少女に転換した意味が全くないのが気にかかったのですが、それはさておき、最終回のひとつ手前のエピソードにおいて、突然あらわれた「架空の病」。これに興味を覚えました。架空の病といえば、『汚れた血』や『クラッシュ』(バラード原作でクローネンバーグが映画化した方)などが今、代表的に思い浮かびますが、この「かしまし」に出てくる「個体を識別できなくなる症状」、つまり、犬(はまあ、識別できるかもしれないが)、昆虫、その他の動物のそれぞれを識別できなくなるように、人間を見て、人間であることは分かるが、どれも同じに見えるようになってしまう、というもの。感覚の劣化、を原因としてあげていたと思うが、嗅覚などが劣化していったといわれる人間だけに、その他の感覚が劣化する、という仮説は十分ありえる。この『かしまし』の不思議なところは、かしましなくせに、みんなでメソメソしっぱなしなので、全然「かしまし」くならないのだが、それよりも、普通の、本当に普通の学園恋愛モノ風なものに、ハードSF的な要素がところどころ、強引に入り込むところだ。とはいっても、戦いものにはならないので(敵、という発想がこのアニメにはない)、感情の起伏は、恋愛に根ざすものだけになる、ということだ。しかし、やはり、少女になった意味が全くといってもいいぐらい、ないプロットで、そこが惜しいとは思います。ただ、この「病」に強烈に惹かれたのでした。

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