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2006年3月16日 (木)

世界の子供たちと踊るゴーゴー

さあ、いよいよ、ついに『日本万国博』4枚組DVD鑑賞記が(ときどきです。毎日はさすがに。個人的には毎日でもいいですが)始まります。まあ、毎日書いてもいいですが、毎日見ていると、本当に、違う世界に自分が行ってしまいそうです。まず見ましたのは、「国内団体・企業館」編63分。やっぱり、これから見ますよね。その印象は、パビリオンの形や配色は前から知っているのでそれはそれとして、コンパニオンさんの衣装はもちろん、展示物の配置、展示の意味、そしてなんと観客のおばさから小学生まで、すべてがサイケだ!!! そして、そこへ持ってきて、尋常じゃない照明やカメラアングル、カメラワークなどを多用するので、サイケさが一層増す。知らずに見ると、かなりアシッドな悪夢な映像かも。そこへ持ってきて、あの現代音楽現代音楽した現代音楽。自然とそうなってしまったのか、かなり意識したのか、もし「普通に撮ったら、観客が退屈に思うと困る」配慮なのか、それか、どんな状態にせよ、この映像は「記録・保存される」ことが決定していた映像なので、それ故に挑戦的なことを行ったのか。映像の作り方もだが、コンパニオンのトーク(これは本当に、そういったアナウンスがされていたのであろう)、例えば「せんい館」の映像に関して「お分かりいただかなくても結構でございます」に代表されるような、すべてにおいて「洗練される前」の状態を見るのは興味深い。複数のパビリオンで語られる未来の世界の図は、それほど現在と違わないが、違う点は「超高層建築だらけにはなっているけれども、デザインそのものは画期的ではない」ということか。インターネットもテレビゲームもまだ一般として始まっていない時代の想像する未来。何が進歩したか、というと、通信手段を先頭とする「形としては見えない部分」じゃないだろうか。そして、むしろ、進歩すればするほど、シンプルになっていくので、エヅラとしては、面白くないものではないか。クボタ館やタカラ・ビューティリオンなどで、未来建築の中の夢として、個室における植物栽培などの積極性のある「自然との共存」があるのだが、実際に個室で「植物」や「動物(ペット)」が飼われたり、ビルの屋上に緑が植えられている意味は、現在は、むしろ「そうしないと自分たちが壊れてしまう」危機感から発したネガティブな意味合いが多くを占めている。そんな発想は、35年前、考えただろうか。35年前の少年たちが自分たちを見たら「この大人たち、暗いなぁ、ナニ考えてるんだろ」と思うかもしれないが・・・35年前の少年って、自分じゃねぇか!というオチもあったりするのです(映画に、じゃありませんよ)。

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