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2006年3月28日 (火)

プライベート・ライアン以降

自分の周りだけかもしれませんが、よく「プライベート・ライアン以降の映画」という表現を使うことがあります。これは、(本当にリアルかどうかは確かめようはないですが)今までのドラマ作法から外れて、リアルさを意識して作られているかのような映画について、よく使います。で『ブロークバック・マウンテン』。この映画の前半(30分ぐらいかな)は、若い頃の、事がおこるまでの何でもない日常のスケッチのようなものが、かなり長く写されている。ほとんど、他愛ないセリフ(セリフ?)と、ただ、共に過ごしている、ということがわかる、本当に日常的動作の数々。この映画は、その後、ドラマ性を帯びても、(ここがリアル)登場人物たちは、自分たちの身に今、何が起こっているのかを全てニュアンスで語っていく。セリフも、直接的なものは全くないし(ラスト近くで、主人公の娘が会いに来るシーンでのセリフのみ、説明調という気がしたが)、この「あるがままをとにかく見せるだけのドラマ」は、先日の『シリアナ』同様、洗練された演出スタイルとして、確立しているのじゃないだろうか、と思う。テーマの話で言うと、この映画の描くものは、肉体関係を作ってしまったけれども、愛、というよりは友情の物語で、分かり合える人間というものが互いしかいなくなってしまった結果、ドラマ性を帯びてきてしまう、ということになるのじゃないだろうか。しかし、この映画のすごいところは、だからといって、派手な展開は全く起こらない。自然に流れるように、物事は進んでいく。これがリアルな人生だろう。登場人物たちが、ドラマの直接的に関わる部分以外では、そこそこおしゃべりなところもリアル。これが人生である。というか、本当に話さないといけないことほど、話さずに「関係ないことばかり、しゃべってしまう」方が(弱い人間には)事実でしょう。そのあたりの空気が、感じ取れる。「本当の人生を描くためには、どうしたらいいか」の『プライベート・ライアン』以降の映画たちは、表現/演出のハードルをあるベクトルにおいて競争している。なんか、ハードルというより、棒高跳びでもしているような名人芸の見せ合いだ。

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