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2006年3月19日 (日)

いかにして、急にイージーリスニングは止まったのか

久しぶりに、ポール・モーリアをちゃんと聴いてみようと思い、以前、日本で限定リリースされた10CDセット中の1974年もの「イエスタディ・ワンスモア」を聴いてます。懐かしさ、楽しさ、癒し・・・まあ、いろいろありますが、以前から疑問に思っていることが、また頭に上がってきました。「どうして、イージーリスニングは80年代上期で急激に新しい録音(レパートリー)を増やさなくなったのか」ということです。街の商店街のうっすらうっすらとしたBGMから流れてくるのも、ビリー・ジョエル、アバのカバーぐらいまでで、その後・・・うーん、可能性あるとしたら、ブライアン・アダムスとかフィル・コリンズとかマイケル・ジャクソンとか、・・・のレパートリーになるものはないのです。ご本人たちが指揮する楽団も少なくなってきているのも、一因かもしれませんが(新しい、このジャンルのアーティストは出てきませんしね)、この時期というと、絶対可能性あるのが「CDの世界的普及」なのですが、直接的な理由が見当たらない。どうして、LPからCDになると、イージーリスニングは失われるのか。ちょうど、この時期は、ニューエイジというジャンル(今は、さらにヒーリング・ミュージックに発展している)が勢いをつけた、ということもある。このジャンルは基本的に「ほぼ全てオリジナル曲のイージーリスニング」的な印象も一面としてある。この頃、曲の権利関係の整備もされていた頃でしょうから「有名曲のカバーよりも、オリジナルの方が制作費的に安く上がる」ということもあったかもしれません。しかし、その後、継承者が普通、どんなジャンルでもあるものなのですが、このイージーというジャンルは「ヒット曲わ自分流にアレンジしてオーケストラ演奏をする」という形で継承しているアーティストがいない。これはずっと気になっていることなのであります。

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