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2006年5月31日 (水)

音楽が流れる空間

時代が変われば、・・・・というだけのことかもしれませんけれども。某書店で、かなりの音量で、ジャズが流れていたのが気になりました。空間には音楽が必要だ、という認識はいつから始まったのでしょうか。今から、20年以上前に、FMでニュースのバックに急かすような感じの音楽が流れ続けるようになり、その後、ニュースのバックに音楽、というのは、今やかなり一般化してしまいましたが、あれになれてしまった人間になると、無音が逆に違和感を覚えるようになる(もしくは、無音を敢えて、求めるようになる)。例えば、みなとみらい駅で、自然的な効果音が人工的に流されている。こういう効果が果たしてどうなのかは、是非じゃなくて、是非というよりも、寂しさを覚える。そうせざるをえない、ということですからね。

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2006年5月30日 (火)

まぎれもないジャズ

今、アルマンド・トロバヨーリの、CD化なったジャズ・アルバム「ソフトリー」を聴いている。まぎれもないジャズですが、おしゃれ。ドラマ性は映画音楽と違って希薄で淡白で、さすが紀行番組BGMのようなイージーリスニング・ジャズ。さて、さっきアニメ版『ひぐらしのなく頃に』の1エピソードを、ようやく見た。これを含むほぼ全てのホラーに疑問を感じていることに、またしても。どうして、「人が死ぬ」ことだけに焦点を定めるのか。もしくは「喪失」することに。「ひぐらし」だと、自身が"失踪してしまうかもしれない"恐怖を覚えているが、それが実は、現実よりも、よい世界への導入だとしたらどうなのか(これは決して、宗教的な話でも、政治的な話でもありません。あくまで、ストーリーの可能性の話です)。僕自身で言うと、「喪失に関わらない感動は可能か」を考えていたのと同時に「喪失に関わらない恐怖は可能か」というのもある。突き詰めれば、「予想しなかった"負"の状況への予感」が恐怖とすれば、例えば「チェスのチャンピオンだった人間が、ふとしたきっかけから、だんだんチェスがものすごく弱くなっていく過程。そして、その本人のあせり」をドラマ化、と思っても、これは"才能の喪失へのおそれ"といえるだろう。そこに、徹底的な命の喪失はないのだけれども。そこから発展させれば、滅び行く都市の状況を、都市に住む住人たちは、それが発展だと思って喜ぶ様を客観的に見る視点、とか。恐怖という視点は、+の意味の感動を見いだすより、結構、深い話のようですね(何度も言ってますが、人の生死を持ち出すのはNG)。

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2006年5月29日 (月)

最終巻

SOWさんのブログで最終巻が出たことを知り、即購入。新刊を待ちわびている作品は、数作あるが、なかなかそう出るものではないので、その中では、一番意外なタイトルだったというか。「ヨコハマ買い出し紀行」。最終巻には10エピソードが入っているのだが、(連載では、10回分だ)、これが、「これがラスト」と思って読むと、主人公アルファが、このドラマを彩ったさまざまな登場人物たちに次々にキチンとお別れを告げているエピソードが並んでいるのだと気づく。作者は、じっくり、別れの用意を行っていったのだ。ちょうどこのあたりのエピソードの連載時、読者は「最近、雲行きがおかしい」兆候は読み取っていた。が、ファンとしては、まさかそれが「最終回への布石」とは思いたくないので、「ちょっと感じが変わった」止まりにしていたのですね。・・・・ところで、シルヴェッティ「スプリング・レイン」サルソウル盤のオリジナルのCD化が出たので、聴いてます。「スプリング・レイン」の知名度の広がり方が普通のイージーリスニングと違ったため、別格扱い(というか、イージーリスニング、という呼び方を避けている)になったが、あらためて聴くと、いい意味で、「普通の70年代のイージーリスニング」である。ポール・モーリアは、独自のリズムを持っていたので、ちょっと違うのだが、プゥルセルやルフェーブル、パーシー・フェイス、コステラネッツあたりの70年代のサウンド・アレンジと極めて近い。こんなのを聴いていると、ルフェーヴルの「北海道シンフォニー」収録のオリジナル・アルバムCD化を切に願う。

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2006年5月28日 (日)

江津の夜に思いをはせる

さて、続きです。江津です。三江線が14時57分に江津に到着。目的の列車は江津16時14分の「スーパーおき5号」18時43分新山口(もと小郡)着のため、江津で、ちょっと軽食でも、と思っていたのだ。今までの旅の経験からして、特急の止まる、知名度の高い(と自分の中では思っていた)駅です。駅ビル的なもの、とか想像していたのです。が、降りるとまず、独特の空気の香り。そう、山陰はもちろんのこと、海沿いの地方の駅に降り立つことも、そんなに今までなかったのです。ないことはなく、千葉や茨城の駅もろもろとか、あるのですが、日本海の濃度の高さを思い知ったというか。山陰、北陸は、ちゃんとそこだけを一度、行かないといけないなぁ、と。で、この時間(昼には遅く、夜には早い)帯が悪かったのかもしれないが、その前に駅ビルは存在せず、町並みが前記の「石見川本」や「櫟本」と似ているのです。が「石見川本」と違うのが、これが、店舗がほとんど閉まっている・・・しかも、石見川本にいた頃はなかなかの晴天で初夏を思わせるさわやかさだったのが、この2時間ほどで、肌寒く、曇り空になっていたのだ。駅前の案内図には、いろんな店があることになっているのだが、どこも、みな看板は片付けられている。閉店されたと思われるショッピング・センター・ビルのようなものも駅前にある。この、以前は栄華を見せたと思われるスーパーやショッピング・ビルの跡を見ると、胸が締め付けられます・・・駅前散策は30分ほどで断念し、駅の待合で、カップコーヒーをすすって列車を待つことにしました。・・・本当は、江津の夜は、どのぐらい店が開くのだろう、という興味もありましたが、それでは東京に帰れないので。江津の大衆食堂みたいなところで、海鮮焼きそばみたいなものがあったりして・・・なんて思っていたのですが、幻に終わってしまいました。

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2006年5月27日 (土)

忽然と現れる近代地方都市

三江線の旅、続き。石見川本着11:06。そして、ここから、江津の終点に出るための電車は、13:53。時刻表を見ると、三次→石見川本は一日に4本、石見川本→江津は6本しか走らない。直通は、夜の1本だけ。なので、このスケジュールは必然なのでした。2時間47分を石見川本という町で過ごすのですが、はじめは不安でした。終点、とか分岐点、とかいう駅で、ひとけが何もないところというのは、普通に結構ありますから。降りてみて、田畑だけだったらどうしよう、とか考えていたのですが、ビックリビックリ。立派な駅舎、ちょっとした駅前広場、そして整備された町並みがそこにはあったのです。ものすごいところばかり通ってきた路線なのに。駅を出ると、風景の向こうにすごく立派な建物が聳え立っていて、それも気になり、観にいきました。その前に、駅前の食堂(食堂が何件もあった。すごいところばかり通っていた路線の終点で!)に入って、日替わり定食を頼む。おばさんが何人かで仕出しの準備に追われていた。その仕出しの中身の流用と思しき定食が登場。固めのごはんがおいしい。テレビで国会中継をながめながら、食べる。不思議な感覚がした。そして、町の散策。農協が経営しているスーパーに入る。かなり立派。さすがに山陰、魚介が豊富で宍道産しじみとか、浜田産ハタハタとかあって、つい、買いたくなるが、こんなところで勢いで買っても、果たしてどうしようか。ということで、グッとこらえて、「アラ」(海苔の佃煮。関東では、ほとんど見かけないので)とか、なつかしい系の日持ちのする食材を買って、謎の建物のところへ。郵便局の角を曲がって、坂をのぼっていくと、どうやら、役所や警察や宿舎や「音戯館」?(音響設備の整った公民館のようなものか?)などが集まっている一角のようと判明。駅側に戻り、線路をまたぐ道路から眺めたりしていると、今は廃止になってしまった高千穂駅や、駅の周辺が、わが祖母が住んでいた奈良の櫟本(いちのもと)のあたりを思い出させる。とにかく、「昔の/モダンな/ちょっとした駅前町」なのである。町並みを楽しんでいると、石碑を見つける。・・・そこには、ここがいかにして、近代的な町並みなのかの答えがあった。1972年に悲劇的な水害が町全体を襲い、壊滅的状態になった町の再生において、近代的な町のデザインで、計画されて町が整備されたのだ、という旨の事柄が刻み込まれていた。食堂も、飲み屋も理髪店も、電気屋もスーパーもある町だったが、それは計画されたのだ。駅には、自動販売機もあり、(広島県はよく試験販売される、と聞くが、これもそうか?)そこで「コーヒーソーダ」を飲む。コーヒーソーダだった。そして、江津に向かうのだが、逆の意味で、江津がまた強烈なのでした・・・・(つづく)

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2006年5月26日 (金)

ということでザ・三江線

三江線!を、関東に住む人間が実質一泊二日(飛行機は使わず)で行くと言う、なかなかアクロバティックなスケジュールを敢行。しかも、さほど、分刻みのスケジュールではないというのもわれながらすごい。いつものことながら、要所要所でゆっくりしたいからである。さて。広島から三次(みよし)に出て、そこで一日。まだ、夕刻で、どこかにいけることはいけるが、日が途中で暮れて、真っ暗になるだけなので、それは意味なく。なので、三次で19:00ごろで、もう、近くのショッピング・センター風情なところなどで、ぶらぶらしていたら、あら大変。20:00で、もう食堂系がすべて閉店している! 唯一の飲み屋は外から見ても超満員、しかもタバコの煙がもうもう。これは無理。しかたなく、ホテル内の食堂/居酒屋?で広島オリックス戦見ながら、シソギョーザなどをつつくことになる。さて。すごい発見。広島って、ニュースの中で、「株情報」「天気予報」とあって、さいごに「カープ情報」が当たり前のようにあるのである。株や天気と同列なのだ。

前置き長い。さて、翌日、実は、この午前9時ちょっと前に発車する三江線が目的なのだ。三次で、まだ、どこにも電車がいないなぁ、と思ったら、「三江線のりばはこちら」みたいな表示がある。そう、ローカル線は得てして、普通のホームからは離れたところにポツンとあることが多い。すでに、電車はいた。一両なので「列車」ではない。運転手さんが、「お、今日は乗客がいる」といわんばかりに、ちょっと姿勢をただす。電車は動き出すが、しばらく、他に誰も乗ってこなかった。・・・・どこの駅からほかの乗客が乗ってきたか、細かくは覚えていないが、数えてはいた。この電車の終点の石見川本まで25駅で、自分以外の乗客は8人。ちなみに「鉄子の旅」で話題にされた、高架上に強引に階段だけ作って駅にしている「宇都井」でも、降りたご婦人がいた。その人は、携帯で話をしたあと、降りて行った。待ち合わせでもしているかのような感じだった。印象的だったのは、ブランドもののバッグをもったいま風?な若い女性もいた(途中の駅で乗り、途中で降りた)。乗客は8人なんだけれども、必ずしも、その8人はご老人ばかり、というわけではない、不思議なローカル線であった。そして、一旦、この電車の終点の石見川本で、3時間ほど、時間をつぶす(失礼。つぶす、なんてねぇ)ことになるのだが、これが思いも寄らない思い出?となる。この話は次に。ところで、三江線って、80%、「すごいところ」しか通りません。トンネルや、川沿い(ほとんど崖、絶壁状態)を電車クンがおそるおそるソーっと走っている(ほとんど、歩いている)ような感覚の路線である。

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2006年5月23日 (火)

久々に

2時間30分ほど、シラフの状態で、かなりマジな話を或る方と。まあ、日ごろから思っていることほか(決してグチではない)を話していたのだが、いろんなところで原稿などの形で書く孤独な作業の中での思考とは違うことを改めて感じ、いつもと違う疲れ?が。考えていることを語りつくした感じなのかなぁ。原稿でなく、対話の中で思考をまとめていると、自分の中でだけでない相対的な"思考の位置"を意識します。

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2006年5月22日 (月)

銀河高原ビール

めちゃくちゃ飲んでいるクセに、微妙な味の利きわけとかは、正直苦手な、味覚。ということで、ビールも、そういいつつ、根拠はないのですが、いろいろ飲んでいて、初めて「なんだ、この"ビール"は」と思ったのが、銀河高原ビールを初めて飲んだときだった。いまや、このビールも存続の危機の話も読んだことがあったが、なんと近隣の某東急ストアで発見(そう、意外に普通に売っているのですな、現状)、うれしくなって、ひさびさに。ビールらしからぬサイダーのような爽快感少しの不思議な味。今日は、帰路に、これまた久々に東海道線を使用。東京→横浜間って、東海道、京浜東北、横須賀の3通りの方法がほぼ同じ経路なのにあるという珍しい区間。気分を替えたいときには、よくあえて、地下駅から乗る新橋あたりからの横須賀を使っていましたが、本日は、東海道。時間も偶然あって、すぐ座れたので。なんか、普通に帰るだけなのに、ちょっと旅気分でした。

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2006年5月20日 (土)

梅沢由香里五段

またまた、夢とうつつの間のNHK(つまり、午前中のNHKの番組)。どうも、囲碁の番組のような説明と、静けさなのだが、やりとりをしている声が、若い女性同士・・・・でたー梅沢由香里五段の囲碁教室系番組(「趣味悠々」の多分、かなり何度もやっている再放送)。そういえば、出まくってますねぇ、梅沢五段。パズルはブームだというし、囲碁も将棋も・・・うーん、この辺を今さら、再びやりづらくなってしまいましたではないですか。ていいながら、ついついブログもチェックしたりするんですよね・・・

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2006年5月19日 (金)

ARIA THE NATURALの音の話

さて、先日は、ジャケットの話だけで終わってしまった『ARIA THE NATURAL』サントラの、音の話であります。第2シリーズの性(さが)で、第1シリーズの強烈なテーマがまず存在するため(これは、まっさらの状態から作っているんですから、強いですよね)、それを踏まえて、作らないといけないのですが、裏メロディのような雰囲気の「夏の妖精」。まるで敏いとうとハッピー&ブルーの「わたし、祈ってます」と「わたし、身をひくわ」の関係のような両テーマなのですが、聞き込むうち(もう、10回はアルバム通して聴いている・・・・BGMにできるアルバムなんですよ)、当初は、ちょっと覚えにくいメロディが多いかな、と思ってましたが、全然、シンプルであることはわかってきました。しかし、(ネオ)イタリアの話に、ブラジリアン・サウンドとは、始めに発想した方、天才ですね。ついつい、オーソーレミーヨー、といってしまいそうですもんね。もしくはモリコーネ風とかになってしまいますからね。「あえてそうじゃなくてね」みたいなところがあったんでしょうね。だって、ネオ・ヴェネツィアなのに、じゃがバタとか、タラコスパゲッティ(だったかな、とにかく和風スパ)とか、食べてるんですからね(ピザも食べていたが)。そういえば、このアニメ、アニメの中では珍しく、食べ物についてのもろもろが多いですね。先日も、いなりずしのエピソードがあったし。なんだか、この実体知らない人は「いったい、どんなアニメなんだこれは」と思ってしまいそう。実際、へんなアニメであることは冷静に考えれば、そうなんですが。

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2006年5月18日 (木)

三江線

ということで、来週、三江線に行くことにしました。初山陰。東北のかの岩泉線も考えましたが、なんと、今、「秘境駅号」なんてものが通ってしまっていて、「行きやすい」。これは違う! それこそ、横見氏じゃないが、「違う」。と思い、三江線にしました。それより気になったのが、岩泉線にたどり着くまでの、山田線。ここ、各駅停車・・・・と思って探したら、なんと日中通る列車で各駅停車はない!夜遅くなってからしかない!どんな景色かを楽しみながら各駅停車・・・ができないのだ。岩泉線より、こっちの方が、よっぽど秘境駅だろう、と思ってしまった(秘境駅号も、山田線はすーっと飛ばしてしまって、各駅になるのは、岩泉線に入ってから)。うーん、こういうところが、なんというか・・・・ということで、来週、三江線です(あんまり、天気予報、よろしくないんですけれど)。

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2006年5月17日 (水)

例えば2年後のキャスティングとかそういうこと

『ポセイドン』試写拝見。その感想から派生したもろもろ。「人間ドラマが見えてこないのでは?」というのが、見終わって、スペクタクルがすごくてリアルだ、ということを実感してから、しばらくしてからの感想。上映時間98分。あの『ポセイドン・アドベンチャー』は117分、昨年、あのハルマークが一足先にテレビドラマ!!化したものは156分。スペクタクルは、今回のものでも十分すぎるとして、登場人物たちが、間髪をいれずに自分たちの過去に絶対経験のない冒険を強いられるのに、ほとんどためらいを全く見せずに進んでいく(特に、急に積極的になったリチャード・ドレイファスのキャラクターは説明不足だと思う)のは、時代の答えなのか。例えば、DVD化された時等に、その人間ドラマの部分がしっかり付け加わった3時間バージョン、なんてことになっていたら粋なんですけれど。さて、そこから、こんなプロジェクトを夢想してしまった。例えば。まだ、無名に近い10人ほどのアクターたちを集めて、プロデューサーがこういう。「君たちは、2年後に『ポセイドン・アドベンチャー』のリメイクの主演になってもらう。それまでの2年間、いろんな人間ドラマを経験してもらうために、俳優じゃなくて、いろんなことを経験してもらう。最低限のギャラは常に払うが、原則として、俳優として多くの時間を割く事は禁止」、そして、2年間、いろんな仕事、人生を経験する10人について、さまざまなメディアが、後のことは伏せて、取材されるように、各メディアに手を打つ。そして、本編撮影2ヶ月前ぐらいに、マスコミにもその事実が発表される・・・このぐらいの前フリをしないと、もう集団ドラマは面白くならないんじゃないか、とさえ思ってしまうのでした。

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2006年5月16日 (火)

ARIAとクロアチア館

『ARIA THE NATURAL』5/24リリースのサントラをお先に聴かせていただく。音の話より、まず、・・・・ジャケットがすばらしい!!!古き良き建物から、顔を覗かせる三人娘と三匹猫、建物を下から見上げた構図で、青空まで入っている。かもめ?や「ARIA」の大気?をつかさどる衛星?も構図に入っている。しかも、おそらく、水辺の建物なので、水面のゆらぎが、その壁に反射している、という、すごいイラスト、というかほとんど芸術の域の絵画。天野こずえの絵は、コミックというには丁寧すぎる描き方が持ち味でしょう。で、前回の『ARIA』では、廃墟を徘徊してましたね。以前には、廃線!!もあったし、「古い屋敷を改造した温泉」なんてものもあった。今回の廃墟は「初期の入植者の住居」のような説明だったが、そうだよな、この星も150年という歴史があることになっているはずだから、今から、19世紀後半ぐらいまでさかのぼっての遺跡散策に近いことは、させられるわけだ。さて、この壁に映る水面。愛知万博はクロアチア館の、床に投影される水面を思い出しました。

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2006年5月14日 (日)

ついにハルヒを観る

ついに、『涼宮ハルヒの憂鬱』の1エピソードを拝見。なるほど、これは面白いわ。普通の冒険ものだと、あの主人公のテンションは普通なんだろうけれど、敢えて「何も起こらない日常」を強調しているから、まあいえば、「困ったチャン」になるわけで。こんな、嫌われかねない主人公は珍しい。作品の注目度とか、全体のテンションとかは、ネギまとか、舞HIMEとかとほぼ同等なんだろうけれど、それらの作品と違い、ハイテンションなのがひとりだけ、というのがすごい。これは、キャラクターが創造された時点で、勝ったも同然、というシリーズですね。こりゃ、あとは何でもできるし、許されるわ。

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2006年5月13日 (土)

ココナッツ・サブレ

なつかしい菓子、と思って探していたら、いくつか見つかったのですが、ここは、ココナッツ・サブレを買ってみました。この味だ!!!ココナッツ・サブレでワインを飲む、このアンバランスさ!!がまたいい。

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2006年5月12日 (金)

コスマ

シネフォニア・レーベルからのウラジミール・コスマの「SAM&SALLY」のサントラを聴いてます。なつかしい、80年前後の、モダン・フレンチ・サントラの都会の夜の香りのする、シンセ音楽。シンセだけれども、すごく人間くさい。コスマといえば、自分にとっては、『白いロマンス』か『夜よ、さようなら』である。『白いロマンス』が、すごくきれいなメロディの傑作だというのは、知る人が少ない。大体、当時、大阪でも、一週間しかロードショー公開されなかった(それも確か三番街シネマ2)。まだ、アート系などがなかった頃だから、・・・・あっても、このあたりは、今、公開は難しいのだろうなあ。さて、『白いロマンス』サントラ音源は、ヴァリース・サラバンドからの『ウェザビー』のサントラのB面に収録されていたと思う。しかも、当時から、ちゃんとB面めあてで自分は買った覚えがあるので、われながら、さすがなこだわりです。最近の、1000枚限定CD化シリーズででも、出ないかしらん。

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2006年5月11日 (木)

世界ふれあい街歩き

今日も、一日、部屋を出なかった。ここ一、二年で、部屋を出ない日がグンと増えた。それまでは、そんなことはまずほとんどなくて、とにかく、どこかに行っていた。まあ、片付けないといけないことがいつも毎日、すごく多くなったということはあるのだが、なかなか、結局、それに手をつけることができなくて、リミットぎりぎりに手をつけることになる。それまでは、TV(NHK)とネットとメールのやりとり、になってしまう。なんだか、受験生みたいだ。さて、リアルタイムのBSは入っていないため、見れないため、かなり日数たってからの再放送になっている、地上波での「世界ふれあい街歩き」。いいですね。何がいいって、旅人が出てこない(カメラマンの目がそのまま旅人の視点になっている)。ほかの旅番組にある旅人(タレント)側を映す時間にほとんどをとってしまい、景色や雰囲気を味わうことがほとんど味わえない、あのジレンマがない。そして、「ご当地の味を楽しむ」パターンをしないで、確かに、ひたすら町並みの移動と、すぐそこにいる庶民の方々とのちょっとした会話だけなのである。ちょっと退屈したりもするが、この「退屈」こそが、旅の楽しみである。多くの紀行番組の中で、もっとも「リアルな旅」の雰囲気に近い感動を醸し出す。これまた、日常の感動で、人が死んだり、誰かとの別れなどがなくても、そして必ずしも「悲しい」ことではない、いいようもない感動があることを再確認する。こういう感動が、出せるフィクションがあれば、そういうものを支持するのです。(だから、あれらのアニメってことになるのですけれど)

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2006年5月10日 (水)

JR恵比寿駅発車の音楽

って、羽岡佳編曲なんですか。第三の男のやつですよね。うーん、これから、しげしげ聴くことになりそう。

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2006年5月 9日 (火)

エンド・クレジットをはじめて見ました

かの「ハレ晴レユカイ」は、そんなにみんなが探しているのかどうなのか・・・と思い、近場で、と思ったら、確かにどこも品切れしている・・・・ということで、絶対いっぱいありそうな、秋葉原にいくことに。シングル一枚のために来たというのもナンなので、そういえば大傑作と聞いた『るろうに剣心』の「追憶編」と「星霜編」サントラも。岩崎琢音楽だったというのは、最近知りました。いやあ、本当、今年は、この人の音楽の発見が収穫のひとつです。しかも、アニメ・ファンの間だと、もう当然のごとくのちょっとした人気ぶりのようなので。個人的には「星霜編」、いいですねぇ!!!!! 抑えた勇ましいぶりと、かなりオリジナリティのあるメロディ。奇をてらったことはしていないのですが、どこかで聴いた事のあるメロディではけっしてない。しいて言えば、優しい時の音楽が「なき王女のためのパヴァーヌ」をちょっと思わせる。それよりも、後の『びんちょうタン』の音楽にひきつがれているタッチが随所に聴き取れる。このサントラ・ライナーでの音楽監督(児玉隆)の発言中の、なぜ、映像音楽はオーケストラものが多いのか、という疑問の回答がなるほど、と思わせる。しかし、確かに名盤だ。これを4年間知らなかったとは・・・

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見てもいないのに

もう少し大人しい歌かと思ってました。「涼宮ハルヒ」は、放映局が映らないため、未見(非常に見たい)なのですが、この4月からのアニメの中でダントツの人気になっているので、気になっていた。映画とかだと、話題になればなるほど、「ふーん」と思うのだが、まあ、自分にとって、アニメというのは、まだまだ勉強の余地があるということなんでしょう。で、バケバケにバケるといわれているエンディング・テーマに先行してオープニング・テーマ「冒険でしょでしょ」が出ているのですが、2年前だったら、気にもしなかったでしょうな、しかし、なんとなく、このタイトルでオーラを感じるようにはなりました。思ったよりも派手で、楽しさよりも、少し真剣味もありますね。でも、これですでにヒットしそうなキャッチーさはある(こっちは、まだ序の口なんだが)。そのオバケなエンディング・テーマ(これがまた、そういうわけで聴いたことはまだない)が楽しみではある。そんなにすごい曲なのか。

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2006年5月 8日 (月)

今週は、またハードなもので

毎月なかばはハードなのです、個人的に。とりあえず、今夜は、なんとかしのぎまして、『ARIA』見て寝るだけ、という感じで。クタクタです。今日は、またほぼ無音の間の多いエピソードで、よろしかったですなぁ。DVDを出すのが松竹だし、というのもなんですが、小津映画を思い出しましたな。そのうち、固定アングル、ローアングル、なんてエピソード作ったり・・・しないですよね。今日も、脚本のまとめ方、よかったですね、すっきりしていて。

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2006年5月 7日 (日)

見ていた、というのは正確ではない

今朝(土曜の朝)、本当は、まだゆっくり寝ようと思っていながら、NHKつけっぱなし状態でいたら、結果、いろんな番組をほとんど「聴く」状況になった。久々に「中学生日記」も「聴いた」し、なかでも、興味を惹かれたのが『課外授業ようこそ先輩』の版画家原田泰治の8年ぶりに、生徒たちと会う、という番組だ。NHKの他局と違う点は、そのアーカイヴの応用性にあると思っている(NHKも、ものすごくそれは意識していると思われる)。なので、ちょっとなじみの番組になると、すぐ長寿番組になる(個人的には、これはいい判断と思う)。スポンサーの意見に左右されることのない番組だけに、視聴者からの声(今だと、ネットなどでの声の集め方も昔よりは、かなり容易になったに違いない)をより純粋に参考に出来る。NHKアーカイヴの応用は、ストレートな「アーカイヴス」以外に、『新日本紀行ふたたび』であったり、多くの番組の度重なる再放送であったり、と完全に民放のありようからは離れている。で、「課外授業」だが、8年前の、どんな自分に今後なりたいか、という答えと、現在を照らし合わせる箇所がある。まさしく、他局ではおよびもつかないダイレクトなドラマの表現、と「目をつむった状態で、ですが」うなってしまいました。

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2006年5月 6日 (土)

セルピコの2曲目以降

またまたまた、手元のCDからです。『セルピコ』があったので、2曲目以降を聴きなおす。ギリシャ盤の、このCDにはクレジットがないのだけど、クリード・テイラーがプロデュースして、ボブ・ジェームスがアレンジャーだったはず(実家にあるLPにそう記述あったはず)、このCDでのテオドラキスのライナーは、ニューヨーク録音の想い出は語られているが、細かいスタッフ名までは、さすがに覚えていないのかな、という感じだ。夕べのクロスオーバー・フュージョンですなぁ。73年の作品だから、まだボブ・ジェームスが本人名義のアルバムを出す前の話である。必殺のトラックは6曲めの「ON THE STREETS」ですが、この人がもっとサントラへのアプローチももし多く行っていたら、ラロ・シフリンやデイヴ・グルーシンの位置に映画音楽の間でも確立したに違いない(もちろん、それ以前に大家ですが)。この頃のフュージョン全盛期の人たちは、映画音楽へのアプローチというものをあまり聴かない(会社側からそんな話がこなかったのと、それ以前に自身たちも忙しかったというのもあるかもしれないが)。例えば、ジョー・サンプルが映画音楽、というのを聴いたことがない。もったいない?話です。ジョン・マクラフリンなども、あってもよさそうなんですが、聴かないです。いろいろあったんでしょうね、きっと。

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2006年5月 5日 (金)

南東から来た男

またまた、CDの山から一枚取り出して、久々に聴いてみる。『南東から来た男』音楽ペドロ・アズナール。映画は、シネセゾン配給(うーん、当時、入社面接も受けたなぁ。落ちましたけど。)で、シネセゾン渋谷で上映された。サントラはEMIアルゼンチンから。というぐらいで、アルゼンチン映画です。ちょっと、『光の旅人』の先輩的雰囲気の哲学SF。映画は、記憶があまりなく(みたはず)、サントラも、こんな音だったのか、思索的なジャズともアンビエントとも取れる不思議な感じ。こういう映画だったのです。監督のエリセオ・スビエラについては、95年の『No te mueras sin decirme adónde vas』という映画を、(ファンタ映画祭にて。調べると『スピリチュアル~精霊たちの恋』という邦題で上映されている)スビエラの映画だから、と観にいった記憶があり、こちらが切ない『ある日どこかで』系のラブストーリーだったので、よかった・・・・ということをかすかに。そうこうしているうちに、かの聖なるヴォイスが。そうだ、この人、パット・メセニー・グループで、あの声を披露していた人だったんだ、それで自身の盤も注目されたんだ・・・と芋づる式に思い出す。しっかし、こんなサントラ、どこで買ったんだ、われながら。

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2006年5月 3日 (水)

立川でリバティーン

立川で初めて、映画見ました。その前に「よつばと5」も買いました。さて、シネマシティ立川、いい感じですね。ちょっと(わざとそうしたんですが)自分ちからは遠かったですが。アート系?も結構やってますね(『レント』はやってなかった)。で『リバティーン』。主演男優の話は抜きであえて。この人が出てしまうと、出ることによって映画ができるのはいいんですが、99%が俳優論(男優論)で終わってしまって、映画全体が見えなくなってしまう。これは、男優が悪いんじゃなくて、紹介する側に問題があるのだろうとは思いますが。で。プチネタバレさせますが、この映画、醜くなってからの主人公を敢えて、結構延々映している。そして、奔放だった前半は初期の香りをさせるマイケル・ナイマンの音楽が、後半、主人公の見た目の醜さに反比例して、メロディを際立たせて美しくしていく。わかりやすい。面白かったのが、妻との会話のシーンでの、ピント合わせの妙で、切り返しに近い効果を表すワンカット。アイデアですね。初長編作品の監督だから、映像の遊びは期待しましたが、マルコヴィッチの登場シーンなども、なかなかです。全体的には、ロックな感覚のコスプレ映画。『シド・アンド・ナンシー』も少し思い出す。この音楽をやれるのは、ナイマンかクレイグ・アームストロングぐらいしかいないだろうな、と思いました。クラシカルなんだけれども、その奥に危険なぐらいの反骨精神も結構もっているような。しかし、完全な完成品という感じはしなかった。マルコヴィッチも、この主演男優も、そんな作品、つまり、予定調和がなるべくない作品に出るのが好きなようです。監督はローレンス・ダンモア、撮影はアレクサンダー・メルマン。暗い中の画面がすごいですね。ラストもラスト、大ラストのカットは感激モノです。次回以降にも期待します。

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8曲目。なんてことはない曲なんだろうけれど。

今日も、ものすごく、何もしなかったので、何か、今まで書いたことがなかったはずのCDでもかけながら書こう、と思い、BLUE ISISの「KALDER PA TIDEN」を聴きながら。89年の、おそらくスウェーデンのアーティストのアルバム。覚えていないが、おそらく、今はなき伝説のWAVE六本木のワールド・コーナーで買ったものだと思う。ポピュラー音楽を狭い視点でしか聴いていない、ましてや、英米語圏の映画があまり好きでなかった自分にとって、この、ちょっとナルちゃん的に気取ったサウンドで、ドライなのか、感傷的なのか、どちらともとれる乾いた感じのポップスは、北欧語独特の硬質な感触とマッチして、独特と思った。80年代後半といえば、自分も大学生活を終えかけ、社会人なのに、その気があまり起きない当時に聴いていたものなので、もっとも「聴いたことのない感じの音楽は、何でもウエルカム」な貪欲さがあった。多分、時代もそうで、「聴いたこともない音楽を聴くこと」は、普通だった。ああ、スクリッティ・ポリッティやセント・エティエンヌをエエなぁと思って聴いていた頃がなつかしい(今も、いいと思う)。紹介する側が、どういう風に紹介するかで変わるので、本人たちには関係ないのだろうかもしれないが、あの頃の「時代への、柔らかな反抗」は、”古臭いけれど、新しい”風な音を作る今のアーティストたちの洗練のされ方とは違う。うーん、自分が、そんな辺を積極的に聴かなくなっただけかもしれないので、偉そうなことは全くいえないです。そういうところを探して聴く体力がなくなっただけでしょうね。しかし、あの当時も今も、誰も知らなさそうなアーティストに限って、愛着いっぱいに聴きますな。まるで、アイドル青田買いですね。

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2006年5月 2日 (火)

ボー

いやー、今日は、本当に、もうボーッとしているし、何もしていないことはないですが、出てくるキーワードがいつもと同じなので、明日に備えることにします。

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2006年5月 1日 (月)

理想の料理本

とうとう、紀行文的なものを探しつつ、こちらの理想的なものに見当たらず、結局、料理本を手にとることにした。この料理本というものも、最近はバリエーションがたくさんあるので、実際に作る作らない、作れる作れない作れるわけがない、を別にして、ただ読むだけで面白いものが多くある。その代表例が、紀行文的な香りを漂わせて、レシピもともについているもの。あまりにも、ご当地でしかとれない(代用が利くものもない)ものを使用するものばかりのものは、ちょっとお手上げですが、代用がいくらでもなんとかなりそうな範囲(美味しいかどうかは別として、作ろうと思えば作れるもの)の料理の話題を軸にしたもの。前シーズンのNHK「風のハルカ」で「料理にストーリーがうんぬんかんぬん・・・」とよく言われていたが、そこまでかっちりしているものではなくて、紀行番組で地元の人が作る手料理を自分たちが目前にする瞬間を想像できるようなものだったらいい、というぐらいのものです。

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