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2006年5月30日 (火)

まぎれもないジャズ

今、アルマンド・トロバヨーリの、CD化なったジャズ・アルバム「ソフトリー」を聴いている。まぎれもないジャズですが、おしゃれ。ドラマ性は映画音楽と違って希薄で淡白で、さすが紀行番組BGMのようなイージーリスニング・ジャズ。さて、さっきアニメ版『ひぐらしのなく頃に』の1エピソードを、ようやく見た。これを含むほぼ全てのホラーに疑問を感じていることに、またしても。どうして、「人が死ぬ」ことだけに焦点を定めるのか。もしくは「喪失」することに。「ひぐらし」だと、自身が"失踪してしまうかもしれない"恐怖を覚えているが、それが実は、現実よりも、よい世界への導入だとしたらどうなのか(これは決して、宗教的な話でも、政治的な話でもありません。あくまで、ストーリーの可能性の話です)。僕自身で言うと、「喪失に関わらない感動は可能か」を考えていたのと同時に「喪失に関わらない恐怖は可能か」というのもある。突き詰めれば、「予想しなかった"負"の状況への予感」が恐怖とすれば、例えば「チェスのチャンピオンだった人間が、ふとしたきっかけから、だんだんチェスがものすごく弱くなっていく過程。そして、その本人のあせり」をドラマ化、と思っても、これは"才能の喪失へのおそれ"といえるだろう。そこに、徹底的な命の喪失はないのだけれども。そこから発展させれば、滅び行く都市の状況を、都市に住む住人たちは、それが発展だと思って喜ぶ様を客観的に見る視点、とか。恐怖という視点は、+の意味の感動を見いだすより、結構、深い話のようですね(何度も言ってますが、人の生死を持ち出すのはNG)。

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