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2007年1月31日 (水)

アニメ作曲家の使命

あまりにいいインタビューだったので。シンコーミュージックの声優系のムック『VOICHA』の平野綾が表紙の、あの中に、アニメ・ファンの味方(あのマジメな大学生っぽいルックスがまた人気の秘密なんでしょうね)、作曲家田中公平氏のインタビューが載ってますが、これがさすがな発言連発。芯が通っている。直接引用は避けますが、つまりは子供時代にしっかりとメロディのよさを教えるのがアニメ作曲家の使命だ、と。そして、最近はみんなリズムに走っているが、それは、幼い頃にメロディに出会っていないからだ、ということで『サクラ大戦』という力作になる、ということなのですが、さすが、ブレない男・田中公平です。考えれば、今、少年たちの興味の多くはゲームにあるが、確かに「FF」や「ドラクエ」には、感動的なメロディがある。『ブルードラゴン』の植松さんの音楽も、それは意識して書いているようなメロディがちゃんとある。だが。実写映画たちが少年の興味をなくならせたのは、やはりメロディが失われたからだ。今になって再度言うことでもないが、今の映画で(洋・邦問わず)メロディが思い浮かぶ映画はあるだろうか。そして、原体験がその後の感覚の多くを形成していくわけだから、アニメ作曲家(昔は映画音楽家もそれを担っていたはずですが)は大変な使命を帯びているわけである。

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ゴーストバスターズ以来の傑作

今年は映画観ますよ。今日(日付かわりましたが)も2本見ましたよ。『ナイト・ミュージアム』。面白い!!!!!!!!!!!!!!!!! もう、主演がベン・スティラーと聞いて、これは往年(20年前ぐらいの)トム・ハンクスあたりに匹敵する豪快な一人芝居を堪能できそうな気配で、そこですでにマル。メインタイトルから、「ははあ、これがああなってこうなるんだな」と分からせる大胆不敵な導入も、ロビン・ウィリアムスやオーウェン・ウィルソン(事情は分からないが、ノンクレジット出演)にあの役をさせるというのは、まさにセルフ・パロディだし、美術館的な絵を今まで撮ってきたギレルモ・ナヴァロに博物館の話を撮らせるというのもセルフ・パロディである。監督のショーン・レヴィはまさに『バック・トゥ・ザ・フューチャー』や、『ヤング・シャーロック』あたりのアンブリンもの、そして『ゴーストバスターズ』あたりをティーンエイジの頃に夢中だった世代と思えます。そういう時代ですね。音楽がシルベストリですしね、まさに当時のアンブリンのあの感じのものを撮りたかったという感じです。確かに、こうなるとベルトラミでは違うわけで、シルベストリなんですよね(ジェリー御大がご存命だったら、話を持ちかけていたかも。ほんと、ジョー・ダンテが監督しても不思議のない映画ですし)。ただし、ダンテ監督作の場合は、ある程度の破綻も面白いところですが、このレヴィ作品はそんな破綻はない。と思います。2作りそうですね。

 そして『フランシスコの2人の息子』。ブラジルでは今や国民的歌手となっているミュージシャンを育てた家族(主に父親)との話である。配給宣伝の人は、「普遍性のある親子の絆」という話をされていたが、思うに、「普遍性」のものだったら、わざわざ?ブラジル映画を観なくても、いっぱい?あると思うので、そうではなくて、ブラジルの自然・風景を見たいと思った。人間の表情を見ようと思った。で、確かに普遍性は多く、逆に、多分、日本映画でも、同じような満足感を覚えられるものは多くあるだろう、と思え、もちろん、それらは似て非なるものなのだが、商業として、多くの「普遍的な親子の愛情映画」は、こうやって日本では消費されていくのだろうか、と思わざるを得ない。どれがいいか悪いかではないのですが。もちろん、それが『フランシスコの2人の息子』であっても、全くいいと思う。しかし、これは、ブラジル人のためのブラジル映画で、かつ、ブラジル中でヒットしたのだから、それでいいと思う。同じブラジル映画でも『シティ・オブ・ゴッド』とは目指しているところが、違う気がします。

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2007年1月26日 (金)

逆行する4コママンガ

新房チームによる『ひだまりスケッチ』。原作は、ほのぼのギャグの4コマコミックですが、これのアニメ化が暴走しています。1話で冬を描いた後、いきなり、半年過去にさかのぼり、さらに回を追うごとにひと月逆行していく。Gメン75状態で、逆行していくドラマを見るものは、つまりは毎回「意味不明のサイン」を探すことになる。すなわち、それは、時間軸で言うと以前ねエピソードで言うと次で何気なく語られているはずの中に答えがあるはずだからだ。これはDVD対策か。今エピソードでは、雨漏りがキーワード的に存在するが、とすると、前回以前で雨漏りに関するエピソードはどのように存在したのだろうか、と思い巡らす。作画も、都度、デザイン的にも凝って、リアルを逸脱して極端にシンプルにした紙芝居的な状態で表現。いかにシンプルな題材をアートにするか。まさにそんな挑戦で、これは深夜アニメならではの暴走だ、と納得します。

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2007年1月24日 (水)

ドラマなきところのドラマ性

先週は、1本も観られなかったですが、今週は、本日2本鑑賞。『ホリデイ』と『ツォツィ』。前者は、女性監督による、100%いい意味での無味無臭ラブコメディを中心として、そういいつつも、その作品ならではのメッセージをこめる。キャメロン・ディアスとケイト・ウィンスレットが、仕事は上手く行っているが私生活は、といういつものパターンで、まさしくそう思っているユーザー女性をターゲットにしていると思われますが、その恋のお相手のひとりになるジャック・ブラックの役柄が、なんと映画音楽作曲家。こんな役柄、映画では初めてじゃないですか。しかも、モリコーネを尊敬し、自身のカーステレオでは『ニュー・シネマ・パラダイス』をかけ、『ミッション』を「自分を変えた作品」とのたまう。ウィンスレットに、ビデオレンタル店で、"音楽が印象的なおすすめ作品"的にとりだすところで、本作も手がけるハンス・ジマーの『ドライビング・ミス・デイジー』もあげるところはこそばゆい。今では、弟子たちの作品を統率する感じの仕事(『ホリデイ』もそうである)ジマーが、まだ自分で作曲をこなしていたころの作品ということでしょうか。とすると、このジャック・ブラックの役柄は、さしずめ、今で言うと、このジマー・チームの若手の一人みたいな感じに思えます。特筆は、この作品が"フィルム・スコアというものを一般に意識させるシーン"がいくつかあるということである。この作曲家が、彼女の目の前で、君のテーマだよ、といって作曲するシーンや、かつての大脚本家をたたえるテーマもその後に重要な役割を果たす。しかも、この老脚本家を演ずるのはイーライ・ウォラック。60年代~70年代の映画音楽もしっかり聴いてきた元映画少年は思わず身を乗り出す。しかも、この老人、祝賀会の席で、現在のハリウッド映画状況に辛らつな意見を発する。このテーマは、ラブコメのサブとしてあるシーンであるが、まさか、こんな映画でそういう状況とは、と観て初めて分かる部分でもある。

 そして、これを日本で見られるとは思ってませんでした『ツォツィ』。ストーリー自体はシンプルだが、ドラマ性は激しく濃厚。ドラマの緊迫にセリフは不要、とばかり、セリフのなさが逆にシリアスさを帯びる。このドラマの背景となっている事柄などには、まだ明るくないため、『シティ・オブ・ゴッド』のとき以上に「自分は何を感じたのか」が整理できない感じだが、少なくとも「こういう映画こそ観たいと思っている映画だったのに、公開されることがなかった種類のものだ」というのはわかる。

 『ホリデイ』に戻るが、キャメロン・ディアスとケイト・ウインスレットが互いの自宅を交換して、到着して数時間、互いに落ち着かないひとりの時間が結構長めにシーンとして存在する。この間、ふたりは、ほかの誰かとも延々とモノローグをすることもなく、「初めての全くの他人の家で戸惑う」時間を演じている。この間のドラマっぽい雰囲気が一番面白い。『ホリデイ』でいえば、セリフが説明される事柄になるほど、オリジナリティを失っていく。それは水戸黄門の印籠のようなもので、そのスジのファンには、その様式美がよいのかもしれないが。

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2007年1月20日 (土)

消えたカレー屋とハイディ矢野

半年振りぐらいに、大阪帰阪。といいつつも、バタバタしていて、今回は、わが本尊の太陽の塔の参拝余裕なく、そのかわり、日本橋でアニメ&イージーLP漁りしてました。ショックだったのが、映画少年だった頃から行きつけていた梅田地下街の2軒のカレー屋(セイロンカレーとインドカレーだったかな・・・長年通っていたのに、店の名前を覚えていない・・・)がともに昨年11月29日でもって閉店していたこと。何気なく、また、あのカレーを食べようとしたら、その張り紙が。周辺の店もみな閉店していたので、ビルの改築か何か絡みと思われます。しかし、あのおしゃれじゃない気軽さがよかったのに、どんどん店はおしゃれなものに改装されていく。しかし、カレー屋は、梅田からかなりなくなったですなぁ。

 さて、全く別の話ですが、今回の新幹線は、行きも帰りも、車両がJR東海のものだったのでラッキー。ここのところ、西日本のものにばかり当たっていたので、あの「北島みほとハイディ矢野のテキストいらずの英会話」を聴けずにいたのだ。これも、愛知万博の流れ。2005年開博中は、このプログラムの中に愛知万博のパビリオン紹介コーナーのようなものがあり、それがきっかけで、この新幹線車内プログラム(座席の横のジャックにヘッドホンつないで聴く。なので、新幹線旅では、ヘッドホンは必需品)を聴くようになったが、しらない間に、このふたかたのフランクだがつまりは超優等生しゃべり(ときどき、ちょっとさほどでもない話題で盛り上がる時があり、ここがちょっとウィークポイントで面白い)による英会話講座1時間番組は、とにかく癒してくれる。英会話学習めあてではない、この番組のファンはかなり多い模様。今回の旅では、都合5回ぐらいリピートして聴いたことになる。もろイージーリスニングである。

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2007年1月12日 (金)

69歳とひだまりスケッチ

今年の目標は「洋画を観る」です。とにかく、洋画を観て、洋画復権のささやかな力添え(めっちゃささやかですけど)を行いたい。という感じで、がんばって洋画を観る、ということで、観ましたポール・バーホーベンの『ブラックブック』。69歳なんですね。一見、それなりの枯れた大人の題材か、と見せかけて・・・さすが老いても年齢関係なくパワフルだったゴールドスミスと同じ波長のこの監督、枯れてなかったです。どぎつい描写(しかも、これは、おそらくサービス・シーンとして登場するエグさ)と、エロさ。それも、「普通、娯楽映画でそこまでしないだろう」というカットが数箇所ある。観た人間は、強烈なシーンの何箇所について、話したくなるだろうし、そこが狙いだろう。尺としては長い(2時間半ぐらいある)が、そこここで、あきさせないバーホーベンらしさで見せるので、たっぷり大人の娯楽サスペンスを観た充足感がある。しかし、エロじじい健在ですね。いい意味で。もちろん、それをみんな期待しているわけで、期待に応えているわけで。ところで、この映画を現地語で見せる理由、それも実感。オランダ語、ドイツ語、ヘブライ語、英語(がおもに飛び交っていたと思う。)がそれぞれシーンによって使い分けられ、決して英語圏の映画のために、英語を話すはずのないおばちゃんが英語を話している、なんてことがない。言語のリアリティは、特に、今回のようなドラマだと重要な部分なので、これは不可欠なものであるでしょう。

 さて、昨日より開始の本クールの本命アニメ『ひだまりスケッチ』ですが、黒板ネタ、舞台劇っぽい、というか思いっきり簡略化されたカット、4コマものの原作らしいアイキャッチの数箇所導入など、王道新房組タッチで楽しめました。というか、もう、王道すぎて、自らのパロディのよう。びっくりしたのが、今回が1/11(オンエア日と暦を同じにしている)もの、なのに、次回はいきなり夏の話。このてのアニメは「夏」は定番ですからはずせないですけど、いきなり。まるで、ケーキのイチゴの部分をいきなり食べる感じ。エビフライ定食で、いきなりエビフライだけ先に食べてしまう感じ。それか、ハルヒ的順番、するのでしょうか。音楽は誰?と思ったら菊谷知樹氏。ランティス系の歌曲書きまくり編曲しまくりの方ですが、劇伴は珍しいですね。というか、このアニメ、ランティスとアニプレックスのコラボという珍しい作品なんですね。アニプレックスのこのテといえば『かみちゅ』とか『学園アリス』あたり以来か。

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2007年1月11日 (木)

描いていない部分とフタコイ

久しぶりに、試写をハシゴしました。『ドリームガールズ』と『SCIENCE OF SLEEP』。後者は、またしても、邦題がなじめないので、原題を。さて、『ドリームガールズ』は、ビヨンセを主役に据えた、と見せかけて、の手品のような映画。ドラマを感動させていくのは「主役になれなかった人間たち」のドラマの方で、これは確信犯的な演出/ストーリー展開。恋愛が成就していない時期の方が面白いのと同じで、成功者を見つつ、「成功できなかった自分」との葛藤が面白い。また、前半、後半をはっきり分かつかのような時間差のある部分があり、ここの「省略された部分」が気になる。

 そして『SCIENCE OF SLEEP』。これは、ゴンドリー作品に慣れている人からすれば、始終ニヤニヤする、これは完全に作家の個人映画。ゴダールやトリュフォーのヌーヴェルヴァーグ期の作品と相通ずる。よくよく考えれば難解な作品。自分は、ここ最近「難解な作品が少なくなった」と思っていたので、わからない人間は放っておかれる作品は心地良い。これにしても、きっと難解な作品は存在しないのではなくて、「日本で公開されなくなった」だけであろう。音楽にしろ、映画にしろ、書物にしろ、世に大きく出るものは、噛み応えの少ないものがほとんどに。このゴンドリー作品も、ゴンドリー作品を知らない10代が見れば、きっとぶっとぶに違いない。

 さて、自分の衝撃がまだ残っているのが、その前日にDVDで見た『フタコイ オルタナティブ』だった。今クールのアニメの中でも、作風が最も際立ったひとつと思われるのが『まなびストレート』。製作は、ユーフォーテーブル。定評らしい。すごく気になって、過去のシリーズを見たくなり、『フタコイ オルタナティブ』を手にした。もともとの原作は恋愛ゲームなのだが、それを解体して、主人公たちのキャラを生かして、まるまるアクション・コメディに書き換えてしまったまさにオルタナティブ。動きのある作画とテンポが売り、との評判どおり、ものすごいアクション・シーンの連続を独特のテンポで見せる。また、ストーリーを動かすキャラたちがそれらしいキャラじゃないギャップがこのアニメのミソ。なので、イラストやパッケージ・デザインなどだけだと、普通のラブ・コメに見える。独特の上品さと、孤高さがある。クレバーなスタッフたちが楽しんで作った感じが思い切り伝わってくる。この意外感は、本日の映画2本にはないわけですが、そんなところにベクトルがあるわけでもないだろうから、それはそれでよし。

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2007年1月 2日 (火)

ハルヒと映画ファン

邦題がどうしても、なじめない。『36 QUAI DES ORFEVRES 』を観る。2007年初めての映画鑑賞。昨年は、本当に見なかった。まとまった時間がなかったのもあるが、「映画よりも面白いものを見つけた(恋愛にあらず。おもにはアニメですが、日常、とかもそれに含みます)」という理由が多数だろうか。で、配給会社の中では最も映画ファンの何たるかを肌身で知っていると思われるアスミック・エースが日本では配給した2年前のフランス映画。おそらく、多くの元映画好きが言ったであろう「昔は、こんな映画いっぱいあったのにね。最近、見かけなくなったね」という言葉が聞こえてきそうだ。ロビーにも、それらしい、中年男性が多い。そう、スペクタクルな映画はともかく、日本の配給会社は、このしぶい男たちが見る映画を配給しなくなっていた気がします。映画館や、劇場に男性が足を運ばなくなった、という話題もよく聞きますが、これにしても、単純に「観たい映画がない」からに他なりません。この映画の日本公開は、そういったもろもろへの実験だったのかもしれない、と思います。さて、映画そのものですが、思っていた以上に「ハードボイルドではなかった」のが印象。多分、その理由の多くは、音楽にある。見ながら、「やはり、このストーリーは、フィリップ・サルドの音楽で、リードはピアノじゃなくて、サックスかトランペットにとってほしい」、と思ってしまう。サックスかトランペットが音楽のリードをとると、なんとなく、渋みが増して、男性用な感じがする。しかし、そうではなく、ピアノやシンセが主なので、メロディもちょっと感傷的かとは思うが、そこはおいておくとしても、楽器がそこで意味を持ってくる。また、もしくは、こんな映画の音楽をもっとも得意としそうなフランスの作曲家は、と思うが、思いつかない。昔なら、サルド、ドルリュー、マーニュ、コロンビエ、と多くいたのに、と思うと、「映画音楽」の仕事を多く請けるアーティストの本業?を考えると、昔はジャズ寄りだったのが、今は、クラブ/エレクトロ系(いずれも、その時代に支持されるインスト分野)になっているからか。とすると、しぶいエレクトロは、不可能か。意見するには難しいところです。

 さて、映画を観る前にやはり、ちょっと秋葉原散策しましたら、ハルヒのDVD7巻の宣伝トラックが走っていてビックリ。そう、ハルヒのヒットで感じたのが「支持されるには、コアなファンをどこまで愉しませられるか」ということなのでした。考えれば、「コアなファンが面白いというぐらいのものは、今までそのジャンルに興味のなかった人間まで、なんだなんだ、という感じにさせる」ということで、日本の映画にまつわる諸々は、あまりにも「コアなファンは、とりあえず、こちらにおいて」を言い過ぎていまいか、と思った次第で。コアなファン(=声の大きなファン、と思う)を満足させられずに、何が、/もしくは「映画好きは、面白いと思うかもしれないが」という意見に、「ここに何人も"面白い"といっている人間がいるのにどうして/と思うわけで。そのあたりに苦しんだ2006年ではありましたなぁ、と思います。なので、『時をかける少女』が2006年以降の日本映画界(興行界含む)の何かになってもらえることを期待します。

 しかし、またまた『ウインターガーデン』サントラ聴きながら書いてますが、本当にいいですね。

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