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2007年1月24日 (水)

ドラマなきところのドラマ性

先週は、1本も観られなかったですが、今週は、本日2本鑑賞。『ホリデイ』と『ツォツィ』。前者は、女性監督による、100%いい意味での無味無臭ラブコメディを中心として、そういいつつも、その作品ならではのメッセージをこめる。キャメロン・ディアスとケイト・ウィンスレットが、仕事は上手く行っているが私生活は、といういつものパターンで、まさしくそう思っているユーザー女性をターゲットにしていると思われますが、その恋のお相手のひとりになるジャック・ブラックの役柄が、なんと映画音楽作曲家。こんな役柄、映画では初めてじゃないですか。しかも、モリコーネを尊敬し、自身のカーステレオでは『ニュー・シネマ・パラダイス』をかけ、『ミッション』を「自分を変えた作品」とのたまう。ウィンスレットに、ビデオレンタル店で、"音楽が印象的なおすすめ作品"的にとりだすところで、本作も手がけるハンス・ジマーの『ドライビング・ミス・デイジー』もあげるところはこそばゆい。今では、弟子たちの作品を統率する感じの仕事(『ホリデイ』もそうである)ジマーが、まだ自分で作曲をこなしていたころの作品ということでしょうか。とすると、このジャック・ブラックの役柄は、さしずめ、今で言うと、このジマー・チームの若手の一人みたいな感じに思えます。特筆は、この作品が"フィルム・スコアというものを一般に意識させるシーン"がいくつかあるということである。この作曲家が、彼女の目の前で、君のテーマだよ、といって作曲するシーンや、かつての大脚本家をたたえるテーマもその後に重要な役割を果たす。しかも、この老脚本家を演ずるのはイーライ・ウォラック。60年代~70年代の映画音楽もしっかり聴いてきた元映画少年は思わず身を乗り出す。しかも、この老人、祝賀会の席で、現在のハリウッド映画状況に辛らつな意見を発する。このテーマは、ラブコメのサブとしてあるシーンであるが、まさか、こんな映画でそういう状況とは、と観て初めて分かる部分でもある。

 そして、これを日本で見られるとは思ってませんでした『ツォツィ』。ストーリー自体はシンプルだが、ドラマ性は激しく濃厚。ドラマの緊迫にセリフは不要、とばかり、セリフのなさが逆にシリアスさを帯びる。このドラマの背景となっている事柄などには、まだ明るくないため、『シティ・オブ・ゴッド』のとき以上に「自分は何を感じたのか」が整理できない感じだが、少なくとも「こういう映画こそ観たいと思っている映画だったのに、公開されることがなかった種類のものだ」というのはわかる。

 『ホリデイ』に戻るが、キャメロン・ディアスとケイト・ウインスレットが互いの自宅を交換して、到着して数時間、互いに落ち着かないひとりの時間が結構長めにシーンとして存在する。この間、ふたりは、ほかの誰かとも延々とモノローグをすることもなく、「初めての全くの他人の家で戸惑う」時間を演じている。この間のドラマっぽい雰囲気が一番面白い。『ホリデイ』でいえば、セリフが説明される事柄になるほど、オリジナリティを失っていく。それは水戸黄門の印籠のようなもので、そのスジのファンには、その様式美がよいのかもしれないが。

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