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2007年2月27日 (火)

ニュアンスの問題

邦題『こわれゆく世界の中で』を観る。原題は"Breaking and Entering"で、このエンタリングこそがこの映画の妙なのですが、そちらは訳されていないので、またこんな映画か、と一瞬思ってしまう。ひとことでいえば、傷つく現代人たちの様を描いているのだが。この映画の踏み込んだところは、ありえないフィクションとしての「許しあい」のような気がする。ラストの終わり方は、ちょっと驚いたが、そう展開することで、今までの同様のこのタイプの映画では描かなかったことをしようとしているのが見て取れた。悲劇にするのは簡単だが、それを敢えて、もうフィクションだからこそ、ありえない理想のラストに向って突き進む。このミンゲラという監督は、原作モノの悲劇を今まで描いてきて、決して老練なストーリーテラーではないぎこちなさを感じていたが、今回のようなニュアンス重視のものの方がよいんじゃないか。それにしても、ジュード・ロウという人は、集団劇の好きな人である。

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2007年2月20日 (火)

残された者

『ママが遺したラブソング』。もう、このテの邦題にだまされない?免疫は出来ているので。こういったテイストの映画を多く観たいと思うラフな感じの見ごたえのドラマ。物事が結構ニュアンスで発展していくので、起承転結っぽいものも緩やかで、そのテンポがリアルというか自然である。リアル(現実)の方が、こんなにニュアンスだらけではないだろうから、不自然なほどに自然、ということはあるかもしれない。さて、このドラマは、ひとつの「残されたもののドラマ」とジャンル化されたもののひとつにあたると思いますが、どうも、この種のドラマはずるい。すでに過去にいろんなドラマはあったろう、ということがミエミエだからで、そうなってくると、すべてが本当にニュアンスのままで終わったほうが面白かったかもしれない。また、潔く、すべてが明かされずに終わるドラマもあるとおもう。ドラマの作者側は、そういう意味では、設定はいいが、過去に甘えてもいけないと思う。例えば、ヒーローものなどで、スピンオフ作品があるが、これこそ、過去を今まで想像させていなかった余裕から発生するものなので、これぐらいの遊びを残して、なおかつ、今展開しているドラマを見せる物にしなくてはならない。今回の映画で言うと、ほとんどの人物の言動は、過去に起きたであろうドラマに起因しているから、過去に甘えている、ということになる。

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2007年2月15日 (木)

ものすごく新しくないものと、ものすごく新しいもの

本日も2本。『輝ける女たち』という邦題のフランス映画。大女優が何人か出ている映画なら、なんでもつけられる邦題で、どんな映画かわからない。というか、女優目当てで見に行けばいい映画ではあるのですが。80年代以降のクロード・ルルーシュ映画がやりそうな設定、ときどき、フランシス・レイを思い出すメロディ、しかし、外での撮影はほとんどなく、室内撮影がほとんどなので、ルルーシュ映画のダイナミックさはない。女優勢ぞろいといえば、フランソワ・オゾン映画を思い出すが、オゾン映画のような気取ったところは一切ない。女たちはしたたかで、男はいつも女たちにだまされている、みたいなような不変のテーマを、何度も観た覚えのあるシチュエーションの連続で見せる、敢えて新しくない映画である。これは、これで貴重。ある意味、寅さん的なフランス映画。

 そして、この邦題も疑問は残る、19歳の監督の作品『明日、君がいない』。これは、映画を知っている人間であればあるほど作ることが出来ないかもしれない発想に満ちている。一見、ガス・ヴァン・サントの『エレファント』にあまりにも酷似した表現が気になったが、それはどうもガス側も承知のものらしい。むしろ、『トレインスポッティング』と『ヒューマン・トラフィック』のような兄弟関係?にある作品といえるか。そのタッチの独特さで、いろんな興味が拡散する。そして、すごいのが、この映画の構造そのものがテーマになっている、というすごい終わり方をするのだ。こんな映画、初めて見ました。そして、なるほどそうなのだ、と感心させられる。しかも、これは小説などではできない手法だ(うーん、できなくもないかも)。この大いなるネタバレ的なテーマを論ずるのは、観客が相当いるほどの名作(『ユージュアル・サスペクツ』ぐらいに)にならないと難しいのかなぁ。監督は、しかし、このすごい構造は、初めの構想ではない、と答えている。初めに考えられていた構造は、これは私も思いました。そういう映画なのかな、と。そこで、考えを一転させているのだ。「描く、ということは何か」の根本を揺るがす、すごい作品。全体として傑作かどうかはわからないが、とにかくすごかった。

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2007年2月14日 (水)

ザ・ジャンル

本日2本鑑賞。『主人公は僕だった』。意外にかっちり作っていて、破綻させない。ということで、マルコヴィッチやゴンドリー者とは違うのは、「画面はあくまで日常から逸脱しないこと」だ。一見、エキセントリックな脚本は、これはやはりカウフマン映画が開拓したジャンルだろうと思う。カウフマン映画なしに、この脚本があった際にゴーサインは出ただろうか、と思ってしまう。ただ、この映画が顧客と設定するのはゴンドリー映画や、モダンなおセンチ・ポップ(決して揶揄しているのではない。自分もこのジャンルは好きなので)を好む層だろうか、それならば、理解可能だろう、と思う。ネタバレはいやなのでぼかしますが、後半から、物語の意味合いが変わってくる。最後の「オチ」でないが、それなりの理屈を作る着地点はストーリーとして感心。これは、映画ネタというより、小説として読んだほうがより面白いんじゃないか、と思いながら観ました。

 そして『ゴーストライダー』。このテのジャンルを観るのは久しぶりです。つまりは「様式美」だろう、と思ってましたので、そこに特化して観ましたが、まさしく「よっ、待ってました」的展開の数々で、これは、たまらん人にはたまらんようになっているな、と思いました。新しかったのは、ヒーローたちが大暴れした後の街の惨状を見せていたこと。教科書でも読んだ大江健三郎「破壊者ウルトラマン」を思いだす。ただし、ウルトラマンと違うのは、主人公も、自分は正義の味方ではなく、個人的なもので働かされていたり、悪対悪みたいなものであることを感じ取っている部分だ。そういえば、日本のヒーローって、ダーティさを含ませるものはあったのだろうか。

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2007年2月 7日 (水)

だからそれはダメだといっただろう

という感じがして仕方がなかったのが『ボビー』。死をドラマのかなめに持ってくるのは、やはり、もうちょっとそれは、と思ってしまう。例えば、先日の『マリー・アントワネット』でも、死は待っているはずなのだが、それには、直接的に作り手は興味はないわけで、死がドラマのきっかけでもあろうのに、それは敢えて、横においている(これは『ヴァージン・スーサイズ』もそうでしょう)のと違い、思い切り、そこにこだわっている。ただ、現在へのメッセージもこめる作品であろうだけに、そこにリアルな死への抗議が伴うので、ちょっと難しいのだが。何かの映画と手触りがちょっと似ていると思えば、音楽監督がクリス・ドゥリダスと同じだった『アメリカン・ビューティ』。しかし、あれはあれで、死について感動とか涙とかとは違った不思議な意味を持たせている。『ボビー』のドラマの構成は『マグノリア』『クラッシュ』タイプだが、ロバート・アルトマンの諸作や『ラブ・アクチュアリー』といった集団劇との違いは、それが全くのシリアスであることだ。『ボビー』は一見、良質のドラマだし、破綻はないと思うのですが、過去の映画で経験したことのある感動とかなり似た感動を及ぼす。ほとんどのベテラン・アクターたちは、いかにも、の余裕の演技という感じで、その中で「頑張りました」感いっぱいのリンジー・ローハンとニック・キャノンに逆に好感を抱く。彼らだけに絞ったドラマだったら、もっと個性的だったかも。とはいっても、大人の鑑賞に耐える作品であることは確かと思います。

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例えばベンハーの時代にオーケストラはない

『マリー・アントワネット』。いい意味での意外性を期待していた。というか、それしかなかった。で。ソフィア・コッポラという人は、『ヴァージン・スーサイズ』も『ロスト・イン・トランスレーション』も、今回も、「幸せな退屈へのノスタルジー」にこだわっていると思われる。というか、もう、ほとんどそれしか興味がないかのよう。『マリー・アントワネット』を女の子の視点で、という話だったが、それはつまり、歴史として知られている様々な事件とか政治的なこととか、それらは自分には全く興味がない、ということなのだ。ほとんど「わからない」というレベルで、興味がない。自分自身は、ひたすら、夢のような世界の中で、退屈を楽しんでいる。これは、最終的に悲劇かそうでないか、の違いはあるだろうが、それさえどうでもいいように思われる。映画の最後では、その楽しかった時間への訣別で終わる。それは、この3本とも、全てがそう。「幸せな退屈」は私も好きですので、「退屈であればあるほど幸せ」ぐらいの本末転倒な快感さえある。ただ、演じるほうは、この「退屈を演じる」ことほど難しいことはないに違いない、と思う。見る側に自分の「退屈」を楽しんでもらわないといけないわけだから。

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2007年2月 2日 (金)

1977年30周年

今週は、よく映画観たということで、今週のラストは『ロッキー・ザ・ファイナル』。密かに楽しみにしていたのだが、それというのも、今度は本当にマジな感じがしたからだ。実際、シリーズ(というか、一作目)に馴染みがない人にはわかりづらいストーリーになっているが、とにかく、一作目への郷愁でひっぱる。観客もそのつもりの人がほとんどだろうから、それでいいと思う。というか、むしろ、本当に最後の最後だからしっかりともう一度思い出す、そんな感じの半端ではない思い出し方だ。最後の試合も、第一作目を髣髴とさせる展開になっていく。伏線としてあるわけではないが、ここ数年孤独だったロッキーがやる気を取り戻す象徴として、新たな応援者が増えていく。一見、この辺のエピソードは、なくてもよいものだが、弱気になっていた主人公を支える擬似家族的の誕生という意味では、意味のある展開だ。そして、改めて感じたのが、音楽の存在。『ロッキー』のビル・コンティのあの音楽以来、映画音楽として、多くの人の心に刻まれ、それとして親しまれて映画の記憶と伴っている仕事は、ないんじゃないか。これは『スター・ウォーズ』や『タイタニック』の比ではないと思う。

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2007年2月 1日 (木)

これぞの2本

映画観まくり週間。『クイーン』。ある程度、ストーリーは知っていたものの、「その時だけ」を切り取った物語だとは思わなかった。ほとんど、政治駆け引きもののノリ(もっと柔らかいが)なので、『サーティーン・デイズ』を思い出した。さて、以前から、フリアーズ監督作品の味とは何だろう、上手いのはもちろんなのだが・・・と考えていると、いずれも集団劇なのに気づく。アルトマン作品とは違い、主役と脇役の書き分けは出来ているが、フリアーズ作品の脇役は、隙がない。今回も、気をとられる脇だらけで、これが娯楽演劇を作る名匠ならではの味なのでしょう。ちょっとモリコーネを意識したと思われるデスプラのメロディもさすがで、どうして、他の作曲家も、こういったメロディの冒険をしないかな、といつも不思議に思う。

 そして『ラストキング・オブ・スコットランド』。これはわざと前知識を全くいれずに観たが、ドラマの始まりと終りで、印象が全く違うものになっている。ひとつのストーリーを追いかけていて破綻はないものだが、シーンによって、描き方がそれぞれ違う。なので、このドラマが一体、どう行き着くのかがわからなくなる。これはおそらく主人公の心持をタッチに反映させている感じで、中盤まではラフな感じのいかにもインディーズ・ムービーなムードの自然な流れでかつサイケな雰囲気(このサイケさが、この映画のアクセントであろうと思われる)からジワジワとゴールドスミスあたりが音楽を担当しそうな緊迫感あふれる政治ドラマになっていく。アレックス・へフスの音楽も、後半は、ゴールドスミスよろしくオーケストラを激しく鳴らしまくる。『クイーン』は、一シーン一シーンが、芸達者の役者とプロ中のプロのスタッフたちが作っている、まさに見ている間も楽しく面白い物語だが、『ラストキング・オブ・スコットランド』は、一見の不安感を伴いながらの鑑賞が、のちにひとつのピンと張ったものに出来上がっているような作品で、いずれも、大人(どちらかというとオッサン)が「いい映画みたぁ」と思えるもの。しかも、ともにメロディはしっかりしていた。デスプラ、へフス、ともに芯を持ってますね。そして70年代あたりまでの映画音楽のファンですね。

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ドラマを排除すればどうだっただろうか

さあ、映画観てますよ。『ステップ・アップ』。ティーン・ムービーです。もちろん、ものすごい傑作は期待せず(たまに、ものすごい傑作あったりするので油断禁物なのです、このジャンルは)、見ると、アダム・シャンクマン一派の(彼の映画の振り付けを多く担当していた)振付師さんの監督進出作品。なので、ダンス・シーンがほとんど。なおかつ、感心したのが、ダンスを踊っているわけではない普通のドラマのシーンでも、複数の人物の立ち居地・動きの変化は、早送りで見るとダンスに見えるであろうような動きをしめしている。ストーリーは、待ってました、といわんばかりのお決まりスジですが、シネスコ画面で、人物の動きをジックリ見せるための、敢えてのカメラワークっぽいカメラワークをさせない固定画面の多さは心意気を感じさせます。さすが、振付師さんの映画です。そして、このチームで、今度はミュージカル化された方の『ヘアスプレー』の映画化ですか。これは楽しみです。

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