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2007年2月 7日 (水)

だからそれはダメだといっただろう

という感じがして仕方がなかったのが『ボビー』。死をドラマのかなめに持ってくるのは、やはり、もうちょっとそれは、と思ってしまう。例えば、先日の『マリー・アントワネット』でも、死は待っているはずなのだが、それには、直接的に作り手は興味はないわけで、死がドラマのきっかけでもあろうのに、それは敢えて、横においている(これは『ヴァージン・スーサイズ』もそうでしょう)のと違い、思い切り、そこにこだわっている。ただ、現在へのメッセージもこめる作品であろうだけに、そこにリアルな死への抗議が伴うので、ちょっと難しいのだが。何かの映画と手触りがちょっと似ていると思えば、音楽監督がクリス・ドゥリダスと同じだった『アメリカン・ビューティ』。しかし、あれはあれで、死について感動とか涙とかとは違った不思議な意味を持たせている。『ボビー』のドラマの構成は『マグノリア』『クラッシュ』タイプだが、ロバート・アルトマンの諸作や『ラブ・アクチュアリー』といった集団劇との違いは、それが全くのシリアスであることだ。『ボビー』は一見、良質のドラマだし、破綻はないと思うのですが、過去の映画で経験したことのある感動とかなり似た感動を及ぼす。ほとんどのベテラン・アクターたちは、いかにも、の余裕の演技という感じで、その中で「頑張りました」感いっぱいのリンジー・ローハンとニック・キャノンに逆に好感を抱く。彼らだけに絞ったドラマだったら、もっと個性的だったかも。とはいっても、大人の鑑賞に耐える作品であることは確かと思います。

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