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2007年2月 7日 (水)

例えばベンハーの時代にオーケストラはない

『マリー・アントワネット』。いい意味での意外性を期待していた。というか、それしかなかった。で。ソフィア・コッポラという人は、『ヴァージン・スーサイズ』も『ロスト・イン・トランスレーション』も、今回も、「幸せな退屈へのノスタルジー」にこだわっていると思われる。というか、もう、ほとんどそれしか興味がないかのよう。『マリー・アントワネット』を女の子の視点で、という話だったが、それはつまり、歴史として知られている様々な事件とか政治的なこととか、それらは自分には全く興味がない、ということなのだ。ほとんど「わからない」というレベルで、興味がない。自分自身は、ひたすら、夢のような世界の中で、退屈を楽しんでいる。これは、最終的に悲劇かそうでないか、の違いはあるだろうが、それさえどうでもいいように思われる。映画の最後では、その楽しかった時間への訣別で終わる。それは、この3本とも、全てがそう。「幸せな退屈」は私も好きですので、「退屈であればあるほど幸せ」ぐらいの本末転倒な快感さえある。ただ、演じるほうは、この「退屈を演じる」ことほど難しいことはないに違いない、と思う。見る側に自分の「退屈」を楽しんでもらわないといけないわけだから。

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