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2007年3月14日 (水)

青になりました

『オール・ザ・キングスメン』。一見、「今の日本人こそ観るべきだ」的映画なんでしょうが、このテの問題は、史劇の頃から、そして現実からゲームに至るまで、必ずとって回る問題なので、いわば恋愛映画を観るごとく、普遍のもの。ひょっとしたら、恋愛映画の方が、普遍さはすくないかもしれない。さて、まさに大人の映画で、綻びなし系な作りですが、ここでやはり松本清張節を思い出す。本当に恐ろしさを感じさせるために、敢えて平易に描く、という部分である。この映画は、その全く逆なので、今回ならジュード・ロウ側に感情移入させて見させるものなので、恐ろしさは薄められている。ホーナーの音楽でジャンジャンというよりは、こういう物語こそ、サンタオラージャとかがポロンポロンと音数少なく仕立てる方が恐ろしいのだろう。

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身を任せる

昨年の不調?がウソのように、映画観まくっております。『あるスキャンダルの覚え書き』。このリチャード・エア氏の映画は『アイリス』とか観ていなかったので、この映画が通常と違うのか、この人のタッチなのかは不明だったのですが、非常に「面白く観る自分」と「面白く観てしまう自分をいさめる心」に迷うものでした。架空の物語の中での現実っぽいスキャンダルの上のスキャンダルは、演劇と映画を使い分けるその意味も分かる演出。覗き見趣味全開。役者は超一流揃いだから、これは真に迫る。確かに舞台劇として完成されたシリアスな素材をあえて、ドキュメンタリー・タッチで映画でやればどうなるか、というのは作るほうも楽しいに違いない。グラスの音楽はホラー。これが延々流れる。誰も殺されないホラーの一級品。

 そして『ハリウッドランド』。マルセロ・ザルボスの音楽は、どうしても、アイシャムも『ブラック・ダリア』で行った、『チャイナタウン』『LAコンフィデンシャル』のゴールドスミス・サウンドの呪縛にとらわれる。事件の真相を追うドラマからは何度か逸脱し、違う方向に興味を変える。ずるいストーリー作りで、これはこれでひとつのあり方とは思う。この決着の方法で終わる「推理ドラマ」ってどのぐらいあるのだろう。少なくとも、大勢には支持されないであろう大胆さではある。

 またしても、気に入っていた六本木の飯屋がなくなっていた。私が気に入るぐらいだから、繁盛はしていなかったのかもしれない(繁盛している店は嫌いな自分)。

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2007年3月 8日 (木)

ユートピア

改編シーズンだから、お気に入りの番組もガンガン終わる。そして、4月からは、逆に注目アニメが数え切れないほど控えているので、それはそれでうれしいのですが、NHK『ドキュメント72時間』は終わる。このシリーズがレギュラー化する前にも、一点にカメラを据える企画は、渋谷駅のコインロッカーのエピソードなどがあったが、確かに、最近の回は、一点にカメラを据えてはいなかったので、ちょっと趣旨がずれてきているのでは、と思わざるを得なかった。一点にカメラを据えていると、興味深い人物にも出会うであろうが、その人物を追いかけるだけになってしまうと、その人物のドキュメントになってしまう。その地点は、ほかにどんなことが起きているのかがわからなくなってしまう。カメラを据え続けて、1エピソードとして紹介しうるデータとしての面白さにならなかったということだろうか。何も、感動的なドラマを血眼になって探さなくてもいいのに。

 さて、ダニー・ボイルとアレックス・ガーランドが今度は宇宙SFを題材にした『サンシャイン2057』。原題はSUNSHINEのみで、まさに、サンシャインについてがんばるSF。ボイルとガーランドという、映画・物語・音楽いずれものオタクな香りを放つ彼らならではのものを期待し、その通り。予想通り、ストーリーというよりもビジュアル重視で、かつ、「ユートピア探し」たるボイル映画のテーマ(と思っている)に沿ったもの。今回は、「よい人生かどうかのものさしは、死に際にオレの人生はよかったと思えるかどうか」というひとつの指針はよくあるが、あれです。この映画の主人公たちは、映画の初番でもう、自分の死を大方覚悟している。ほかの映画よりも、すごく自然に覚悟している。そして、いわば「自分にとって最も納得のいく死に方」を選んでいくのだと思われる。この映画の描く死には、恐怖よりも大きい意味を持つ価値があるという前提がある。これは、ユートピア探しの極限だろうし、さあ、ここからどの宗教に行くか、その分岐点、みたいなギリギリのテーマでもあろうと思う。傑作です。

 そして『ボルベール』。アルモドバルの新作。自分は、アルモドバル映画になかなかついていけないのですが、今回は、肩の力を抜いてみてましたが、楽しみました。アルモドバル映画って、男ばかり出てくるか、女ばかり出てくるか(女ばかり、という場合が多いが)で、今回も、女ばかり。基本的には、この彼女たちの会話のみで成立していく物語。そういえば、この監督の映画は、ほとんどは会話のみで成立している。そこに赤を基調とした原色の多い画面。そして、ほとんどミステリーといえる前設定がある。しかも、そのミステリー的設定が重要ではないところがすごい。すごい事件も起こっているのに、親子の再会が重要なテーマになっている。このポリシーはユニークだと思う。

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2007年3月 7日 (水)

先に違う話題を

ここのところ、観た映画の感想を書いて終りでしたので、今日は、その後に秋葉原に行ったときの事を。アキハバラデパートがなくなったため、懐かしい感じを味わえるのは、あそこしかない、とワーナー試写室を出ました後、都営三田線で水道橋へ出てそこからJRで秋葉原へ。ありましたありました。総武線ホームから山手側に降りていく口のところにあるそば屋というか丼モノ屋というか。実は、前から入りたくて仕方なかったのだが、いつも、別のところで済ませた後で通っていたものだから、ここぞとばかり、初体験。なんということはないそば屋というか丼モノ屋ですが、おっちゃん3人が雑談(店の補修とかの話だったか)しながら手際よく注文をさばいている。客は100%おっさん。この雰囲気がいい。やはり、こういうほうが落ち着くんですよね。

 ということで、その前に観た『ラブソングができるまで』。そんな邦題ほどベッタリした印象はないのは、さすがヒュー・グラントの非現実感のなせるワザか。ここ最近、この人はラブコメ以外のジャンルに出ることはないが、そのかわり、ラブコメでのこの人は、本当に名人芸だ。映画も、60年代70年代のポップカルチャーはよく話題にされるが、80年代は、そういえば音楽自体は普通に語られるのに、それが素材として使われることがなかっただけに、新鮮。かつ、今後、この素材のストーリーも増えていくんだろう、と思う。すべては水戸黄門ぐらいに予想通りのストーリーだが、この心地良さは、ギャグを知り尽くしているコンビの漫才を見るようなものなのだろう。それを知って答えているはずだから、相当のエンタテイナーですね。

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2007年3月 5日 (月)

抑制

もともと今日観る予定はなかったのですが、予定変更で時間が空いたため、『善き人のためのソナタ』。久々に、意味のある邦題。そして、映画自体も、年に数本「本当にクレバーな人たちが作った映画」(特に根拠はないが、そんな観た印象)と思える映画があるが、まさに、これがそれ。時代が時代、設定が設定なため、必要以上に抑制することが、意味を持つことになっている。多くの日本映画の沈黙と違い、アート色の濃い沈黙ではない沈黙が支配する。それは、このドラマが「沈黙」し「態度を抑制」することが自然な状況だから。それにしても、このドラマほど、沈黙の意味が親しい意味を持ちえるものも珍しい。2人と1人の人間関係も、最近の映画にはない緊張感のある設定。昔のフランス映画あたりを思わせる。

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