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2007年9月11日 (火)

5時起き

8/30の続き。三陸鉄道北リアス線、普代で団体客が降りた直後ぐらいからだったと思うが、「しばらくトンネルが続きますのでご了承ください」とのアナウンス。いや、べつに謝っていただかなくてもいいですが、と思いましたが、さすが観光鉄道としての心意気ですね。確かに、久慈~普代間とは違い、トンネルが多い。宮古16時42分着。早い。駅の周りを一通り歩いてみるも、福知山や宮津あたりの駅前をちょっと思い出す。山田線の南下でも少しするか、とも思いましたが、中途半端なので、ここ宮古でゆっくりすることにする。いろいろ見渡すと、駅前ちょっと曲がったところに地元スーパーの建物(4F建てだったかな)があり、そこの1Fのラーメン屋兼喫茶みたいなところで、黒チャーハン・セット(のような名前)を注文。ついているラーメンのだしが多分、独特の味のよう。町自体の空気も、潮っぽい香りはするし。そして、ホテルを探し(予約の際は、駅すぐ、と書いてあったのですが、そんなにすぐではなく、ホテルだと、まあまあ高層(といったって4,5階ですが)ビルだから、すぐ見つかるだろうと思っていたが、意外にそんなにわかりやすくはないところにあった。このぐらいの距離だと、快適なぐらいの距離。さて、このホテルが、部屋が異常に広くて、大満足。ここ最近、使ったいろんなホテルの中でも屈指の心地良さだった。

 が、周りに、ちゃんとした夕食をとろうとすると、なかなかそういう食堂は見当たらない。ちょうど、同じホテルに泊まっていると思われるベテラン・サーファーっぽい一団も飯屋に繰り出したようだったので、静かにじっくり食べたかった自分としては、唯一、食堂らしき店はあったのですが、そこに彼らも入りそうだったので、結局、先述のスーパーで、惣菜を買って部屋で食べることにする。デザート?にリンゴなぞも買って、ちょっとそういう気分も浸る。さて、翌日が5時おきなのであった。

 さて、8/30。5時起き。宮古5時54分が目的。駅に着いたのは、5時30分すぎ。すでに、そのディーゼルっぽいのが到着しているので、ホームへ。ローカル線は得てして、かなり前に到着していて、ぎりぎりなんかに乗ろうものなら、すでに満員(とまでいかなくとも、けっこう座れない)ということがしばしばなので、不安でホームに行くと、全然そんなことはなく、誰もまだだった。ドアは開けられたので、左側に乗る。しばらくすると、鉄道ファンな人物がもう一人。宮古出発。そして、茂市6時18分。ここから、岩泉線の途中、岩手和井内までいって引き返すディーゼルのため、次まで茂市で過ごそうと、降りる。ここも、想像通り、ひっそりとした山奥。ところで、この日は、前日と違い、雨が降る、と言われていたし、寒かった。長袖を持ってきていて正解。それでも寒いので、もう一枚着込む。長袖2枚持ってきていて正解。前述の鉄道ファン氏は半袖だった。待ち時間が長いことはみなさん承知なのだろう、駅の待合文庫みたいなものもあり、懐かしいカッパノベルスなんかもあって、しばらく目を通す。土屋隆夫の名作「妻に捧げる犯罪」がそういえばあった。さて、7時1分、先ほどのディーゼルが茂市に戻ってきた。この一旦、短距離往復の意味が分かったのは、このディーゼル、結構な数の学生を乗せていた。この茂市への戻りが重要だったのだ。そしてついに、何度も計画だけはしつつも実行しなかった、岩泉線乗車。50分ほどの道中。かの有名な押角含め、実際、乗っている側としては、ひたすら森をかき分けて走っている感覚しかなく、ものすごいところを通っている線だということはわかっても、しかも自分には、今のぼっているのがすごい傾斜の坂、という感覚もなかなかわからなかったりする。岩泉7時53分。さて、この折り返し8時1分をスルーすると、次はなんと17時20分までない。ので、ゆっくり駅前を見ることが出来ず、とりあえず、駅前の町並みをささっと数枚のデジカメに残す。駅舎自体は、観光案内所みたいな建物と一緒に結構大きい。岩泉周辺はちゃんと町、それもちゃんと観光町の風情で、ここにたどり着くまでにすごいところを通ってくるのが岩泉線ということなのだ。さて、この戻りには、岩泉に泊まっていたのか(この時間だとそれしかないでしょう。前日は、ひょっとして夕方の一本に乗ってきていたのだったら結構凄い)女性二人組も乗ってきた。岩泉からの乗客は、なので5人だったか。いずれも、この路線目当てと思われる、地元ではないメンツ。この1日3本(往復景色が見えるのは、朝の一本のみ)というこの本数が一般にもほとんどブーム化してきているのか。さて、この戻りの岩泉線の途中から、もう雨が降ってきていた。終点茂市でも、結構な雨で外にも出ることをやめ、盛岡行のホームの待合室で待っていると、さきほどの鉄道ファンメンツ(女性二人組も)が、朝食らしきものを調達してホームへ。茂市駅前すぐには、パン屋もコンビニも見当たらなかったので、結構歩いて、みな探してきていたのだろう(ちゃんとリサーチぐらいはしてあるのかもしれませんが)。9時34分茂市発、この山田線に秘境駅があるのは聴いていたが、駅名まで忘れていたので、時刻表で、止まる本数の少ない駅を確認。進行左側に座るも、その駅に近くなると、どちらにホームがあるのかもわからないため、向こう側の窓も気にしながらキョロキョロしていたが、二駅とも、ホームは左側にあった。が、かなり一瞬でよくわからず。この山田線も、ものすごい森の中を掻き分けて走っている線で、それもかなり長い。さて、盛岡11時19分。ちなみに、このディーゼルには、地元の方もかなり乗っておられた。

 盛岡からは、各駅停車で行けるところまで、と北上、一ノ関、小牛田と乗り継いで仙台まで。しかし、もうずーっと本降りだったため、外には出られず、また寒いため、結局降りては、一旦駅まわりだけ見て、すぐ、先に来ている次の電車に早いうちから乗り込んで、の繰り返し。仙台では、もう結構、日も暗くなりはじめしていて、新幹線にのりかえ。

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2007年9月 8日 (土)

赤字カットわかめ

さて、続き。鮫から、久慈までの間、しばらく、何度も、左手に海水浴場になりそうな(数箇所は多分、そのように利用されているであろう)砂浜を見かける。海からの風を全面に受けつつ(冷房なしで、窓あけてますんで)、久慈14時7分着。この久慈が、結構かなり開けているところで(市ですし)、さまざまな店並みはあり、クルマが通れる道もかなり通っているが、人影はまばらで、食堂っぽいところも見当たらない。(駅前に、観光客用っぽい店はあったと思うが、そこには入らず・・・)地下道があったので、もぐる。駅の向こう側に行く、踏切代わりの地下道。駅舎のある逆側に出るが、そこには、閉店セールをしている衣料品店と、スーパー。やはり、スーパーに入り、どこかで食べられれば、とちくわなんぞを買う。弁当買えばよかったのに、その時なぜか思いつかず。

 15時13分発の三陸鉄道まで、まだしばらくあったが、ちょっと駅も楽しもうと思って、三陸鉄道(JRとはしっかり違う駅舎が建っている)久慈駅へ。売ってます「三鉄赤字せんべい」。買ってみる。海草を入れたクッキー。その名の通り、銚子電鉄のぬれせんべいのような効果を期待したものか。「赤字カットわかめ」というものも売っている。さて、まだちょっとあったが、ホームに回ってみる。すると、どどどっと、団体観光客の一団が2かたまり。先導員の女性も、なのでふたり。べつの会社のツアーなので、やりとりも見ていると面白い。が、これはもう、この列車の座席に座るのは断念して、記念列車っぽい体裁の車両2両編成が来た際に、ちょうど、眺めがよさそうで、個室風(もともとは車掌室だった部分を改装した感じの部分)のところに陣取る。この、団体客は「普代」までだったので、普代以降は、ゆっくりと座席に座ることが出来る。ところで、さすがに観光列車なのか、これまた左手に海が絶景に見えるところで(右手には、滝や川が見えている。実は、どうもこっちが絶景だったらしい)一旦、列車が止まる。そういえば、ワンマン列車だったのだが、次の駅のアナウンスが、ただ駅名を言うだけでなく、名所の説明などもしている。そして、なんか、駅名の前にニックネームのような名前をつけてアナウンスしている。

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2007年9月 6日 (木)

本八戸

29日(水)は、17時に目黒にいないといけない用事があったため、午前中早々と、自宅に戻って、目黒の用事をすませ、19時。さあ、岩手県への乗りなのだが、朝・大宮に8時50分というなかなかハードな距離のため、前日に、その近くに泊まる事にしていて、しかし、大宮はすでに宿が取れず、浦和で取った。ビルの空き部屋をホテルがわりにしてます的な、なかなかすごいホテルでしたが、ここは本筋ではないので大丈夫。8時30分すぎの大宮というのは、初めての経験だが、先に切符をとっておいてよかった。ものすごく並んでいる。窓口も多くなく、かつ、最も混む時間なのだろう。無事、はやてに乗車。この日の東北は、以前から、くもり後雨的な、とても旅には適していない予報だった。確かに、仙台あたりまでは、どよんどよんとしていた。しかし。ほんと、岩手県入ったぐらいのあたりから、急に晴れてきた。以前も、日本中が晴れていないときに、晴れている山形に向かったことがあるが、こういう状況を見るにつけ、新幹線をありがたく思う(東海道新幹線に乗るときも、地域ごとの天候が一気に変わるのが面白くもある)。さて、八戸着。すっかり、近代的なターミナルになっている。外に出てみるが、しっかり整備されている。ちょっと八戸に来た気がしなかったりする。空気の香りは、東京や大阪のそれと違うのは、すぐにわかるが。静寂さも。さて、30分ちょっと八戸駅周辺を見渡して、さて、八戸線へ。おおっ、冷房なしの扇風機車、時間も時間で、かつ、夏休み中だからか、乗客もそこそこというところ。さて、いやあ、いきなり、これできますか。窓を少し開けて、ちょっと激しめに吹きいる風を顔に当てながらの列車乗り。この感覚、久しぶりです。しかも、結構、陽射しあるのに、日よけをおろす人がほとんどいない。(よく、せっかくいい「外見日和」なのに、全窓日よけ状態で、真っ暗で外が見えない、という状態のことがあるので・・・)少し経つと、「本八戸」。結構な人数が降りていく。そう、ここがどうも八戸の本来のメインストリートのようである。そこから、少し経つと、「鮫」駅。ここでどっと降りる。このあたりまでが、市街地らしい町並みがあるよう。ここから、急に視界も変わってくる。もう、進行左側(そうだろうと思って、もちろん左側に座っている)が、海が一望に、状態。

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8日前

日々の忙しさにかまけていると、いかんいかん、書きたかったことを書かずに、もう一週間以上が経っている。ということで、8/28のことについて。前日に、くずはモール街跡を見た自分は、翌日、自分の生家(多分、初めの引越し後、尋ねたことはなかったと思う。少なくとも、しばらく経ってからは)は今、どうなっているのか、が気になり、探索することにした。その家から離れたのは、今から37年前である。大阪は守口市の、橋波東之町。今は、京阪電車の西三荘駅のすごく近くに当たるところ。当時は、そこより京都側に「門真」という駅があり、そこが最寄り駅だった。もちろん、その頃は高架ではなく地上駅で、複々線ではなく複線で、ホーム幅も、すごく狭かった。その名残、と思い、西三荘を降りて、このあたりからだろうと思われるあたりまで京都側に歩き、そこで、かすかに記憶のあるうねりのある道と、記憶にある薬局名と、喫茶店の名を発見。すなわち、そのニ店舗は、37年間、まだあったのだ。そこから、記憶の糸をたどるように、昔々の家路をたどっていく。「西三荘」の駅名の由来にもなった、ちょうどその真下を通っている水路(小さな頃は、大きなドブぐらいに思っていた。ねずみとりでとったねずみをその川(人口的なものだったので、川ではないんだけれど)に捨てに行っていた記憶もよみがえる。)ぞいにたどって、そこからさらに記憶をたどって。あった。それらしき家並があったのだった。もちろん、今住んでいる人に挨拶をする、とかそういう展開ではなく、しばし、感動にひたってから、その場をあとにしただけなのですが。

 そして、その日の第二部ともいえるのが、万博閉会後、入ったことがなかった「エキスポランド」散策だ。ほんと、今は便利になっていて、西三荘からひと駅の「門真市(昔は「新門真」だった)」から大阪モノレールで「万博記念公園」まですぐだ。この、万博ど真ん中まで労せずして行ける所は、開催時を思わせて興奮。さて、閉会後、初のエキスポランド。大の大人の男がひとりで遊園地に入るのだが、こういう人種多いのか、もぎりの方は、普通の対応。かんかんでりでもなかったと思うが、雨の気配はなく、気温も熱かったので、なかなかの遊園地気分。嘗め回すように、敷地を探索。まあ、夏休み中とはいえ、平日の昼間で、プールだけは、にぎわっていたようですが、そこ以外は、予想通りの人の具合。かなりの数のアトラクションがあることに感心し、通路がとにかく広いことにびっくり。遊園地というものは、こういうものなのか。ディズニーランドにもとしまえんにも行ったことがないのでわからない。食堂スタイルの店も、半分ぐらいは閉めており、売店風情なところだけ、数箇所開いている。そこで、焼そばとビールを頼むと、メニューにはあるのだが、生ビールはなくて、缶しかない、とのこと。半ば納得して、缶ビールと紙コップをもらって、軽食。在りし日を偲べたかなぁ。エキスポランドにいた時間は、多分1時間30分程度。その後、万博記念ホールに入って、お気に入りパビリオン分だけスタンプを押して(ストレス解消)、石坂浩二氏ナレーションの例の記録映画をぼーっと1時間弱見て、2次元の外国パビリオンめぐりをしていた。

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