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2008年2月27日 (水)

感情を見せるということ

日本映画を2つ見ました。『山桜』と『ぐるりのこと。』いずれも、恋愛についての映画、といえば、大雑把にあたりでしょう。前者は、時代劇ではあるけれども、庄内の(もちろん、現代の)自然情景をふんだんにフィルムに収めている作品。田中麗奈の主人公が、東山紀之の武士を慕う物語だが、これが不思議なのが、(以下、ネタバレです)、その恋愛は現代的に言って、成就しているわけではないのに、ヒロインが幸福そうである、ということ。そして、それにどこか説得力がある、ということ。なんか、現代の日本を思わせるような舞台背景などもそこにはあるものの、一見、そのめまぐるしくかわる状況を知ってかしらずか、たたずんでいるヒロインが後半になって、大きな存在に思えてくる。そりゃヒロインですから。

もうひとつの『ぐるりのこと。』これがなかなか難しい。というのは、一組の夫婦(籍は入れているのだろうか、入れていないのかも。少なくとも、結婚式は挙げていなさそう)の10年余りのいろんな一日を描いていく。いつか、見たいドラマとして、いつも自分があげている「例えばウルトラマンが、一匹怪獣を倒してから、家に帰ってきて、家族にその話をする。その家族との会話のみで、その時のウルトラマンと怪獣のドラマを表現する」というものですが、つまり、大きな事件が随所にあるはずなのに、その事件そのものは描かない、というものだ。『レザボアドッグス』もまあいえば、そのひとつですが、『ぐるりのこと。』も、そこに近いものがある。ただ一箇所、激しい感情のぶつけあいがある。自分としては、これも、あってほしくなかった。ぼんやりとしたカップルの話の行間に、深いドラマを常に感じるものであってほしかった。かなり、その要求には近ずいている。それがなぜよいか、というと・・・・ああそうか、この映画は、後に、この夫婦が「個人的に、今も忘れられない瞬間」をつないだシーンの蓄積、という映画なのだろう。かなり、感傷的な作品だが、それは全然OKである。音楽は、つけてほしくなかった。イメージを固定させてしまうメロディだったので。

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リアルな意味不明BGM

『パーク・アンド・ラブホテル』。ぴあ関係の映画を見るのは久しぶりで、かつ、プロ中のプロ的なベテラン監督以外の日本映画を見るのも久しぶり。自分が、苦手とする、セリフを極力抑えた作品で、これはアート系監督の作品で劇場公開される作品の中で多く見られるもので、これこそ「映画的空間」だな、と感じる。そして、この作品のひとつの特徴は、なんといっても顔のアップの多用だ。しかも、顔のアップでの長回しも多い。映画の舞台としては、特異な舞台ゆえ、見るほうとしては、景色の中の人物像を見たいのに、それを許さない。が、風景(情景)のみのシーンも多い。このシーンでの情景からにじみでるものの多いこと。「夜のしじまの、なんと饒舌なことでしょう」とは某FM長寿番組のナレーションですが、まさにそんな感じ。2時間近い作品の中で、ホテルの玄関前、屋上を階段口から見た風景、そしてホテルの受付、の3カットがこの映画のほとんどに写っている。この限られた情景は『母べえ』もだが、あの精密に作られたセットとCGによる「情景」と、ただ古びた鉄筋ビルを写す「情景」では、リアルさが違う。ただ、後者のリアルを愛すべきものと思わせるところに持っていくのが、映画監督のなせるわざなのだろう。そして、日比谷カタンによるシンプルで難解な無国籍現代音楽が、ホテルの受付のどこからか、BGMのユーセン放送つけっぱなしのごとく流れている。それはシーンの説明的な劇伴でもソース・ミュージック的なものとも一線を画している。しかし、この意味不明場違い音楽こそもやぼったいほどにリアルなのだと思う。

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2008年2月14日 (木)

自分の中の邦題の不在

今日は、フランス映画を2本。「fauteuils d’orchestre」と「2days in paris」。邦題は『モンテーニュ通りのカフェ』と『パリ、恋人たちの2日間』。共に、かなり過去にサントラが現地で出ているため、オリジナル・タイトルで記憶があった。こういう映画は、なかなか邦題がなじめない。この2本についていえば、そんなに邦題についての拒否反応はないんですが。共に、旧友にあった気分の映画。ともに「さあ、今日はフランス映画を見るぞ」と思ったときに見るとちょうどいい、イメージとしてのフランス映画を逸脱しない。というか、むしろ、セルフパロディしているとさえ思えるぐらいに、型にはまっていてそれが心地よい。「こんな映画、日本で公開されなくなったなぁ」の反動のような2本。逆に、今、公開されている多くの今の映画にはない大御所たちの安心感が漂っているので、新鮮なのかもしれないが。

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2008年2月12日 (火)

イベントのドキュメンタリー

これは、自分に最もしっくり来るジャンルに出会ったかもしれない、と思った。『船、山にのぼる』というデジタルビデオ88分の作品ですが、試写で拝見。このタイトルだけ見るとフィツカラルドか、もしくは萩生田監督の楽園か、とイメージしてしまいますが、楽園側に近いが、まあ、違う。この作品はダム工事によってなくなってしまう村が舞台に撮影されているが、その村の方がおっしゃることに、この映画で記録されたイベントの意味がある。つまり、村が水没するということはネガティブなものしかないが、そこにポジティヴな意味合いをつけてくれた、そんな旨。沈む村の平地で、ヒノキ材(水没する森の木を伐採)を甲板だけで1500本使用し、計画から完成まで8年?以上かかって作る大きな船。これをダム湛水によって浮かせ、山の上に移動させようというプロジェクト。このプロジェクト自体に実用的な意味合いはないが、このイベントには、行なうことに意義がある。もうひとつ、村を見守ってきた的な古い大木を移動させるプロジェクトも記録される。これらに、地元の方々とアーティストたちが力をあわせて、物事が進行している。この幸福さ。自分は、ひとりの人間を追うドキュメンタリーは苦手なのですが、ひとつのイベントを追うドキュメンタリーというのは、至福を感じる可能性大だなと思いました。

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2008年2月 8日 (金)

無限に広がる大宇宙

宇宙といえば、無限に広がるが、さて、先日、正月の深夜に見たドキュメンタリー「ウェイクアップコール」が再放送されていた。名ドキュメンタリーです。歴々の宇宙飛行士の朝の起床のためにヒューストンが流すという、”ウェイクアップコール”としての音楽。サッチモからロッキーからロバータ・フラックからトトロ、スマップまで。この番組のほとんどの映像は、宇宙のSF的な画面なのに、そこに常にスタンダードな人間臭いポピュラー音楽が流れ続ける。唯一、2001年のウェイクアップコールとして使われた「2001年宇宙の旅」にも使用された美しき青きドナウはSF的なのだが、その前にキューブリックがSFにドナウを使っているところがSF的でないわけで。喪失のドラマも、中には出てくるが、総じては、喪失ではないところで、感動を生み出そうとしている。

さて、『陰日向に咲く』を見た。一見、喪失ではない所で感動を起こさせているように見えて、そうではなく、ちょっとドラマの構成は複雑だが、時系列で考えると、いずれもが、とある”すばらしい女性の喪失”に端を発している。いくつかのドラマが交錯する中で唯一、アイドルと熱狂的ファンの青年のエピソードは、積極的消極性のような、現実的な終結を見せ、リアル。基本は、ちょっとした夢物語。「マグノリア」ですね。

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2008年2月 5日 (火)

大変中毒

今週は、比較的平安かと思っていたのですが、そうでなくなってきました。しかし、それも悪くない、なんて思いながら、焼酎グビグビしながら『バンブーブレード』を見ようとしている感じです。土曜夜のTVKアニメ7本立ては、なかなかに図に乗ってる感じで、今だからできる荒業ですが、『true tears』は、いよいよ際立ってきましたね。シーンをつなぐ何気ないカットでの情景画にも命かけてますね、このアニメ。脚本とセリフだけでは伝わらない独特のリズムは、あの独特の絵作りにあるのでしょう。それは『ef』にもいえますが、efのあまりにもポップアートな表現としてのアニメとはある意味両極的な意味合いが。背景でがんばろうとしているのは、『狼と香辛料』もそうなのですが、「狼」の表現がある意味正直すぎるところに反して、「true tears」は、決して正直ではない遊びの色の使い方があります。

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2008年2月 2日 (土)

インパクト

2日同じ話題で書けば、そのインパクトも伝わるだろうと思い、書きます。「すみや渋谷店のない2月」。親友を失った気分そのもの。ものすごい孤独感を覚える。まあ、25年間ほど、別に毎日通っていたでもないけれども、心の師匠的な部分は多大だった店だけに、じわじわ聴いてきている。「もうない、というのが信じられない」とは、まさにこういう状態だな、と実感しました。

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2008年2月 1日 (金)

20時少し前の状態

すみや渋谷店に着いたのは、18時30分すぎぐらいだったと思います。予想通り、まるで鉄道ファンの閉線前夜のような状態(自分も、過去に東横線の桜木町駅へ体験しに行ってます)になりかけていて、かなりのお客さんの数。もう、実際に、品物を物色するのが第一目的ではないですから、ほとんどコーナーにはもう残っていない、数少ないCDを隅から隅まで、見ながら、時間をすごす。そう、「この店で時間を過ごすということが、もう今日が最後」ということだからです。そうこうするうち、20時前後ぐらいが、もっともピークだったでしょうか、みなさん、言っておられたが「こんなに、この店に人がいるのを見たのは初めてだ」、そして、今日は、そうなるだろう、という期待と、そうなってくれたことへの安堵みたいな雰囲気。まさに、鉄道ファンのもつ、あの雰囲気と同じ。ただ、サントラ・ファンにとっては、同じような店があるわけではないので、この雰囲気が味わえるときは、もう、ないのである。明日には、あの場所に店は開いていないのだ。それは、不思議な感じがする。

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