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2012年4月17日 (火)

『バトルシップ』とネタバレ厳禁について

「ネタバレ厳禁」文化は、いつ根付いたのだろう、なんてことを感じながら、観ていた『バトルシップ』。この映画は、何分か毎に「ネタバレしたくなる大ネタ」が登場する。そして、それらは、放置されたまま終る。この文章でも、それについての詳細は、書いてはいけないだろうから、その代わりといっては何ですが、思い出したものを。まずは『ザ・チャイルド』。これに限ったことではないが、、多くのホラーは「なぜ、そんなことが起きているのかわからない」ということがあり、それが恐怖感を増している。が『ザ・チャイルド』はメインタイトル部分で、その原因と思しき事柄について、ある説明がなされる。映画自身は、これがそうですよ、とは言わないが、それによって社会性も持ち合わせた作品の様相を示す。
もうひとつが『パニック・イン・スタジアム』。これについては、以前にも書いている気がするが、この作品についての、映画と小説のありよう。映画は、起こったスペクタクルな大事件と、その収束までを、ハードボイルドに淡々と描いている。その反面、小説は、事件はあくまで最後に終結する破滅的な一点であり、そこへたどり着くまでの「犯人」となってしまうひとりの人間についてのドラマが克明に描かれる。なので、この2つともを味わうことで、かなり社会性をもって事件の全貌を見渡せる。そして、そう、これは多くの現実に起きる「事件」の、伝わり方に似ている。
『バトルシップ』は、おそらく、あえて描いていない、そして、登場人物たちにも語らせていない点がある。それらの中の一つに、冒頭があり、この映画は(これは、言ってもいいでしょう)エンドクレジット全て終ってからのシーンで描かれることによって、ある問題を確実にさせる。
『バトルシップ』の中のフックには、お約束のセオリーと、お約束を知っているからこそのひとひねりと、が、コンスタントに現れる。物語の全体像でさえ、考えれば、やや、前半までに観客が想像するであろうこととは違う展開になっている箇所がある。
さて、「ネタバレ厳禁映画」なんてコミュニケーションに不自由さを強いるツールが、なぜ存在するのだろう、と考えて、出た答えの一つ。「映画を同時に二人以上の人間で見ることを有意義にするため」だ。映画は一人でも見られる。会話は一人ではできない。思考のやりとりもひとりではできない。そして、ネタバレ厳禁映画についてのトークは、無作為の人間相手であれば、その相手が「これからまだ見る」可能性も高いので厳禁だが、一緒に見た相手であれば「見ていることは確実」なわけだから、タブーが一切ないのだ。なので「ネタバレ厳禁映画」は、小説でもないし、ソーシャルメディア登場以前の物語なのである。
国家機密が何年後には公表するか、の話がありますが、ネタバレ厳禁物語の時効は、どのぐらいなのだろう。『オリエント急行殺人事件』の全貌は多分、物語好きであれば知っているだろうし(この推理小説は、そういったバックボーンがありつつ映画化するわけだから、かなり特殊である)『サイコ』もおそらく時効はすぎているが、例えば『シックスセンス』や『クライング・ゲーム』などはまだ微妙なところだと思っている。
そもそも、大体「ネタバレ厳禁」な映画だったと知らなかった、という場合もある。『パッセンジャーズ』は、まさにそうだった。『パッセンジャーズ』は「何がし」みたいな映画で、というだけでもう「何がし」側を見ていればバレる。そうならないためには、全ての物語を「ネタバレ厳禁」にしないとすべての意外性は失われないことにならないが、それは、何も語れなくなる。
最近は、自分は、蓮実先生だったかの「名作は、どこから見ても面白いはず」的な考えに若干賛同派なので、基本的には、どんな物語でも、最後まで語ってもらってもかまわないと思っている。語り手が語りきれていない部分は、もちろん、語れている部分より多いから、物語や犯人など以外の部分で、多くの「意外性」におそらく出会えるので、心配はしていない。
が、こっちが語る側である場合は、そういかない。物語の楽しみ方も、人それぞれなので。
そして、『バトルシップ』に話は戻るが、これも具体的に語れない、とあるひとつの大きなポイントについてだが、そう思って、ピーター・バーグの今までの作品を反芻するに、いずれも「マッチョな人間が肉体を動かすことによってダイナミズムを感じさせるアクション」が撮りたいのだな(なので『ワイルド・スピード』なんかじゃないのだな)ということ。宇宙生命体襲来SFも、ホラーにするのではなく、「アクション映画」にするために、あえて、ああしたのだろう、と。案外、譲れない点だったのではないか。そして、それは、おそらく、多くの映画ファンの「突っ込みどころ」の一点になっているが、そういうことではないのだ。そして、そのヒントが冒頭かも知れず、さらにその以前のドラマを想像させるものを感じる。
『パニック・イン・スタジアム』を想起したのは「襲来者側から描いた方が、おそらく深いドラマになる」ことを感じたからで、それを想起させる演出が成されている。これも「突っ込みどころ」の一点だが、これにも多分、意味がある。
一見「壮大なおバカSF」にまとめたピーター・バーグ作品だが、「鑑賞後のみんなのトーク」の中で、バーグが期待するテーマにまで、話が進むかもしれないぐらいの明解さは出しているのではないか。おそるべし「突っ込みどころの多い映画」である。

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