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2012年5月20日 (日)

ハワイアンが癒し続ける『ファミリー・ツリー』

横浜ブルク13にて『ファミリー・ツリー』鑑賞。本当は、ここの上映待ち時間中にスクリーンで写っているスライド(館内設備&サービス案内)のBGMが好きで、(地味で無機的で美しいまさにアンビエントな感じ)、それを聴きたくて選んだのに、ジャズがBGMで流れていて、そのスライド放映はなし。時間帯? 曜日? スクリーンによって? そもそも、もう今はない? で、そのスライド映像に「ムービー・コンシェルジュ」(だったかなぁ、なんかそんな呼び名。要するにスタッフ。社員さんのみかもしれないが)が案内します旨が写っていて、一人の女性が手差ししている姿が写っているのだが、本当にスタッフが写っているのだとは思っていない。と、本日、どうも、その姿に似た女性スタッフらしき人を見かけるが、再確認できず。余談中の余談。
さて『ファミリー・ツリー』。これも、邦題の由来不明で、しこりが残る。が、原題の『THE DESCENDANTS』だと「子孫」になり、ここから連想されて、日本人でもイメージし易い英語で、ということなのだろうか。
さて、昨日見た『別離』と、非常に類似点を持つな、と感じながら鑑賞。ただし、こちらは、初めのほうで、ある程度のモノローグがあり、そこで説明が結構なされる。また、登場人物それぞれが、もともと知っている情報が偏っているため、会話自体も、かなりの説明になる。モノローグというのは、得てして、物語をコミカルな色合いを帯びさせるな、とも感じる。
『別離』と違い、『ファミリー・ツリー』はほぼ全編に渡って、ハワイアンが流れている。歌の入ったもの、もしくはギター演奏のみのもの。ほぼトーンは変わらないため、ものすごくシリアスな物語が、常にハワイアン音楽によってまろやかにされて観客の自分は見ている。音楽がないと、かなりいたたまれない状況が、音楽によって、むしろコミカルにさえ、写っているのだな、と。
これは、極論だが、昔、大学時代に『死霊のはらわた』を上映しつつ、音は消してリチャード・クレイダーマンの音楽を流し続ける、といった実験上映を提案した自分を思い出す。その条件では、フィルム借りられへんやろ、ということで、そんな上映方法自体は幻に終ったが、後に、その発想の発展系みたいなイベント上映は行ったことがある。
『別離』と『ファミリー・ツリー』は、ドラマへの作り手のアプローチの仕方が両極に位置している気がして面白い。もちろん、良し悪しの話ではない。いろんな方法があるが、作品では、ひとつの方法しか選べない。「フィルムメイキング」というゲームでもあれば、別かもしれないが(似たものは、すでにあるかな?)

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