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2012年7月15日 (日)

『海猿』の存在意義

『海猿』シリーズは、もちろん、日本映画メジャー大作にはつきものの過剰な感情演出が要所要所で盛り込まれており、そこは不満がもちろんないかといえばウソになる。が、大量の観客を巻き込まないといけない大作映画の高揚感を作るには、冷静ではいない方がよいのかもしれない、というのは娯楽については思う。今回のプロットで、つい考えてしまったのは、もし、同じような事故と対策が現場で行われた際、どうなるか。実際には、事故の原因究明についての討論などがなされるばかりで、現場中継はあるにしても、「祈りながら見守る」みたいなスタンスには決してならないだろうとは思う。つまりは、実際のメディア報道で予想すると、ネガティヴ・サイドな報道になってしまい、とても、「ひとりでも助かってくれ」的な感情がにじみ出るものには決してならない。もちろん、この物語は、劇画だし、それを原作とした娯楽映画である。が、そこに実際に知らせる側への皮肉にも見えてしまうのである。この物語のような方向も、それはそれで極端ではある。極端であるがゆえに、その逆が実際のように思えてくる。ひょっとしたら、救えるものも救えなくしている、救おうという考えをそもそも(現実的なさまざまな理由をつけて)起こさないように仕向けられている、そんな気さえしてくる。別にこの映画が、そういう意味で誘導しようとしているとまではいえないが、かなり多くの観客相手に見せる作品、そして、今後も、同じタイプの作品のひとつの好例とならんとする作品が、現実的でネガティヴなのは、ウソとわかっていてもよろしくないと思う。特に、舞台が現実に近い設定のものならなおさらである。
『海猿』の存在価値は、そういった部分と、あとは邦画には珍しいパニック映画っぽさを楽しませてくれる点。ちょっと感情的過ぎるが、実際の現場でも、あのぐらい感情的にならないと逆に乗り越えられないんじゃないか、なので、描かれる現場の人間のリアクションは、案外リアルかもしれないとも思うのである。

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