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2012年7月17日 (火)

遊園地的な工事現場『工事中』

『工事中』於シアター・イメージフォーラム。これは、今までにない手法ではないのですが、考えさせられるものがありました。本作は、当初、街のスケッチ的ドキュメントかと思わせておいて、その中での人間観察とみせかけて、群像劇に誘い込んでいく。ある程度の箇所で、これはドラマはもう始まっているな、と気づくのですが、そこで考えさせられるのが、そういえば、そもそもフィクションを見るときとドキュメントを見るときと、観客である自分は、対し方を変えていたことに気づくのだが、それには意味があるのかなないのかな(疑問であって、それについての否定ではなく)、ということ。これが同じであれば、この映画の吸収の仕方としての意識は始終かわらないはずなのだが、そうではないからだ。ラストは、もう、きみたちこの映像をフィクションというかドラマとわかってみているでしょう、を意識してのちょっとしたいたずらを仕掛けてくる。そこにおいて、またもやフィクションもしくはドラマとして見ることへの疑問を確かめさせる。
これに似た感覚は、少し前の『永遠のハバナ』で味わったことがある。ドキュメント?でありながら、ラストに種明かし的なものを用意しつつも、すべてを説明せずに、映像と音響を組み合わせた作品だった。今回のホセ・ルイス・ゲリンも、まるで、生活音響の娯楽の一大場所とでもいうべき「工事現場」を舞台に選び、効果音をスコアのように操作して時間を経過させる。工事現場し、確かに、普通に眺めていても飽きない「日常」の代表格。かつ、日常の中の非日常。もちろん、それが騒音公害と化す深刻な状況も及ぼすが、この作品では、その作業音は、遊園地のBGMのように響いている。決して、この映画で描かれる状況に賛同的ではないだろうが、日常の中のユートピア感を再現している感じはして、童心に戻らせてくれる、とでもいったらいいのだろうか。
この作品を見て、「果たして、フィクションのように編集されたドキュメントも、おそらくあるはずだろう」という興味が湧いて、そういった作品も探してみたいと思ったりする。

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