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2012年7月15日 (日)

『ヨルムンガンド』サントラ聴後感より脱線して

『ヨルムンガンド』サントラ聴後感。岩崎スコアには特にいつも感じてしまうことを書きたい。今回も、「予想を裏切る」という意味で予想を裏切らない、というか、もう、「岩崎スコア新作」なるものには、ある一定の線のハードルがあって、そこは越えて当然、という不思議なルールめいた雰囲気ができあがっている(と思う)。通常のスコアの場合、よく聴くのが、依頼される時の「あの(具体的作品名)の感じでお願いします」的雰囲気。スコア・コンポーザーは職人だから、ひょっとしたら、依頼する側としては、出来上がってくる作品は、満足度が予想以上になることは、おそらく期待していない。表向きは、そんなことは言わないが、そんなことよりも、いろんな事情は別にあると思うし。さて、諸々で、『ヨルムンガンド』のように、予想をはるかにではなく、少し超える作品を聴く。その際に思うのは、アニメから入る人は、ここからさまざまな音楽ジャンルを初体験することになるだろうが、そこからは、各ジャンルのオリジナルの音楽への旅となる。他のスコアへの旅ではない。なぜならば、旅するほど、行先地はほかにないからだ。
以前、『青の祓魔師』の澤野弘之スコアを岩崎スコアへの類似を書いたのですが、それは、スコアらしい音からの脱却とスコアらしい音そのものを合わせるというか、あらたな冒険をしようという姿勢を明確に感じたから、とでもいいましょうか。同じ論が当てはまるアニメ・スコアだと菅野よう子サウンドがもちろんあるが、こちらが他と区別して考えてしまうのは、「菅野よう子スコア」という、また別ジャンル的なものが確立されてしまっているからか。うまく喩えられないが、他の作曲家の世界から菅野スコアにたどり着くことも、菅野スコアから他のスコアに旅することもない。最近は、菅野スコアの引用ジャンルのオリジナルへの旅ですらないんじゃないか、と思えるぐらい、菅野スコア自体が充実しきってきている、ということもある。
岩崎スコアは突っ走っている。さて、そこで、スコア(劇伴)という、他のジャンルにはない味わいのある不思議なスタイルの音楽について、聴く側が世界を広げていくために、さに参考となるスコアが、できれば岩崎スコア以外から提示していきたい。ここが難しい。ここが上手くいかないと、岩崎ファンにはなるが、スコア・ファンにはならない。岩崎スコアを僕は、もちろん、アニメ・スコア・ファンのみではなく、(これは、すべてのスコアについて言える事ですが)アニメ・スコアにはあまり触れない、例えばハリウッド映画のスコアのファンなどにも、積極的に薦める。それは、アニメ・スコア・ファンを増やす意味合いもあるし、すでに映画スコアには長けているリスナー諸氏から、アニメ・スコアに対する、映画スコア・ファンならではの助言や参考作品の提示などが出てくるのではないか、という他力本願的な部分もある。いずれにせよ、自分が考えていることが、自分でできる範囲は限られている。自分の考えを理解してもらって、共感者にも手助けをしてもらうに限る。
岩崎スコアは、孤高だと思う。が、孤高ではいけない、と薦める側は痛切に思う。
ところで、岩崎さんには、いつか、日常系もしくはラヴ・ストーリー的な作品を、と期待している。明らかに、さまざまな世界が変化する、と思う。その意味では、現在、岩崎スコアにはあるイメージが定着している。ジェリー・ゴールドスミスも『いつか見た青い空』や『海流のなかの島々』のような人間ドラマで名作を残しているし、ハンス・ジマーだってデビュー作の『ワールド・アパート』や『心の旅』『グリーンカード』など、人間ドラマでの傑作は限りない。そして、彼らのそんな作品は、新たなるファンや世界を確立したのは確実だ。

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