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2012年7月23日 (月)

描かないことによって際立つもの『おおかみこどもの雨と雪』

一言で言うと、非日常の中の日常を描くことで、日常の中の非日常を浮き彫りにする、そういう物語なのだろうと思います。アニメといえば冒険もの、と思いがちなところで、この物語は、いわば、何も起こらない。ことが起こると大変だから、主人公たちは、すごくひっそりしている。そして、そのひっそり暮らすことによって、そのひっそり暮らす中での冒険がクローズアップされることになる。
どなたかのツイートで、日常風景をアニメで描くのなら、実写でいいじゃないか、というのがあった。アニメで日常を描くことには、逆説的な確信がある。絵で描かれることによって、日頃気づかなかったことを気づかせる、ということだ。この作品で言うと、親子三人がはじめて大雪を感じて、おおはしゃぎする場面がある(メインフォトになっている)。これがまさによい例で、雪におおはしゃぎする感覚を楽しみたくて、この映画は存在するのだろう。物語をコンパクトにシンプルに、そして登場人物たちも控え目にすることによって、物語は、繊細な部分をクローズアップすることに時間がさけるようになってくる。何気ない日常の描写を重ねて時間を経過させることは、タルコフスキーなどの作品における、時間経過そのものが表現となることと同じ意味だろう。
この映画において、非日常な設定は一点のみ。その非日常な主人公たちが、何事もおこさないようにひっそりと日常をすごす。そこで表現される日常の数々の小さな場面をクローズアップすることで、日常の中に非日常的興味が満載されていることを思い出させる、こんな感じでしょうか。
この感覚は、ジブリの多くの作品でも成されていると思うが、ストイックにすることはより徹されていて、そこは実験的であろうと思う。
おそらく、このことに焦点を置き、物語を複雑にしないために、登場人物たちの個性はかなり排されている。
高木正勝氏によるピアノメインの音楽は、まず、ほぼピアノソロのみぐらいのシンプルさにしたかったからの起用か、と思い、かつ、ストイックにしたいがゆえに、そんな表現が可能なアーティストに依頼したのかな、と。そして、母と子が主人公のアニメながら、そんな作品を見る受け手の固定観念を払ってもらうためか、やや、難解なメロディが展開するものになっているのではないか、と思った。
何を描かないかによって、描こうとすることを際立たせる、この作品の考えるところは、ここだろうか。

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