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2012年8月 9日 (木)

『ヴァージニア』とコッポラ作品感

試写にて『ヴァージニア』。悲劇なんだけれども、すごく達観しているところがあり、それぞれの登場人物に起こる悲運であるとか滑稽な事柄であるとか、胸が締め付けられるような悲劇であるとか、見ている側が感じるであろう感情がまるで「色」であって、さまざまな感情が少しずつ湧いては、別の心持も起こることが「カラフル」に感じられる。
毛色は違うはずなのに、この作品を見ながら『ワン・フロム・ザ・ハート』を思い浮かべていた。最近、再見していないので、遠い日の記憶ですが、本当は、明るくノスタルジックでカラフルなはずなのに、どこか、心からは楽しまない冷静さを感じた記憶がある。その逆で、そのことが決してその作品を傑作たらしめるどころか、ひょっとしたら欠点に逆になってしまうかもしれないのだが『アウトサイダー』や『ランブルフィッシュ』は衝動的な部分が多い気がする。『地獄の黙示録』ももちろん。容易に感じられるのは、男たちのドラマか、女性が重要に関わってくるかの違いがそこにあると思うが、いずれにせよ、どこか極端で、スムーズではない。まあ、このスムーズじゃないところに作家性が出るのだろうとも思う。
『ヴァージニア』には、衝動は、自分には感じられない。が、この作品は、そもそもそれは念頭になく、完璧に、さまざまな心情というえのぐを使ってのカラフルで様式美にあふれた絵を描くことをめざしたようなものなので、「耽美」という形容さえも、それを想定した冷静さをもって、見てしまう。

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