« 親しみのあるフランス映画ということ『最強のふたり』 | トップページ | 壮大な裏物語を一晩で語る『漆黒の闇で、パリに踊れ』 »

2012年9月23日 (日)

製作事情の真実以外は、これは『ユージュアル・サスペクツ』的なのか『これは映画ではない』

『これは映画ではない』於シアター・イメージフォーラム
この映画についての真実(もちろん、すべての映画の真実はさぐれないが)は明かされないだろうから、さまざまに多構造的にこの作品?は捉えたほうが面白いと思う。偶然回っていたビデオカメラ、記録として映像を残しておいたほうが良いという友人の意見、偶然ゴミを引き取りにきてくれた青年が話してくれるさまざまな事情。表層的には、ここには「映画を撮りたかったが、やめた」とオーバーアクションする「監督」の自発的な態度は見られない。が、それは、不自然なほどに「観られない」。今や、今の時代のこの映像は、データとして録画されたものだから、どのぐらい、実際は「撮影」されていたのかはわからない。そして、この「映像記録」にも、リハーサルはあったのかもしれない、いや、あったろう。そして、プレイング・ディレクターも、世の中にはいっぱいいるし・・・
それどころか、作品内でパナヒが語る「幻の作品」の「物語」は、いわばパナヒの立場が、主人公の「芸大受かった娘」に当たるわけで、結構スレスレなメッセージをあからさまに語っているのだ。なので、ひょっとしたら、この「幻の構想」も、現在を語るためにでっち上げたもので、このような作品を撮る予定は元来なかったかもしれない、そうでもないと、あまりにウマすぎる話じゃないか、とも勘ぐる。そうすると、「こういった映像作品にせざるを得なくなった」事情以外は、実はほとんど・・・・・
ということで、かなり暗喩に満ちつつも直接的なメッセージ。しかも、これだと元来、無料でyoutube公開などになりそうなところをあえて「映画作品」として出品させたところにも、メッセージを生かす手段のアイデアがある。この発表方法によって、メッセージはメッセージではなく「映画」になったのだ。映画としてカウントされたのだ、世界的には。
ということで、些細かもしれないが、気がついたこと、「映画」は発表手段に拘れば、映像作品は「映画」たりうるのだ。映画になりそこねた「メッセージ映像」も、過去に多分山ほどあるだろう、とちょっと勿体無さを感じたりする。

パンフは600円。海外レビュー(コメント)、イントロダクション、シノプシス、この作品に関連する時間軸の説明、モジタバ・ミルタマスブ監督のインタビュー、日本にイラン映画の紹介に最も尽力している東京フィルメックスのプログラムディレクターの市山尚三さんの、パナヒ監督デビュー時から現在までのイラン映画と世界情勢との関連などからの解説、森直人氏(映画評論家)は、純粋に映画ファンの立場で柔らかく見た場合の考察だが、やはり美辞麗句で固められている。もっと客観的な単語を使って「解説」してほしい。
最後に、ニューヨークタイムズのA.Oスコット氏の論評。こちらは、社会論や柔らかめの哲学書に似た語り口で理路整然。冷静に方程式を解くようにこの作品の異質さを「解説」している。

|

« 親しみのあるフランス映画ということ『最強のふたり』 | トップページ | 壮大な裏物語を一晩で語る『漆黒の闇で、パリに踊れ』 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/92257/55721979

この記事へのトラックバック一覧です: 製作事情の真実以外は、これは『ユージュアル・サスペクツ』的なのか『これは映画ではない』:

« 親しみのあるフランス映画ということ『最強のふたり』 | トップページ | 壮大な裏物語を一晩で語る『漆黒の闇で、パリに踊れ』 »