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2012年9月16日 (日)

リアルに見える人間ドラマのうそっぽさの多重構造『ライク・サムワン・イン・ラブ』

『ライク・サムワン・イン・ラブ』於横浜シネマ・ベティ。
またしても、音響の映画を見た、とは個人的印象。とにかく、ファーストシーンがすごい。ほとんど、据え置きのカメラにさまざまな構成の人物の複数の会話があり、そのサウンドミックスのバランス調整で、物語が進行する! ファーストシーンのインパクトの重要さは、『雪の断章』や『ブギーナイツ』以来、しみついているのですが、それの「音」版を見せられた思い。
映画自体のシーン数は、かなり絞られている。その中での登場人物をとりまく、表(行動)と裏(実際の心理や現実的状況)のずれの多くも、タクシーで聴く留守電であったり、部屋から聞こえる外の暴力の騒音であったり、とフレーム外のドラマがすさまじい。そして、カメラは基本的にはすましていて(ガラスに反射する二重写しなどはあるが)、サウンドの部分が、ただならないドラマを描写する。
さらに気になったのは、たっぷり時間をとって映し出されるそれぞれの登場人物の行動が、なんとなく宙に浮くというか、ウソっぽい感じを感じずにいられなかったということ。
それは、後にパンフ(700円)を読んで、俳優には、明日演じるシーンの台本を渡されるだけ、という状況(これも演出)で納得がいったが、この「一見、じっくり人間を見ます」的な表現の中で、「でも、現実とは違う違和感」のズレが生じてエキサイティングなのかな、と思う。特に元大学教師というタカシの、自分の部屋と称する部屋でのたたずまいは、やはりおかしい。それは、おかしくない日常のはずの部分に、自分の日常ではありえない「女子大生」を置くことによって生じる動揺なのだろうと解釈したりする。
で、パンフ。出展されたカンヌでの取材結果をふんだんに盛り込み、ピエール・リシアン、
ジャン=クロード・カリエールの批評を掲載。日本側は、川口敦子氏と佐々木敦氏の論、アクター・プロフィールでは奥野匡、高梨臨、加瀬亮各氏インタビュー付(いずれもカンヌ取材)、アッバス・キアロスタミ監督へのインタビュー、製作のユーロスペース代表の堀越謙三氏とシネモンドの土肥悦子氏のプロダクション・ノート。撮影の柳島克己、編集のバーマン・キアロスタミ、美術の磯見俊裕、録音の菊池信之各氏は詳細過去歴を明記。
考えうる掲載すべき事項は網羅の感はするが、あえて考えるとすれば、あまりにも「キアロスタミ論」により過ぎてはいないか、ということなのだが、唯一、キアロスタミ論をしていないのが佐々木敦氏の論で、これは『未知との遭遇』など、佐々木氏自身の持論に繋がっていくもののうちのひとつの原稿になっていると思われる。

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