« リアルに見える人間ドラマのうそっぽさの多重構造『ライク・サムワン・イン・ラブ』 | トップページ | 親しみのあるフランス映画ということ『最強のふたり』 »

2012年9月17日 (月)

なぜ英語なのかは、パンフでも語られない。『ヴァンパイア』

『ヴァンパイア』於川崎チネチッタ。
先に音楽のこと。サウンドトラック盤のジャケットは、先に見ていて、それは映画のヴィジュアルやイメージと異なり、その盤そのものの別のイメージの画像のようである。そこで、あたかも、「架空の既成曲」を使用する設定のように思えたのでした。
現実にも存在する事実の破片を取り入れつつ、暗喩どうしを現代舞踏のように組み合わせるかのような岩井俊二映画。そして、事実の破片は、時に、多くがタブーとしている事項であり、それゆえ、深く、多角的には語られてこなかったものであったりする。
どこまでが現実といえるか難しい「吸血鬼ごっこ」が何を意味するかは、ラストの、血の別方向へのやりとりで形を現すと思う。
ラストのラストの終り方。あの感じの終り方、以前にも何かで観た記憶があり、かつその時も快感を覚えたが、今回も、ラストが終わりではなく、さらなるラストがある安心感。『ワンス・アポン』の終り方ではないので、あしからず。
パンフは、600円。岩井俊二自身によるイントロダクション的「ブランクの正体」、樋口尚文氏による、現実と呼応させての評論(これは、おそらく従来の岩井ファン以外の、現実的な事象への興味が日常に多くある人に助けになると思う)、中森明夫氏の論は、ふと思う「映画論を行うときに、その映画のスタイルに文章も似せてしまう」ことに抗えていて面白い。つまり、より下世話な文体で岩井映画を論じている。これも、岩井映画に距離を置きたくなる人間向きで意味深い。
そしてインタビューは重複する回答など、通常であれば疑問が残らざるを得ないが、それは常識的解釈をしてしまうからか。
キャスト紹介は、主役8人。スタッフ紹介がないのは、主だった作業がすべて岩井本人だから。しかし、その助力となったスタッフはもちろんいるわけで、そのスタッフも可能であれば紹介していてほしかった。あくまで、ひとりで作りあげられはできないということで。

|

« リアルに見える人間ドラマのうそっぽさの多重構造『ライク・サムワン・イン・ラブ』 | トップページ | 親しみのあるフランス映画ということ『最強のふたり』 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/92257/55678017

この記事へのトラックバック一覧です: なぜ英語なのかは、パンフでも語られない。『ヴァンパイア』:

« リアルに見える人間ドラマのうそっぽさの多重構造『ライク・サムワン・イン・ラブ』 | トップページ | 親しみのあるフランス映画ということ『最強のふたり』 »