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2012年10月28日 (日)

ある意味「夢の中の映像」ブレッソン『白夜』

『白夜』於ユーロスペース

映画学生たちにとって、ロベール・ブレッソンというのは、いかにも、手法がある意味派手なため、わかりやすく?アート映画の入り口的に鑑賞するのに適しているなぁ、とは思っているが、それ以来のスクリーンで見るブレッソンで、かつ、中でもらしからぬ作品というので、いろいろな感情がまじりながらの感想。ひとことでいうならば「さあ、寝ないで見るぞ」

しかし、これは、もう確信犯じゃないかと途中で判明。この作品で言うと、どのシーンでも、ほぼBGMのように絶えず、等間隔で聞えてくる「誰かの足音」。常に聞えるコツコツコツ、と小さなSEは、もう「ほーら、あなたは眠くなる眠くなる」とまるで目前でつるしたコインをゆっくり動かされているかのよう。なので、映画は、まるで「夢の中の映像」となる・・・。

自分のブレッソン的アプローチの解釈は「あまりに、いろんな感情が瞬時に交錯し、それがあまりに膨大かつ精緻に変化するため、結果「何の表情もない」(とまっているかのように見える)ことになるのだろう、というもの。なので、自分の頭の中では、叫び苦しんでいる男と女がいる。なので、その一見の落ち着きには、ときどき吹き出してしまう。コメディ的な要素は十分にあると思う。

そして『白夜』は、まるでラジオ番組である。劇中4?音楽でドラマが遮断されるが、これはまるで、「さ、そんなどろどろアマアマなことばかり言ってないで、ここで一曲、音楽入れましょうか」といっているかのようなのである。この音楽の挿入は、なので独特かつ、これははっきり不器用であろうとは思う。ブレッソン映画に劇伴というか音楽は、なかなか似合わない。ちょっと流行に寄ろうとしたか、ラブストーリーだったからか、いつものブレッソンとはやはり違う。そこがかわいいといえばかわいい。

パンフレット。個人が頑張って配給しフィルム上映と聞いたので、もちろんパンフはあるだろう。800円。これが、なんといいますか、いい意味で、大学映画研究会の上映パンフのように気合の入った文章ばかり。文芸評論家・山城むつみ氏がドストエフスキー、ブレッソンともに詳しい立場からの原作との比較論、映画批評家・伊藤洋司氏のブレッソン映画の構造論(ブレッソン映画は、構造分析したいですよねー)、当時学生で撮影に立ち会ったベルトラン・ルノディノ氏の寄稿、フランス近代文学を中心に論じておられる福田桃子氏の、舞台となるセーヌ川沿いを視点とした映画論、映画批評家・葛生賢氏はブレッソン映画の中の女性論、そしてシナリオ採録。

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