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2012年10月 6日 (土)

覚悟を決めるタイミング『ルート・アイリッシュ』

『ルート・アイリッシュ』於・三軒茶屋中央

物語がどのぐらい進んだ頃だろうか、「これは、フィルムノワールだな」と察知し、自分の中で見方を変えた。ケン・ローチ作品といえば、辛口の社会派寄りの人間ドラマのイメージがあり、今回もそのつもりで見始めたのだか、途中で、この物語はどう転がっていくのかを想像した場合、アラン・ドロンあたりが主演のフィルムノワール(具体的には『チェイサー』)であったり、『ドライヴ』であったり、に似た終着に行き着かざるを得なかったからだ。

そして、それは、ほぼ予想通り、ケン・ローチ映画とは思えないバイオレンスの展開となる。イラク戦争をドラマの発端にはしているが、つまるところは、企業の陰謀であって、黒幕というものも明確に存在する。そして、ケン・ローチらしからぬ展開を見せた今回のドラマは、まるで次に尾を引かせないように、幕を閉じる。

ドラマの性格を錯覚させてしまった要因の最大は音楽だと思っている。今回も、盟友ジョージ・フェントンが携わり、静かに美しいピアノソロが特に前半では流れていたかと思う。確かに、このドラマにおいては、主人公が狂気へと足を踏み入れる覚悟は、かなり後半にあるため、いわば登場人物たちも、まさかフィルムノワールにはなるまい、なりたくない、静かに、哀しみたい、と思っているからこそ、バイオレンスの表層は早くからは見せないのかもしれない。

ここで、ドラマの見せ方として興味深いのは、物語がどう転がるかの覚悟をどこにおくかで、結果同じ進行をしていても、ドラマの性格は大きく変えられるということだ。それこそ、『ローリング・サンダー』と構成的に、どう違うんだ的な心持にもなる。が、これはジョージ・フェントン音楽、にも、かなりの意味の大きさはある。例えば、そうですね、デスプラが音楽だったとしたら、フィルムノワールとしての入り口は、もう少し早く察知されたろう、とか。

 

ロングライド発行のパンフレットは600円。まず、2010年のカンヌでの記者会見でのローチ、脚本のポール・ラヴァーティ、主演のマーク・ウォーマックへの発言がかなり詳細に掲載されていて、これがかなりを語る。コラム原稿は2つで、まず柳下毅一郎氏がバイオレンスとしてではなく(初め、その切り口かと思ったら違う)、ローチのフィルモグラフィーを追っての「監督論」を正攻法的に記し、現地取材経験のあるジャーナリストの安田純平氏が民間軍事会社という「企業」のイラクでの実態を記している。映画を見るだけでは「ウソー」と思ってしまいがちな部分を、「それはただ私たちが知らないだけ」とばかりに解く、映画解説というより、DIG的なパンフの役割を果たす。

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