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2012年10月14日 (日)

『私が、生きる肌』パンフ考

『私が、生きる肌』パンフレット700円。

この作品も、監督・キャストが相当詳細にインタビューに答えているため、それによって解説書的ニュアンスをカバーしている。特に、いつものインタビューの答えとして予想されそうなものと正反対の答えをして面白いのがエレナ・アナヤ。アルモドバルのインタビューは、優等生的答えになってしまうことが予想される質問をしている気がして、最近は、こういった「答え手の機嫌を伺う目的が主」のように見える問いには、疑問を呈しておく。アルモドバル自身によるプロダクション・ノートは、モトネタともいうべき作品を具体的に提示して語っているため、作品を立体的に見ることが出来る。

コラムは3方。映画評論家・川口敦子氏の監督論、と思いきや、ほぼ本作の作品論。表現が難解な箇所が多い。そして仏文学者・翻訳家の平岡敦氏の原作論。そして、これが最も、このパンフで意味がある、作品中の重要なモチーフとなるアーティスト、ルイーズ・ブルジョワについての解説が横浜美術館・主席学芸員の天野太郎氏によって。

ゴルチエについて、は、もう今さら、ないというのは余裕ですね。

 

パンフにおける「映画評論家」の原稿にいつも抵抗を覚え、その理由を自分でも探しているのですが、ちょっと書いていくと、多くが、ファンならざっくりとは知っているであろう知識を詳細に書いた、という「だけ」のものが多い気がする、というのがまずでしょうか。「監督論」なら、その当作以外、あまり知らない場合、参考になるかもしれないが、「作品論」の場合「見ればわかるだろ」の範囲を超えない場合がある。

はっきり気づいた(今回のパンフでも、ある)もうひとつが、「実は、こうなのです」と特記したように書いてある事柄が、実はプロダクション・ノートほか、コラム原稿以前の部分で書かれてあるため、ただ重複するだけでクドいだけ、になってしまっていること。今回の場合、どちらもが、依頼原稿だから、該当箇所を削除修正できないだろうが、逆に、日本側の原稿依頼の際に、まず「既に掲載することが決定している原稿」は書き手に示したほうがよいのではないだろうか(示していた上で、こうなっているのであれば、さらに考慮となりますが)

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