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2012年11月23日 (金)

主人公の心情の変化のドラマを楽しむロードムービー『激突!』、多分、スクリーンで初見。

『激突』於・神保町シアター

『激突』の注目すべき点は、この作品が、テレビ映画である、ということである。であるから、ほとんど劇伴っぽい劇伴もなく(多くのテレビ映画は、劇場用映画よりもさらに明解なスコアを使用している)、説明的なセリフもほとんどないということである。大体、主人公も、何が起こっているのかわからないだけに、説明しようもないわけであるが。

ものすごく単純なプロットに見えて、実は複雑なのは、主人公の感情の変化である。ただひたすらに恐怖しているわけではない。考えてみれば、良質?のホラーの共通点は、おそらく、状況と対峙する(ほとんどの場合)主人公の心情の微妙な変化がきっちりと描かれていることである。『激突』は、起承転結を転がしていくのは、主人公の感情である。これが変化しない限り、このプロットでは、物事は動かない。

同様の「なぜ、狙われるかわからない」状態のホラーやサスペンスは、多くあると思うが、『激突』のそれ以外と大きく違う点は、数分のクルマを下りる場合を除き、大半が、クルマを走らせていて、舞台は、常に動いているところにある、ということである。状態はしばらく変わらないが、クルマは動いているため、「舞台は変化している」という場合は、例えば『ニーチェの馬』であったり『シェイディー・グローブ』の長い車窓であったり、という場合にも通ずる、リズムとして訴えかけるものが、プロットの構成とは別の話で、あると思う。状況は変化しないシーンも、感覚は動的なものを捉えているダイナミズムとして感じているのである。

序盤は、カーラジオがある一定の役割を果たす。主人公の心情変化のきっかけとして、ラジオの番組が一役買う。この「目で見ている現場」と「耳から聞える世界」を別ものとして並行させて描くのは、そのものすごい好例として、行定勲監督の『世界の中心で、愛をさけぶ』が印象的で、過去に録音されたテープを聴きながら、思い出の地を訪れていく、という構造は、ふたつの物語を同時に進行させ、かつ、それが決して不自然なシチュエーションではないというものである。『激突』のカーラジオは、主人公が日常と接点をもっている心情の象徴としてあろうことは、ある地点から、ラジオは聴かれなくなることによって、明確になる。家族側を撮るショットがあり、一見、これは不要ではないか、声だけで十分ではないか、とも思うが、この作品が「スタイリッシュになりすぎないためのテレ」のようにも受け取れる。また、見ている側の閉塞感を一瞬、まぎらすものでもあるだろう。その後の行程を考えれば。「すぐ帰る」みたいなシチュエーションを入れることによって、「すぐには帰れない状態に、これから入る」ということを宣言しているのである(そうでなければ、このシーンは不要である)。

主人公は、ある一線を越えてしまう。越えたことによるたかぶりのまま映画は終る。謎は、解決されないままなので、おそらく、幾度となく、この物語の続編の構想は出ていることであろうと思う。だが、不条理物語の旗手リチャード・マシスンの世界では、不条理のままで閉じてこそ物語である。

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