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2012年11月 5日 (月)

長回しツンデレ効果・苦痛を覚えさせる中の快感表現『ヴェルクマイスター・ハーモニー』『ニーチェの馬』

『ニーチェの馬』『ヴェルクマイスター・ハーモニー』於・吉祥寺バウスシアター

 

タル・ベーラ3作をほぼ立て続けに見終え、感じたのは、確かに、作品を重ねるにつれ、語り口はシンプルになっていったということだ。『ヴェルクマイスター・ハーモニー』は、共通の長回しが炸裂だが、後の2本に比べて、その1カットの中で行われる事件・動きがあまりにもダイナミックかつドラマティック。これは、真正面から見て、その感想なのであって、その後の2本も、もちろん1カットの中の人物のドラマティックなリアクションはあるだけうが、表に出ることが少なくなっていく。

長回しについて、他の監督とは違うタル・ベーラの息遣いは、なんとなくわかってきた。この人の長回しは、通常、ひとつのシーンを見続けることのひと呼吸は必ず少し過ぎるまで待つのである。で、その待っている間に、ドラマとは直接関連性はないシーン(『ヴェルクマイスター』だと、食堂の女性と警官?の長いキス)が続いたりするが、こうなれば、このシーンの中で、またひと呼吸すぎるまで待っているのである。

これは、おそらく、見る側のリズムを狂わせようとしているのだと思う。心地良いリズムでシーンが流れていくと、自然となって、悪く言えば、残らなくなる可能性がある。ずらして、見る側の生理に少し不快感を与えて、進むのだ。トータルとしての作家性を残すために。長回しによるツンデレ効果とでもいおうか。

このツンデレ効果は、『ニーチェの馬』ですさまじくエスカレートする。ストーリーも、シンプルすぎて、ほぼ、ない状態だが、どうも「無物語的日常の繰り返しを描く」ことが今回の考えるところの一つのようなので、延々と続く、物語のない状態は、それを感じ続けることによって生じる疑似体験を見る側が感じるものなのだ。一見、長さの中に、深いさまざまなメッセージが込められていると思いがちだが(感じるのは勝手だが)、どうも無メッセージ状態を長く見続ける体験のようなのである。その不快感を倍増させる要因として、主人公たちが身動きが取れない理由の一つでもある、常識ハズレの強風状況があるが、これは、いかんせんこの物語をスペクタクル化させてしまって、やや、単調からは遠ざけているかもしれない。

タルコフスキー以上に、よって、タル・ベーラの作品は、長さこそを体感しないとドラマが理解できないもなのだ、ということがわかる。『ニーチェの馬』に至っては、物語の理解はほぼ意味を成さず、長さとシンプルさの体感こそに意味がある。そういう意味では、あっという間の2時間数分なんていってはいけなくて、それなりの精神的苦痛を味わってナンボなのだ、ということで、ツンデレ効果アート映画ここにきわまれりである。

 

『ニーチェの馬』パンフレット ビターズエンド刊600

タル・ベーラへのフィルメックス映画祭時のインタビューで、この映画について、そしてハンガリー大使館のインタビューで、タル・ベーラ自身の現在の心境と今後の活動についての回答が掲載。

コラムは、柳下毅一郎氏の、これは印象論。そしてニーチェ研究本も出している早稲田大学教授の高橋順一氏による晩期ニーチェとこの映画の関連性。これは、この作品を多面的に見る参考になる。そして細野晴臣、五十嵐太郎、佐々木中、藤代冥砂各氏のコメント。

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