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2012年11月14日 (水)

『THE FUTURE』を『わたしたちの宣戦布告』と少し対比してみてしまいました。

THE FUTURE』試写(場所・シネマート六本木)にて。

途中から『わたしたちの宣戦布告』を思い出しながら見てました。類似点といえば、カップルのアイデンティティ探しが、子供およびネコを介在の理由にして進むことと、いずれも、一見タイムリミットがあるということである。結果の推移は違うが、結果的にはともにリミットは外されることになるわけですが。

ただし『THE FUTURE』の場合は、カレの存在は、自分(女性側)を確認するための対比するものとして存在している意味合いが強い気がする。この物語の作り手自身でもある主人公は、自分の心情の推移を『わたしたちの宣戦布告』は、映像のリズムで表すが、『THE FUTURE』は、いい意味で、理屈っぽいからか、言葉で表したい感が満々だ。中盤で物語がファンタジー化していく引き金となる行為の伏線のために、一見他愛のないオープニングの、カップルのリア充的ややすれ違いがあるし、映画のリズムそのものは、工夫を凝らすというよりも、まさしくマイペースのものである。

THE FUTURE』の幻想性は、かなりジョン・ブライオンの音楽によるところも大きい。ミニマル的でポップで、幼い感じ、そしてそれらを合わせつつ劇伴として存在する。この感じは、確かに『君とボクの虹色の世界』のマイケル・アンドリュースも作っているが。

(ところで、『君とボクの虹色の世界』邦題には、すごく抵抗がある。原題はME AND YOU…とつづくので、あくまで、まず「自分ありき」の、自意識過剰的なところがかわいらしくて大きなポイントであるはずなのに、君とボクにすることで、この映画の特性を消してしまっているのだ。

THE FUTURE』は、そして「思っていることをそのまま映像具現化してしまった映画」のようだな、とも。オープニングで「そう思わせといて、そうじゃない・・・・と思わせておいて」の、いたずらっ子が捕まえられないように逃げ回るかのようなはぐらかし作戦もかわいい。序盤の作りで、何が起こっても、ある程度は驚かない免疫を観客につかせてしまっているし、そうなると、現実と現実ではなくて「こうなったら面白いのに」の区別がどうでもよくなってくる。

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