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2012年12月23日 (日)

感情を拒絶したドラマが生む複雑な感情の表情『マリア・ブラウンの結婚』

『マリア・ブラウンの結婚』於渋谷・シアター・イメージフォーラム

(特集上映「ファスビンダーと美しきヒロインたち」)

 

おそらく、フランス映画社配給のロードショー公開時の、それも試写会で見たと記憶しているのだが、なにせ、あの年頃ではわかるわけもなく、印象がない。

ファスビンダー作品は、そこへ持ってきて、もう見るからに、女性の濃い香りがスクリーンから沸きあがってきそうな勢いで、よほど体力を作って見に行かないと、きつそうだ、という思いがあり、同年代ジャーマン・ニューウェーヴでは、ついついヴェンダースの方になびいてしまっていたのであった。

『マリア・ブラウンの結婚』のマリアは、全く説明することも、狂乱的な演技を見せることもなく、淡々と、自己暗示にかかっていくかのような心理を見せる。冷ややかで、表情を見せないことが余計に、その心情の実際の動揺ぶりが見て取れる。また、そう、説明せずとも理解できる空間になっている、というところがすごい。

つまり、マリア以外は、こんな状況では、この言動をとるだろう、という動きを見せ、マリアだけが、少しずつ、常軌を逸した言動をする。そのひとシーンにおいては、それは爆弾的な衝撃は起こさないのだが、緊張を見るものにさらに高める効果を持つ。

ラストは、その緊張をヒッチコック的に具現化するけれども、まるで、「悲劇のヒロイン」を演じるのだ、と主人公が覚悟を序盤できめた後は、それが、本当はその最終目的だったはずのものまでも、障害と認識して、悲劇のヒロインであることを突っ走る。

人は、突然、負の衝撃を受けたときの忍耐力はなかなか計り知れないものがあるが、その逆で、正の衝撃(本来ならば、よいはずの事柄)に対しても、耐久力をもたない。また、あまりにも感情の激しい動きが頻度に現れざるを得なくなると、おそらく、それに耐えるために、感情の反応を拒否するようになる。

そこへもってきて、音楽も、普通、このシーンでこんな音楽、という感じでは流れないようなサウンドを、かなりボリューム絞り目で流したり、と、演出効果によっての感情の盛り上げには、意図してさからう。戦時の悲劇の客観的な表現方法なのであろうとは思う。

 

特集上映のパンフレットは発売されていない模様。

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