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2012年12月22日 (土)

スウィートな劇伴などが、作品の暴力性を多重化する『八月の濡れた砂』

『八月の濡れた砂』

於・横浜シネマ・ジャック&ベティ(フィルム上映)

(特集<日活映画100年の青春>)

にっかつ青春ものというジャンルも、ほとんど観ていないので、この作品が、全体の中で、どういった位置を示すものなのかはわからない。石川セリのエンディングテーマはもちろん知っていたので、その歌のイメージから、濃厚な男女の性愛的なものかと想像していたりもした。

が、実際は、どちらかというとモダンであり、決して、深刻化しない。アマちゃんなテイストである。だが、息が詰まるほどハードな、ではない青春も切り取ってよいので、不良具合が、そして男女のイケナイ加減も、このぐらいのものもあるだろう。

ラスト・シークエンスは、主役男女4人の心情が行き詰まり、ある意味、爆発するが、その爆発具合も、決して衝撃的にしない。

そして、フランシス・レイおよびイタリアン60’sゴーゴー劇伴的スウィートなBGMの中でのそのドラマ。この作品のセールス・ポイントはなになのか、と考えて、村野武範のカッコよさと、テレサ野田のモダンなプロポーションか。

いまや、この偶発的に見える暴力的でロックな編集といい、ドラマの、というよりも、映画のタッチに感じる暴力性は、現在でも可能だと思うのだが、この感じを最近の作品では得られないのは、なぜなのだろう。たとえば、編集で考えると、ほぼ完璧に考えるとおり編集は可能で、誤差がないため、ある意味、整然としてしまうのでは。もちろん、計算した上での暴力性、というのは理論的にはあるとは思うのだが、園子温のフィルムの暴力性も、この映画の暴力性とは違う。ゆるさが許容されないといけない、とでもいったらよいだろうか。

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