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2013年1月19日 (土)

表情には関心がない、というか優先性は低い『ションベンライダー』

『ションベンライダー』於ユーロスペース

(「甦る相米慎二」特集上映にて)

『ションベンライダー』を見たのは、大学での上映会のために、たしか2回見て以来、なので28年ぶり。28年前、すなわち大学2年(大阪だから、2回生といったかな)のときだろうか、見たときには、負の意味で、「こんな映画見たことない」と思った記憶がある。そして、一見、娯楽映画の顔をして、難解な映画だったため、うらみ?もあった。そのときは、相米慎二という名前の特性も知らず、先輩の雄弁で知ることとなった。多分「撮り方」というものを意識したのが、そのときではなかったか。それ以後、見ることができる機会はあったはずだが、積極的にこの作品に接触することはなかった。が、その後の相米作品は、その特性を知って、意識してみていたので、自分が、唯一、意識せずに見た経験がある相米映画がこの作品、ということで大切な一本ではあった。

この映画で特に色濃く出ているのは、複数の人間の大きなアクションを常にワンカットでおさめるために、遠景(当時、大学の仲間うちでは「遠まわし」といっていた記憶がある)が多いということだ。そして、それは、遠すぎて、役者の表情は、ほぼわからない。セリフも聞き取りにくい。そして、それは、その後の北野映画に通ずる「撮りたいシーンありき」の、シーンとシーンの間の成立ぐあいがかなり強引であること。この強引は、「不器用な映画」すきにとっては、逆にうまみに替わったりもする。とにかく、少年少女をはしゃがせて、そのいいわけは後で作る。そんな映画に見えるが、これもカネフスキーの状況に似て、「そういった映像が、映画として、成立しえる世界」そのものがすごい、と思えたりする。

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