« 物語の区切りのつけ方に、劇映画撮りとしての粋なプロさを感じる『おだやかな日常』 | トップページ | 撮影日データがある意味への回答となる『あるいは佐々木ユキ』 »

2013年1月 5日 (土)

必見!必聴!な「音響 渡辺宙明」作品。『七人の刑事 終着駅の女』

『七人の刑事 終着駅の女』「特集上映 駅と映画」にて:於・ポレポレ東中野

多くの昔の映画のスタイルにのっとって、この作品も、はじめのタイトルで、スタッフ詳細を示すが、今回ほど、これがありがたかった事はない。クレジットに「音響 渡辺宙明」と出たのである。これは、ただ事ではないことがすぐにわかった。その前にも、いかにも、「本作は、劇伴的にSE使いますよ」を主張するがごとくに、タイトルが出た瞬間に、駅っぽいSEが、増幅されたのだ。

全体的に思うのは、これは、音数の多い、ジャック・ベッケルの『穴』のスタイル踏襲のように思える。それは、両作に通じる、足音への感覚の集中である。

本作の「臨時に設けられる捜査本部」ゆえに起こる意識の「意識したズレ」が何箇所か登場する。それと呼応して、これだけ、音にこだわっている作品ながら、刑事たちは、音を立てずにしぐさや目線で会話するのである。言葉で発せられている部分は、実はひょっとしたら重要ではない。そんな「息のあった大人の共同体」みたいな空気が面白い。

聞き込みの会話なども、拾われることはなく、そこで聴こえるのは、BGMとしての雑踏である。ラスト近くでは、なんと映し出されている登場人物とは関係しない、駅で聴こえる様々な会話がスケッチ的に流される。もう、ここの見せ方などは、もうヌーヴェルヴァーグとでもしかいいようがない。スタイリッシュさのアピールは、ラストのクローズアップ以外にも、定期的に現れる。それゆえ、この映画がある意味凄いのは、音だけ聴いた場合、ひょっとしたら、別の解釈ができてしまう作品になっているんじゃないか、とさえ思える、音と絵の意図したズレにある。

追記。事件のカギをにぎる「音」について、何度も言及はあるのだが、これについても、回想シーンなど入れるわけでもないため、その「音」自体は、実際に一度も登場しない、というのも、かなりの反骨振りである。

あまりにもないのもどうか、とばかりに出てくる「音楽」は、多分大きく2か所ある。女が戻る街の一角の店から洩れる音楽(ジャンル失念)と、ラスト近く、上野駅構内食堂で流れるラテンの、共にソース・ミュージック。

|

« 物語の区切りのつけ方に、劇映画撮りとしての粋なプロさを感じる『おだやかな日常』 | トップページ | 撮影日データがある意味への回答となる『あるいは佐々木ユキ』 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/92257/56475954

この記事へのトラックバック一覧です: 必見!必聴!な「音響 渡辺宙明」作品。『七人の刑事 終着駅の女』:

« 物語の区切りのつけ方に、劇映画撮りとしての粋なプロさを感じる『おだやかな日常』 | トップページ | 撮影日データがある意味への回答となる『あるいは佐々木ユキ』 »