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2013年2月16日 (土)

それまでの悲劇がラストでナンセンス喜劇に逆転する『競輪上人行状記』と『大当り百発百中』

『競輪上人行状記』と『大当り百発百中』於・新文芸坐

(特集・名優・小沢昭一さんを偲ぶ) 

小沢昭一特集の初日にふさわしい、この人ならではのキャラクターで楽しませる2ツノタイプの典型的好編。

『大当り百発百中』は、ヤクザにとらわれてから逃げるシチュエーションの執拗なまでのループが、短編を無理やり一時間越えまでもっていかせるやや単調な部分があるも、こまかくサービスカットを入れることで、見るものの「時間を楽しくつぶさせる」感がある。 

鬼気迫るのが『競輪上人行状記』で、プログラムピクチャーのひとつとして量産される中で、このような作品が出るのは、天才かつ職人の集団がなせるワザと思わざるを得ない。あまりにも波乱万丈で、かつおのおのに強烈に複雑でシリアスな状況を背負う登場人物たちを、リアルを逸脱しない範囲で、ドラマの説明もなされ、かつ、細かいユーモアもはさみつつスピーディに展開し、かつ、めまぐるしい展開の中にも、じっくり考えさせる時間もしっかり用意してある。物語のおとしどころはどうするのか、と思いきや、ラストに、すべてを集約させて、それまでの悲劇をも、ナンセンス喜劇への序章のごとく逆転させる。シリアスとコメディの間を行き来するドラマの緊張感を保たせる黛敏郎の音楽のアイデアもぬきんでている。こんな作品、今、作られていたら、まちがいなくベストテン上位だろう。タイトルの敷居のあまりにも低さが油断させるのか。

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