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2013年3月17日 (日)

ドキュメンタリーの作り手ならではの描き方『シャドー・ダンサー』

『シャドー・ダンサー』於・シネスイッチ銀座
これも、セリフも少なく、説明はあまりされない映画で、かつ、ドラマの重要な部分の表現として、直接見るのではなく、偶然見えている、偶然聴こえてくる、そして、それも、できれば見たくも聴きたくもないのに、見えてしまう、聴こえてしまう、という感覚である。なので、登場人物たちは、みんな目をそらしながら、静かに感情的に語る。「できれば、そんな関係になりたくない親しい関係なのに、お互いを疑いあわなければいけない不幸さ」、これは、もともとは、自分たちが幸福になるために始めた行動のはずなのに、結果、最悪な方向に逆転してしまっている。
ジェームズ・マーシュはここのところ、ドキュメンタリーに興味の焦点を合わせていたが、この題材は、ドキュメンタリーではあまりに困難で危険な題材なため、フィクションで語るのはいたしかたないだろう。
パンフレット内の解説は、法政大学名誉教授の鈴木良平氏によるIRA史の解説、映画評論家・土屋好生氏の印象論。監督と原作者、主要キャストへのインタビューとプロダクション・ノートが丁寧なので、それらで補完されるが、おそらく基にした資料が同じなのか、インタビュー内容と、プロダクション・ノートの内容が、かなり重複している。
また、冊子内では、ディコン・ハインクリフェは2作目とあるが、『プロジェクト・ニム』も彼なので、実際は3作目。また、荒涼とした感覚を薄い色彩で見せる撮影と、ドキュメンタリー感を髣髴とさせる編集について言及されていないが、撮影のロブ・ハーディは、"BOY A"や"BLITZ"『おじいさんと草原の小学校』など。ハーディの代表作としては、この『BOY A』が必見の模様。編集はジンクス・ゴッドフリー。マーシュのドキュメンタリー作品も彼の手になる、まさしくドキュメンタリー・フィルムの編集者である。

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