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2013年3月21日 (木)

人間の弱さについての普遍的な論考『汚れなき祈り』

『汚れなき祈り』於・ヒューマントラストシネマ有楽町
ムンジウ監督の新作であること以外、ほとんど、前知識を持たず、また、カンヌの上映レポートで「恋のライバルは神?」みたいな、ある種コメディを想起してしまう文調での紹介を目にしていたものだから、最後の最後まで、どこへ向っていくのかは、全くもってしらなかった。
この映画のほぼラストシーンで、最後に関わってくるある職業の人たちの会話が意味深い。あの会話によって、会話で話される事実と映画の物語で行われていた「聖なる事件」が、全くほぼ同次元のこと(あの職業の人たちにとっては、それ以下の関心事)であろうということが感じ取れる。そして、その時代背景も。
その意味で、シャマランの『ヴィレッジ』をやはり思い起こしてしまう。が、むしろ『ヴィレッジ』が悲しい滑稽さをもって描かれたのに反して、こちらは、明確な怒りをもって描かれていると思う。
前作と違い、カットわりは最小限にとどめて、じっくりとシーンの演出に凝ったスタイルは同じながら、そこでの動きは緻密で濃密で、人物たちの表情はミニマムに徹する分、アクションでドラマや心情を説明させるので、シーンごとの情報量のあり方は、前作とは180度違うといってもいいかもしれない。
ムンジウ監督の、でも、多くの人間に伝えたい優しさの現われか、刺激的なカットは、皆無を徹底する。なので、衝撃的事件を描きながらも、衝撃的シーンはなく、かつ、感情の大きな動きの表現も、細心の注意が払われている。
テーマとして感じたのは、「あきらかに悪と思われる行動を、「自分ではなく、絶対的他者の責任の上で行わざるを得ない」という理由付けに自分を追い込んで、もしくは逃げ込んで、悪とわかっている行動を行う、という人間の心情の分析だろうか。ここで、観るものを考えさせるのは、主役たちの行動というよりは、主役たちをとりまく人間たちの行動であり、その「その他の者たち」感は、すなわち、私にはねかえってくる、ということだ。
パンフレット。初めて、表紙で「THEATER PROGRAM」と自分は何なのかを表している一冊を観た。この作品も、説明は排しているので、「STORY」は役立つかもしれない。プロフィールは、この作品が、あくまで、ムンジウ・チームともいうべきスタッフで作れていることを確認できる。コラムは、映画評論家・大場正明氏の印象論、著名人たちのコメント、主演女優ふたりへのインタビュー(質問が、あまりにもひどいので、読まないほうがいいかもしれない)、正教会について、そしてモデルとなった事件と類似した事件の紹介などの原稿、最後に国立民族学博物館・民族文化研究部・准教授の新免光比呂(しんめんみつひろ)氏が、この映画で説明が必要と思われる描写について、詳細に解説しており、この長文で、この映画の解説すべてととってもよいと思う。が、この作品こそ、宗教上の特徴の話の垣根を払って、人間の精神のどこに弱さがあるのか、という普遍さを感じ取ることの方が、観る者のあるべき態度ではないだろうか、なんて自分では思ってしまう。

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