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2013年3月24日 (日)

オールドファッションなスタイルで作られた、大人のPTA映画 『ザ・マスター』

『ザ・マスター』於・TOHOシネマズ・シャンテ1
  
『マグノリア』『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』に感じられた、画面が迫ってくる感覚は起らず、映画の行間で感じさせた前作の凄みも今回は使わず、整理した物語を粛々と進行させるスタイルに受け取れたが、役者たちのテンションは、半端ではなく、非常に演劇的な鑑賞感。かつ、前作までのような爆発点も作らず、主人公の心理の推移を楽しむものである。
まるで心理トリックを見るような洗脳のスマートな一部始終を見せるかのような箇所は、ちょっとゲームそのものへの興味ばかりに気をとられがちになる。ホフマンのカリスマなトップならではのすべてが演技(演技を演技する二重構造)ないかがわしさに恐ろしさがあるが、エイミー・アダムスの、実は実質影で動かしているのは、こっちじゃないのか的な凄みも、ポスト・エミリー・ワトソン的すごみを感じる。
ジョニー・グリーンウッドの音楽は、序盤は、流れ続けるが、全体を通して流れ続けるわけではなく、ドラマが深くなるにつれ、出番を少なくするのは、前作同様。
   
パンフレットは監督・主役たちのインタビューとかなり詳細のプロダクション・ノート。
外部原稿は村尾泰郎氏が本作の音楽全体について書いているが、グリーンウッドの映画音楽仕事についての記述が少ないのが残念。また、50年代当時の雰囲気を伝える既成曲は、オリジナル・アーティストについての記載がないが、これは字数制約ゆえのことでしょう。逆に、初期PTA作品については、簡易にすませてよかったのではないか。
河原晶子氏は、主役ふたりについて書いているが、俳優論ではなく、劇中の登場人物に絞った印象論といったらいいのか。ただし、書かれている内容は、キャストと監督のインタビュー内容と重複する。
北小路隆志氏は、監督論。芝山幹郎氏も同じく監督論。
ここで思うに50年代という年代についての論や、50年代から70年代ぐらいまでにあった、アルコール依存症ほか、精神的に弱みをもった主人公の作品の系譜的なものがあれば、面白かったのだが、題材から鑑賞動機に入った観客の助けになる論は掲載されずに終わっている。

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