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2013年4月16日 (火)

過剰演技というリアル『ももいろそらを』

『ももいろそらを』於・シネマ・ジャック&ベティ 
 
『ももいろそらを』という、このオーバーアクションで貫かれた映画がドキュメンタリーのように見えるというのは、あたかも逆の逆をいって真実、とでもいいたい 攻め方である。
主人公の女の子3人と男の子1人は、おそらく、自分がルックスがよいことを知って意識して、生活している。女の子3人は、スクールカーストでいえば、最上位の子達であろうと思う。「見られている」ことを意識して生活してきたことはしみついて、生活を、舞台のように演技をつけて暮らしている。女の子3人の性格的役割分担は、実際、自分がその性分というよりも、いつの間にか、自分はこのポジション、と「キャラ」を意識したのちに、「そのキャラだったら、今、どんな行動をするだろう」という想像にもとづいた「即興演技」である。
 この映画が、即興演技のものか、じっくりと書き込まれた脚本を入念にリハーサルを重ねたものなのか、どちらなのかはわからない。ただ、結果、見えてくる彼女たちのしぐさ、ものいいは「へたなオーバーアクション的演技」というリアルさをもつものである。
 そう、彼女たちの日常は「決して上手じゃない演技」によって組み立てられ、また、それを受ける側も「演技だとはわかっているが、演技と思わなかった演技」を行って、みんなが傷つかないように、そして、自分は、少し、輝いているのだと思うために、時間をやりすごす。
 物語は「演技をする」ことが深く関わるプロットをもっている。この作品を演じた若き女優たちは、「演技をする演技、をする演技」のようなふるまいを残して、「どこにでもいる女の子(しかしスクールカースト上位の)」を感じつける。
表層の「皮」の部分を見つめる物語で、内面には、怖くて、触れることはできない。痛みを知る物語ではなく、心地よい空気を楽しむ映画なのだから、そのくすぐったさは、それでいいと思う。というか、それこそが味である。
 
パンフレットはポストカード大の綴じられていない紙をケースにいれたもの。主要キャストと監督とプロデューサーののプロフィール、簡単なインタビューが文章として掲載されている。他者によるコラムはなし。

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