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2013年4月21日 (日)

悲しいのではなくかっこいい男女の物語『君と歩く世界』

 『君と歩く世界』於・新宿ピカデリー

  これは、物語というよりは、真剣に生きる大人の男女たちをじっくり追いかけた、そんな映画である。日本での宣伝で見られる、一見、不幸に見舞われる女を守り抜く男的なあらすじは、結局は、物語の一角をしめるものではあるけれど、女に降りかかる不幸も、自分だけ悲しんでいるわけでは全くなくて、登場人物たちそれぞれみんなに事件は降りかかっている。物語の傍観者でいられる人物はいなくて、それぞれのおかれた大変な状況を緻密に描いている。
 物事がシンプルに見えるのは、演じられる、そしてフィクション上で起り続く事柄があまりにもナチュラルに計算されているからだろう。寸分なく周到に用意された進行によって、リアルすぎるドラマがナチュラルになっている。このふたりの関係具合も面白い。恋愛と意識するか、そんなことどうでもよいか、のせめぎあいが常にあり、その中で、あの携帯メールでの密かなやりとりが、キュートに見え、そこに、過酷な日常からの一瞬の逃避的感覚を確認できる。
 年齢制限がつくことになってしまうほどに一応描かれるベッドシーンの多少の多さは、肉体を頼りに生きる大人の男女の濃密なドラマであれば、エロを考えなくても自然と思うが、エロは、女が、男のストリートファイトの様子を見るうち、自身の居場所ではないと思う敬遠的戸惑いのまなざしから、あきらかに男への憧れ的なものに変化するカメラワークと演技のアクセントの箇所から、強く意識することになっていく。
 物凄く細かい心理変化のアンサンブルを見せて、トータルとしてのまろやかな強靭さが、この映画が「ラブストーリー」なんて、そんな優しいものだけではない何かなのだと思わせるものがある。

 パンフレット。最近の作品に珍しく、インタビュー掲載はない(プロダクション・ノート中での言及のみ)。コラムは、主役の女、男、共にその側から見た見解を載せる。ヒロインの描き方から見る考察を川口敦子氏が、映画史の中で類似するヒロイン像のある作品を探しつつ印象を述べる。対する男側からは大場正明氏が、映画で使用されるポップス&ロックのナンバーからのアプローチを試みる。

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