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2013年4月28日 (日)

高峰秀子の豊潤な無表情を楽しむ『放浪記』『浮雲』

『放浪記』『浮雲』於 新文芸坐 
 
高峰秀子の豊かな無表情を味わう。無表情のシーンの比重の多さから、激しく変化した際の醍醐味の迫真感がただならないものになる。笑う、微笑む、という場面も記憶に残らないほどになく(私には)、必ずしも、女優の魅力は笑顔にあるわけでもないことを確認する。
特に『放浪記』における高峰秀子の存在ぶり、しぐさは、その後の桃井かおりを思い起こさずにいられなかった。桃井側の演技のヒントになっているのかいなかは分からないが、もし、ヒントにしていたら、そのキャラクターのオマージュ方法はきっと面白いだろうな、と思う。
『放浪記』と『浮雲』は、当然ながら監督・役者・原作をほぼ同じくするため、類似性は多いのだが、まるで前者をパワーアップさせたのが後者といわんばかりだが、前者の、実話であるという言い訳が興味を裏打ちするのと対照に、フィクションであるがために、存分に波乱万丈に、悲劇感を増幅させる、ある意味、ワルノリな物語の展開の速さと後半の盛り上げの急速さは、それぞれの場合のドラマの語り方の臨機応変さが学べて心地よい。
『浮雲』の音楽が、ドラマの発端が東南アジアであるきっかけはあるものの、舞台を東京に移してさえも、エキゾなムードをもったメロディを使い続けるのは、やはり主人公、とくにヒロインの心情は、まだ東南アジアの地にある、ということなのだろうか。

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