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2013年5月26日 (日)

饒舌な自然。『蜂蜜』

『蜂蜜』於・銀座テアトルシネマ(銀座テアトルシネマ・さよなら興行レイトショー)
5月19日鑑賞
 
 自然と会話/対話している映画といえる。
 主人公の少年をめぐる、対人間の「ドラマ」は、父との対話、そして学校での劣等感、ざっくりいえば、この2点であろうと思う。少年は、字が読めないわけだが、そんなことよりも大切なこと、といわんばかりに、自然との対話に時間がうんと割かれる。
 この映画の勝利はなんと言っても、緻密で深い自然をフィルムに収めることができたことで、ロケーションの物凄さと、奇跡的な光を捉える時間をおそらく辛抱強く待ったことからの、絵画的瞬間と強烈な音響である。いわば、この自然の崇高さの意味づけの具体化として、少年が存在する、といっていい。
 トルコ映画は<彼の映画に対する情熱は常に>ゆるまず・ギュネイでおなじみのユルマズ・ギュネイ作品以来だと思う。まあ、トルコ映画は、いずれも『蜂蜜』のような映画だ、ということでは全くないのだが。
 思ったのは、途中まで製作され、あまりにもの製作資金の超過が見込まれるあまり、中断となった、伝説の山本政志監督『南方熊楠』は、こんな映像をめざしていたのではないだろうか、ということだ。

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