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2013年5月19日 (日)

既成ジャンルのふりをして、しばらくして崩す。『紅い夜明け』『火は上がり、火は鎮まる』『羊飼い』『追憶のマカオ』

『紅い夜明け』『火は上がり、火は鎮まる』『羊飼い』『追憶のマカオ』
於・池袋新文芸坐(ジョアン・ペドロメロドリゲス レトロスペクティヴ)
鑑賞5月12日早朝
 
 続いて鑑賞した残りを一気に。
 『紅い夜明け』は、フィクションが挿入されなくとも、十分にインパクトの強い映像体験が延々と成されるわけだけれども、ともすれば、見過ごすかもしれない一瞬の異物が、それまで観てきた映像の意味合いを一転させてしまうのか、なんて思うが、そこまでは行かない生のドキュメント映像の強さが勝つ。
 『火は上がり、火は鎮まる』は町の大火と自身のプライベートのかすかな心の動きの対比。同時に語られる、映されることがモラルのラインに抵触するかのような題材の組み合わせ、というのはこだわられるところなのであろうなぁ。
 『羊飼い』は、強烈な色彩構成は控えめな作品で、いわば、生活とともにある、職業というより生業のようなイメージをもっていた「羊飼い」が、そうではないのだ、ということが、なぜか、悲しいが滑稽に思えてしまった。
 そして『追憶のマカオ』。ノスタルジックかつ冷静なドキュメンタリー作品になってもよい映像に、あえて荒唐無稽なサスペンス・アクションというフィクション要素が加わる。別に規則性をかぎとろうと言うのではないが、既成ジャンルについての照れというか疑問というか、あえて実験してみる姿勢が常にあるのじゃないだろうか。なので、しばらくは、既成ジャンルのセオリー的様相を見せて油断させて、崩しにかかる。『追憶のマカオ』は、特に、作り手が彼らだったから許されているが、前知識ゼロで独立して鑑賞すれば、不完全燃焼アクションもののひとつとして理解されかねない危険性が十分にあると思う。

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