個性を封印し、飲酒しまくる登場人物たち『私も幸せがほしい』
『私も幸せがほしい』於シアター・イメージフォーラム(イメージフォーラム・フェスティバル2013)
一見、タルコフスキー『ストーカー』を思い出すが、あくまで、こちらは、その地にたどり着くまでの物語。物語といっても、それがリアルといえばリアルなのが、登場人物たちが、素性が分からず、かといって、たずねあうこともなく、つい、自分について吐露してしまうこともなく(一箇所、主人公らしき男が唄らしきものを歌うところだけか)、なので、道中は男3人女1人となるが、この女性だけは、男たちと違う行動をとることになるが、男3人は、区別がつかないというか、映画自体が、区別をつけようとする努力を全くしないかのようである。それが特徴で配役されたかのような具現化された「平凡な男たち」が、幸福の地に向う。道中の風景にしても、華やかさはもちろんないが、荒涼として絵になることを歌うこともない。
バックの音楽は、男が作ったかのような、フォーク・ロック的な、歌詞のついた歌。これもずっとよどんだ怒りのような調子の歌がずっと強弱つけずに予告なく時折流れる、といった調子。これが、本当のリアルさかもしれないのは、これが全く違和感を感じず、むしろ、オフビート・コメディ的なおかしみを持っていることである。
そして、要注意は、登場人物たちの飲酒である。この物語では、クルマに乗ってから、ハンドルを握っている男(彼も、ハンドルを握るまでは、ビールを飲んでいたはず)をのぞく3人は、ひたすらに回しのみしている。途中も、食堂跡とおぼしきところからまずい?ウォッカを拝借している。
登場人物たちの生活内での飲食というものは、語られるものは語られるが、そうでないものは、極端に語られていない気がするので、実は、このぐらいの飲酒量が存在しているドラマはあるのかもしれないとは思う。だが、ここまでり飲酒の描写は、ハンパではなく、「映画内人物たちの飲食」については、日ごろからも注意すべきなのかもしれない、なんて思ったりする。しかし、この映画の飲酒はそれ自体ホラー並だ。
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