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2013年5月29日 (水)

非・儀式的空間のゆるやかなドラマ『黒夜行路』

『黒夜行路』於・オーディトリウム渋谷(マレーシア映画の現在2013)5月26日鑑賞 
 
 思い返すほど、不思議な映画である。はじめ、絶対に油断する。すきだらけの映画だろうと思う。若い男女が、戯れつつ、会話を進めているのか進めていないのか、の調子のシーンが延々と長回しで撮られている。基本的には、この調子を貫いた映画だということがわかる。そして、この映画の物語の緊張を覆うムードが、ほかの物語にはない特殊なものなのだということがわかる。
 それは果たして、映画的なのか同なのか。まるで、ひとつ、物語のコマを進めようとしたら、「とりあえず、椅子のあるところに移動しよう」とばかり、テーブル、椅子のあるシーンに移動し、また、延々と怠惰な会話が始まる。そして、そこではヤバい内容の会話が次々繰り出されているのだが、だらりとしたあとの瞬発のバイオレンスというものもない。これはあえて避けているのだということを知らしめるために、暴力沙汰になるシーンを設けて、そこでも静けさを保持する。
 張り詰めた緊張感というのでもなく、ゆるやかに怠惰で、これは危険だ、とわかりつつもだらしない時間。この時間の流れ方に似ているのは、ジャームッシュ映画なのだが、あの世界のようにコメディでもオフビートでもない。大体、笑いではなく、むしろ、全体を覆うのは悲劇である。滅びの美学、でもいいたいところである。
 タランティーノやってみようかな、という瞬間がある。だが、やはり、俺たちには似合わないな、とばかり、無意味ながらも意味の凝縮した会話をすることもやめる。そういった、儀式的・様式美的なものとは相対する、「ハレ」と「ケ」でいえば、完全に「ケ」の時間なのである。

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